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母の肖像とロビン・フッド

今年古希を迎える母は、根っからの映画好きである。
平成の初期、まだ、新聞で映画館の上映スケジュールを調べる時代。
基本、思いつきで行動する母は
「あら、これまだ間に合うわ」
と、まだ小学校低学年の私を吉祥寺の映画館によく連れ出した。
低学年だろうが、自分が観たい作品を選ぶので、
子ども用のアニメを一緒に観た記憶はない。
特に印象に残っているのは、
ケビン・コスナーの「ロビンフッド」だ。
母はケビン・コスナーの大ファンだったのだろう。
今でもあれは名作だと回顧している。

観たのは、吹き替えではなく字幕。
当然、幼い私は英語もわからないし字幕も読めない。そこで出た母の暴挙が、ボソボソと私に字幕を読むという行為。もちろん空いている時間、周りに人のいない端の席。けれどやはり禁忌行為…
ごめんなさい。

でも約2時間、母は滔々と私に続けた。
ロビン・フッドの精悍さ、迫力はさることながら、私は母のその肖像が今でも鮮明に思い出せる。

今思えば、わざわざ小さい子どもを連れて行かなくても、姉もいたので留守番もできただろうし、私が学校に行ってる時間を選んでもよかったはずだ。

でもきっと一緒に体験したかったのではないだろうか。娘とロビンフッドの大冒険を。

その気持ちが母となった今はよくわかる。
私も幼い娘を連れて、宝塚を観に行く。子ども向けの演目などないが、しっかりと、事前予習をする。例えばハプスブルクの歴史を教えてみたり、平安王朝の政力争いの基礎知識を図解してみたり。(上演中は静かにしています)
あの手この手で「一緒に楽しめる」工夫を凝らして。
おかげで娘は映画やドラマやお芝居が大好きだ。

母の血は孫まで脈々と受け継がれている。

もしかしたら、ただ生きていくためだけには必要がないかもしれないエンターテイメントの世界。
その存在価値はこのコロナ禍において大いに問われた。
しかし、どうだろうか。
映画やエンターテイメントの世界を通して家族の暦がまた築かれているのも事実だ。

ありがたいことに今でも元気な母。たまに会っても、他愛ないことで口喧嘩をしてしまう。

「ちょっと!WOWOWつかないの?映画観れないじゃない」

我が家に来てはまず毎回同じ文句を言うもんだからつい応戦してしまう。
いつまで経っても情けない娘だ。
そんな時、仲直りのきっかけは今上映されている映画の話だったりする。

「この間観てきたわよ、ほらあの子が出てるあれ」

残念ながら全くどの映画を指しているかは分からないことも多いが、
元気に単館巡りをしている母の様子を聞くと安心するのも娘心だ。

さて、こう書いていたら、何十年かぶりに一緒に映画館に行きたくなった。
孫も並んで三世代鑑賞といこうか。

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