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ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 32.初めての日系移民が到着します

セント・アンドリュースを建て始めたのはカメハメハ5世

第29話で、セント・アンドリュースという教会について紹介させていただきました。カメハメハ4世夫妻とアルバート王子の姿がステンドグラスにある教会です。この教会が造られることが決まったのは1860年、カメハメハ4世の時代ですが、カメハメハ4世が亡くなってから、そのままになっていたそうです。カメハメハ5世はこの工事をスタートさせます。

もう一度簡単に書いておきます。

カワイアハオ教会/オアフ島で初めての教会
・1842年完成
・プロテスタント
・アメリカから来た宣教師が建てた

カメハメハ4世&カメハメハ5世はアメリカ旅行で差別を受けたことが理由でアメリカが嫌いだったので、この教会が嫌いだったみたいです。で、イギリス系の教会を造ろうとします。

セントアンドリュース教会
・1860年造ることが決まる
・プロテスタント/イギリス国教会

イギリス国教会はプロテスタントですが、イギリス式の教会です。アメリカの宣教師がいっぱいいるハワイ王国では異質で、カメハメハ5世がスタートさせていなければ、そのままにほったらかしにされていたかもしれません。なので、セントアンドリュース教会の生みの親はカメハメハ5世と言っても良いようにわたくしは思います。

・1867年 カメハメハ5世が着工させる

が、残念ながら、カメハメハ5世はこの工事が完成する前に亡くなってしまいます。なんとも切ない。

1868年4月 ハワイ島南部でハワイ史上最大の地震が起きます

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1868年4月、ハワイ島南部で、マグニチュード7.9という大きな地震が起こります。ハワイで歴史が記録されるようになってから、こんな大きな地震は起きていません。なのでこれはハワイ史上最大の地震みたいです。

震源地は、ハワイ島南部のサウスポイントからキラウエアの間のあたり。かなり大きな地震で、わたくしが最初に読んだ資料では、ハワイ島南部で大きな地震としか書いてなかったので、被災したのは南部だけだと思っていました。が、それは間違っていました。現在は、wikipediaでも紹介されています(英語ですけど▼)
https://en.wikipedia.org/wiki/1868_Hawaii_earthquake

地震の被害はキラウエア周辺だけでなく、ヒロ、コハラ、ワイピオまであったそうです。オアフ島やカウアイ島まで揺れたそうで、記録が残っている地震で、ハワイ最大です。

人口が今と比べてはるかに少ないその時代に、死者77人という大災害でした。

これはカメハメハ5世が38歳(正確にはまだ37歳)の時の話です。カメハメハ5世は救済活動を積極的に行った、と聞いたことがあります。ハワイ王国を愛するカメハメハ5世の気持ちがよく分かる出来事でした。

そして、これはカメハメハ5世が38歳の時で良かったのかもしれません。今までのように若い王だったらこれだけすぐに対応できてなかったかもしれません。

1868年6月 日本からの移民が到着します

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同じ年の6月、日本から初めての移民、153名が到着します。この移民は、ハワイ王国と江戸幕府との間で契約されたものでした。1868年といえば、明治維新の年です。移民がハワイに到着した数ヶ月後、江戸幕府はなくなります。1868年10月のことでした。この移民は、ほとんどが男性だったそうです。そして、契約していた江戸幕府が消えてしまったため、1885年までは、次の移民はありません。

後に彼らは「元年者」と言われたそうです。

この写真は、元年者がホノルル港に到着した時に撮られたものみたいです。この時代、まだアロハタワーはありません。彼らはどんな気持ちでやって来たのでしょう。この中には、幕府側の武士が隠れるように乗っていた、という話も聞いたことがあります。いろんな人生があったわけですね。

※ちなみに、この移民契約は本当に奴隷みたいな内容やったそうで、新しい日本政府(明治政府)はこれに対し抗議をしています。その結果、1870年に約50名が帰国したそうです。残り約100名はそのままハワイで労働者として生きていきます。

※この約50名は武士だったから、と書いてあるWEBサイトがありましたが、それは違うみたいです。

※上の写真は1899年に撮られた写真で、元年者ではありません。

※清(中国)からの移民が到着したのは1852年です。

わたくし、2004年にハワイ島の本を書くための取材で、ハワイ島に滞在したことがあります。その時、HAWIを探索している時に、どっから見てもフィリピン人という若者に、英語で話しかけられました。
「オレのおじいちゃんのお父さんは日系人だった。元年者だと言っていた」
ちょっとややこしいですが、彼は4世ですね。が、聞いた話では、彼のおじいちゃんの段階でハーフやったみたいで、日本語は全く話せなかったそうです。元年者は女性が少なかったので当然かもしれません。彼は日本語を全く知らないみたいでしたが、元年者という言葉は知っていました。でも、意味は知らないんやろうなあ。

わたくしの英語力では、それは確認できませんでした。

カメハメハデーがスタートします

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アメリカの南北戦争終了後、アメリカ合衆国は、ハワイの砂糖に関税をかけてきました。カメハメハ5世はこの関税をなくすため、1867年からいろんな交渉をしてきましたが、1870年、正式に断られてしまいます。カメハメハ5世は、ここでハワイ王国の無力さを知り、かなり落ち込んだそうです。

その翌年、カメハメハ5世はあることをしています。カメハメハ5世の誕生日を祝う12月の記念日を、6月に変更し、カメハメハ1世の記念日としているのです。こうして、カメハメハデーが作られます。

カメハメハスクールのWEBサイトにカメハメハデーについて書かれています(英語です)▼
https://www.ksbe.edu/article/the-history-and-evolution-of-kamehameha-day/

ちなみに、昔のハワイでは、ライバルからの呪いを避けるため、高貴な人々の誕生日は公にされることがありませんでした。なので、カメハメハ1世の誕生日も公になっておらず、6月がどう関係あるのかはよく分かっていません。とにかく、カメハメハ5世は、人々の目を、ハワイ王国をつくったカメハメハ1世に向けようとしました。

カメハメハデーをつくったことは、ハワイ王国にとっては何のプラスにもなっていないかもしれません。が、その後、7代目カラカウア王の時に、カメハメハ1世の像が造られ、ハワイ王国が滅びた後も、カメハメハデーは続くことになります。

そして、ハワイ王国に、カメハメハではない王が登場します。

。。。。つづく


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