「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」(東畑開人) を読む

東畑開人の本は「居るのはつらいよ」と「心はどこへ消えた?」の二冊を読んでいた。
この本はそれら二作とは趣が異なり、物語形式で書かれている。読者が著者と共に「夜の航海」を進めるというストーリー。それは悩みと向き合って自分なりの生き方を見出していくための航海だ。さらに、臨床心理士としてのクライエントとのやり取りの様子が詳しく書かれていて、その具体的なエピソードと航海のストーリーが関わり合いながら話が進んでいく。

専門用語や難しい言葉は使われず、喩えが多用されている。著者は現代の社会の状況を「小舟化」と表現している。かつてあった親族や村落、会社といった共同体の力が弱まり、個人主義が進んだことで個々人が人生のリスクと責任を負わなければならなくなった状況をそう表現する。著者の考えでは、社会の小舟化は行き過ぎている。

 自己責任が強まりすぎて、失敗したときには全部自分のせいになってしまいます。再起するのは容易ではないし、誰もがリスク管理にリソースを取られ過ぎています。
 小舟化は僕らを自由にしたと言われているけど、本当のところ僕らは不自由になっているのではないかとすら思ってしまう。
60頁

特に納得したのは、小舟化によって私たちがリスク管理にリソースを取られ過ぎているという視点だ。小舟化する社会では、心が保守化していくことを指摘している。
この本では自分の悩みに向き合うための、考え方の「補助線」をいくつか提示している。その一つが「馬とジョッキー」というものだ。これは心が持っている二つの側面を表している。馬は欲求を実現しようとする衝動的な部分で、ジョッキーはそれを制御しようとする部分。馬が現実から離れようとする動きで、ジョッキーはそれを現実に引き戻す動きともいえる。この二つのパワーバランスによって心が成り立っているという考え方はわかりやすい。
そして小舟化する社会で心が保守的になる現象は、ジョッキーの部分が馬よりも優位になっているということだ。社会が自己コントロールのメッセージに溢れていることへの違和感が書かれている。

 よく考えてみると、この「ジョッキー頑張れ」の声は僕らの社会の通奏低音です。
 学生の間はひたすら「主体性を持ちましょう」と言われ続けます。自分で計画を立てて、実行できる人間になることを求められる。
 社会人になると、要求水準はさらにあがります。体調を管理し、仕事の進捗を調整し、人間関係に気を遣い、自己投資をしてキャリアを設計しないといけません。
 (略)
 ジョッキーによる精妙な自己コントロール。これこそが、今の社会が僕らに求めている倫理です。
55頁

自分のことを振り返ってみても、ジョッキー優位なところは思い当たる。先日安部公房の小説「第四間氷期」を読んだ際、未来に対して保守的な考え方(日常と大きく違う未来を受け入れられない)を持つ主人公に、自分の考え方もそうかもしれないと思い、そのことに少しショックを受けた。これは自分の性格だけでなく、小舟化する社会という環境の要因もあるのかもしれない、などと思ってしまった。
馬の声を聞くことが必要だ、と著者はいっている。

以上は、まだまだ本の前半部分である。

この後にも、鋭い洞察が登場する。例えば働くことと愛することについて。
フロイトの考えによると、人生は「働くことと愛すること」の二つに分けられるという。そして現代は「働くこと」が小舟化し、「愛すること」を飲み込んでいるというのが著者の視点だ。どういうことか。

 いかに小舟でサバイブするか。それがみんなの関心事になったわけです。
 すると、「愛すること」は小舟化する「働くこと」に飲み込まれてしまいがちになる。サバイブすることに必死になると、すべての時間を「働くこと」のために使うようになるからです。
 趣味は自己投資の時間になり、誰かと食事を楽しむはずの時間は仕事のための人脈を広げるための時間に、学校は自分の商品価値を上げるための場所になり、結婚は商取引のようになる。(略)
 それだけじゃない。「働くこと」そのものの意味が変化してしまったのも見逃せません。「働くこと」は本来、お金にならない「する」も含めたものであったのに、今ではお金と結びつかないことは無価値なものに見えてくる。
(略)
「愛すること」は飲み込まれやすく、「働くこと」はお金とばかり結びつきやすい。
 僕らは今、人生がシンプルになりやすい社会で生きている。
99頁

最後の言葉は、まさに今の状況を言い当てていると思う。
人間をシンプルにしていく圧力から、どのように逃れるか。
昨今話題のAI(人工知能)にしても、人間のような知能がAIによって実現されつつあるかのような話があるが、どうなのだろう。人間の知的活動の内、実現できつつあるのはかなり限定された範囲だと私は思う。それを知能全体の働きと誤解しているように見える。あるいは、人間の知能の側を単純化して捉えることでAIの側に近付けている。AI技術の進歩が盛り上がっている裏で、人間観のシンプル化・矮小化が進んでいるように思えて、それが気に掛かる。

小舟化した社会は、「ひどく孤独になりやすい社会」でもあると著者はいう。その中で「愛すること」が失われやすくなっている。
この本の後半は、「小舟化の時代に、いかに「愛すること」を回復するか」というテーマを語っている。

興味を持たれた方は、ぜひ本を読んでみていただければと思う。

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