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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 03.ハワイ島HAWI(ハヴィ)へGO!

溶岩大地を突っ切る19号線

2004年10月、わたくしはハワイ島を紹介する本の取材のために、ハワイ島へ上陸しました。ハワイ島は何度も来ていましたが、本を書こうとして、何も知らないことに気がつきました。溶岩大地の中を走る19号線についても、この取材の時に知りました。この溶岩の中を突っ切る太い道が開通したのは1975年。わたくしより年下なんです。それまで、山側を走る現在の190号線が19号線やったそうです。

現在の19号線は、空港から北では、溶岩の中を突っ切るようにして走っています。生えてる植物は溶岩と道路の間に生えてる草だけ。溶岩は、カイルア・コナのすぐ近くにあるフアラライ(標高2521m)や、ハワイ島で2番目に高い山マウナロア(標高4169m)から流れ出たものです。真っ黒な溶岩がもっとも新しものやそうで、最後に溶岩を流したのは1984年だと聞いてびっくりしました。そんなに昔の話ではありません。っていうか、現在の19号線が開通した後のことです。


ハワイの道路は、火山が吹き出すたびに溶岩にさえぎられ、修復されていました。道路だけでなく、家や町が消えてしまうこともありました。そういう情報は本を書くために勉強して知りました。ハワイ島はでっかいだけ、と思っていて、イルカと泳ぐことにしか興味を持っていなかった自分をちょっと恥ずかしく思ったりしたのでした。


前置きが長くなってすいません。わたくしが、この取材で真っ先に行きたかったのがカメハメハ1世が生まれたとされる場所でした。

ハワイ島の北西エリアについて

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ハワイ島の北西エリアについて、簡単に説明させていただきます。

ハワイ島には、キング・カメハメハというホテルがあります。カメハメハ1世が晩年を過ごした海岸線に建てられたホテルで、コナ空港から南へ下ったカイルア・コナという町にあります。コナ空港から15分ちょっと南下すれば着きます。

ハワイ島には島を一周する道が走っていて、カイルア・コナの町から南へ向かうのが11号線。北へ向かうのが19号線です。なので、コナ空港からカイルア・コナへ行く場合は19号線を南下することになります。カイルア・コナ周辺は、住民がどんどん増えているので時間帯によっては渋滞することがあります。

1枚目の写真は、コナ空港から北へ走る道で撮ったものです。何もないだだっ広い道なので、スピード感覚がおかしくなります。だらだら走っているつもりなのに、対向車が一瞬で通り過ぎ、びっくりしてスピードメーターを見ると時速60マイル(100キロ近く)もあったりします。あ、そうそう、アメリカのクルマはマイル表示の場合が多いので、それも注意せねばなりません。

どうして何もない溶岩の中にこんな道が造られたのか?

お金持ちで有名なロックフェラーが、コハラエリアの絶景に惚れ込んでホテルを造ったのが始まりやそうです。1965年にマウナ・ケア・ビーチホテルをオープンさせ、それ以降いろんなゴージャス・ホテルが造られ始めます。そして、溶岩の中を走る現在の19号線が造られました。

カメハメハ1世が生まれた場所は一番北のHAWI(ハヴィ)にあります。19号線はHAWIに向かう手前で西へ折れ、内陸にあるワイメアという町へ向かいます。

ハワイ島北部を一周する19号線は、どうしてHAWIを通らないのか?
地図だけ見ていると、なんでやろ?と思ってしまいますが、実際HAWI方面へ行くと納得します。ワイメアへ向かわずに北上する270号線の終点にあるのは、大きな崖っぷち。その先に道を造ることは不可能なのです。

ここにもカメハメハ1世

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19号線は西へ折れてしまいますが、さらに北へ進む270号線があります。そこへ入ってすぐに、プウコホラ・ヘイアウという観光スポットがあります。そこにあるのは、カメハメハ1世がハワイ島を統一する前に造ったヘイアウです。

ヘイアウとは、ハワイの古代宗教の神殿みたいなもの。日本の神社みたいな存在で、お願い事があるとお参りしたりします。が、後期は主に戦の神のような扱いを受け、生贄が捧げられたりしました。

現在、ここには博物館のようなものが建てられ、プウコホラ・ヘイアウについて説明する資料がたくさん展示されています。もちろん、カメハメハ1世についても丁寧に説明されています。が、わたくしが訪れた2004年はまだそんなものはありませんでした。歴史を語る上ではここも重要な場所なんですけど、今回はすっ飛ばします。

それから、前回、ハワイ島の王カラニオプウの息子を、カメハメハ1世が倒した、と書きました。これについては、カメハメハ1世生誕の地へ行く前にちょっと調べてみました。単に、カラニオプウの息子より、カメハメハ1世の方が人望が厚かったようです。カラニオプウが亡くなった後、カラニオプウの息子は、ずっと目障りやったカメハメハ1世をやっつけようとしましたが、逆に簡単に倒されてしまいました。

このあたりのことは、カメハメハ1世の話を書くときにでもまたご紹介させていただきます。

ハワイ島の一番北へやってきました

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270号線は海岸線を走って、HAWIへ到着します。観光ガイドブックなどで見ると、この辺りはハワイ島の上のちょろっと出っ張った小さな半島のようです。が、ハワイ島は四国の半分もある大きな島です。HAWIの住宅街だけで、東京駅から新宿駅までの広さは余裕であります。どうしてこんなところにこんな住宅街があるのか。かつてここにシュガーケインプランテーションがあったからです。サトウキビ畑です。

シュガーケインプランテーションの時代(日本で言うと明治後期から昭和初期)、日本からの労働者移民がたくさんやってきています。なので、HAWIにも日本語名のお店がいくつもあったりします。わたくしはめっちゃ好奇心を刺激されたのですが、これまた今回はすっ飛ばしてカメハメハの話。

HAWIの町に入る前に、海へ向かって降りていく道があります。突き当たりにはウポルエアポートという小さな空港があります。日本の無人駅みたいな感じで、誰もいません。とてもキレイな風景なので、近くへ来るたびに寄り道してしまうんですけど、今まで飛行機を見かけたのは1度だけ。白人のおじいさんが操縦するセスナ機でした。ひとりでやってきて、空港で自分のセスナ機を眺めて、すぐに飛び去って行かれました。

カメハメハ1世が生まれたとされる場所は、このウポルエアポートの手前にある舗装されていない道から向かいます。

。。。。つづく

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