楽しむ

今、精神状態が良いからこれを書いている。
精神状態が良いということは、本来の自分、こうでありたいという状態のこと。

俺が就活をし始める前の頃は、ダメでクソな自分から脱却しようと、自分のそれまでの思考や性格を改革しようとしていた。

俺が20歳まで「楽しい」「面白い」「生きてる」と感じるのは、決まって学校や社会で盛り上がっている事柄や楽しいとされている行事に対して気の合う仲間と茶化したり腐したりしている瞬間だった。例えば、クラス一致団結みたいなしょうもないテーマを掲げる文化祭や体育祭などに一応ダラダラと参加し、部室という秘密基地に戻ると気の合う友達とクラスの中心人物を小馬鹿にする話で盛り上がった。それ以外にも、通学路ではないルートからこそこそ帰宅するカップル、夏休み明け急に髪型を変えてくる同級生、良い歳して体育祭で生徒と一緒に汗を流す若い先生、目につく範囲のキラキラした青春全てに対して斜に構えていた。俺にとってはそれらを気の合う友達と馬鹿にしている瞬間が青春だと感じていた。爽やかで清々しい青ではなく、暗くて醜い青だけど、確かな青春だった。また、楽しくないから文化祭や体育祭には参加しませんと割り切った選択はできない、卑怯者で小心者だった。

でも、20歳を過ぎたあたりで、そういう思考や性格は大人になり一般社会に出ると絶対に通用しないと感じていた。通用しないどころか自分の人生が暗く面白くなくなっていく一方だと思っていた。だからどうしてもその自分から卒業しないといけないと思った。どうしても矯正しないと逆に苦しくなると考え、俺は自分の心を解体した。
なぜ文化祭や体育祭が嫌いなのか。なぜ同級生同士のカップルをしょうもないと感じるのか。なぜ一生懸命楽しむ先生を嫌うのか。そして、なぜそれらを放っておけば良いのに、茶化したり腐したりしてしまうのか。色々考えた末、それまでの自分を否定するようで悔しくて情けないけど、その答えは嫉妬と保身にある気がした。本当は自分もそういう楽しみ方をしたいけど、勇気がないから安全圏から攻撃することで自分を保つことができる。ずっと一番楽をして自分を満たせる方法をとっていた。それに気づいてからは自分の心に正直になって、自分が否定してきたけど本当は手に入れたい楽しみや喜びのために行動した。たくさん人とコミュニケーションを取った。そうすると人生は楽しくなっていった。

しかし、今またなぜか20歳前の状態に戻ってしまった。やっぱりこれが本当の自分なのか。本当に人生を楽しむためにどうすれば良いのか。また今から考えていく。

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