ハワイタイムマシーンZ/太平洋のど真ん中で 10.ハワイ王国ができるまでのハワイその2
昔のカウアイ島を描いた絵
ハワイ王国ができるまでの歴史がなんとなくわかったおかげで、ハワイの旅がすごく楽しくなりました。今まで意味不明やった風景が一気に繋がった感じ。
上の絵は、カウアイ島のプリンスヴィルにある、高級ホテル「プリンスヴィルリゾート」のロビーに飾ってあるもの。何も知らないと、これはただの風景画です。が、よく見ると、海に浮かんだ船から光るものが打ち上げられています。これは何か? プリンスヴィルリゾートで働いている、ハワイアンの血を引くスタッフに教えてもらいました。
・これは遠い昔、この地のハワイアンがやっていた祭りごと
・いいことがあると、火をつけた棒を投げ飛ばしていた
これは、祭りごとをするハワイアンを描いた、昔話のような絵やったのです。わたくしが知らなかっただけかもしれませんが、そんな”しきたり”なんか、他の島では聞いたことがありませんでした。ウル&ナナウル系の子孫がやっていた祭りごとなのか、カウアイ島だけで行われていた風習なのか、そこまで突き止めることができませんでしたが、すんごく満足してしまいました。ハワイ王国ができるまでのハワイにも文化があったのです。
ケアイヴァヘイアウで想うこと、感じること
カウアイ島だけではありません。例えば、オアフ島にはたくさんのヘイアウがあります。ヘイアウとは何か、もう一度書かせていただきます。
・ヘイアウはハワイの原始宗教の神殿みたいなもの
・布教する場ではなく、神への感謝を伝える場所
・王族しか入れない&女人禁制など厳しいルールがいっぱいあった
日本の神社みたいなものなので、それぞれの島の大事な場所に造られていました。日本の神社と違うのは、気安く入れないこと。ほんまにあちこちにありましたが、身近な場所ではなかったみたいです。ハワイにキリスト教がやってきて、ハワイ王国が入信したため、ヘイアウは忘れ去られ、壊されたりしました。
わたくしは、ハワイへ上陸してから、いろんなヘイアウへ行きました。いろんな人から「ヘイアウは古代ハワイの神殿みたいなところ」と教えていただきましたが、それ以上の詳しい説明はありませんでした。記録がそんなにないのは、ハワイアンに文字を教えたのはキリスト教の牧師たちやったから。キリスト教となったハワイアンが、ヘイアウについて文章にすることはほとんどなかったわけです。
まあ、でも、日本の神社も正確に説明しろと言われたら難しいかも、と思うんですよね。そこに立派な神社が残ってるから「あれやんか!」と返事できますが、それが何なのか、については、ほとんどの人は詳細に説明できないのではないでしょうか。
ちなみに、ハワイアンの神は、根本的に「西洋人が考える神」とは存在が違います。ハワイアンの神話の中では、神は感情を持っていて、怒って人を殺してしまうこともあります。神が人間と恋に落ちたりすることもあったそうで。そのあたりのお話については、フラをやられてる方の方が詳しいと思います。わたくしはやめときます。
そして、1775年のハワイ
これは、ハワイタイムマシーンZ第2話で紹介させていただいた(ワイキキのアーミーミュージアムにある)写真に手を加えたもの。初めて見た時は意味不明やった地図ですが、ハワイの歴史が少し分かると、とても興味深く見てしまいます。この地図に描かれているのは、1775年のハワイです。ハワイには人が住める島が8つありますが、王がいたのは4つの大きな島だけ。小さい島々は4つの島々のどれかに属しています。
・カウアイ島、ニイハウ島
・オアフ島
・マウイ島、モロカイ島、ラナイ島、カホオラヴェ島
・ハワイ島
ISLAND CONTROL,1775 と書かれています。1775年当時のハワイ、という意味です。下に4人の名前が書いてあります。1775年にそれらのエリアを仕切っていた王です。
・カウアイ島 カマカヘレイ
・オアフ島 カハハナ
・マウイ島 カヘキリ
・ハワイ島 カラニオプウ
王の名前の前に、Chief と書いてあります。直訳したら「組織の長」です。ハワイ王国になる前のことなので、キングとは書かなかったのでしょう。そして、カウアイ島だけ Chiefess と書いてあります。カマカヘレイはカウアイ島の女王さまでした。
学んだのでわかります。みんな、ウル&ナナウルの子孫ですが、ハワイ島だけ、ピリの末裔です。
当時のハワイアンが何を食べていたか。そんなことも調べました。アフプアア(ハワイ特有の土地区分/詳しくは前回の記事をご参照ください)の存在を知ったので、サカナを食べるだけでなく、農業もやっていたことが分かりました。当時のハワイアンは、畑でタロイモを育て、ポイを作ったりしていたんです。いろんなことを知った上で見ると、こんなにシンプルな地図も、なんだかジーンと来るものがあります。
ちなみに、農業をやっていた、と言っても、豊作ばかりではなく飢饉の時もあったみたいです。4話目に、ハワイアンが尊重していた4つの神さまを紹介させていただいてますが、その中に、ロノ(農耕と平和の神)がいます。常に豊作であれば、そんな神さまは登場しないでしょう。ハワイアンは、豊作の場合、我を忘れて大騒ぎしたようです。収穫祭ですね。
1778年。キャプテンクックがハワイにやってきた
そんなハワイに、西洋人が現れます。
1778年。イギリスの探検家、キャプテンクックがハワイへやってきます。3回目の世界一周大航海の途中でした。タヒチから北上してる最中にハワイ諸島を「見つけ」ます。オアフ島も見つけていたそうですが、上陸したのはカウアイ島ワイメア。ちなみに、上の写真は、カウアイ島ワイメアにあるキャプテンクック像です。当時のカウアイ島は、1775年のハワイ図にあるように、女王、カマカヘレイが仕切っていました。どんなに歓迎されたか、とか、紹介してるWEBサイトは結構あるのでここでは置いときます。
ハワイ史を勉強されてる方の話では、ハワイへやってきた異邦人(ハワイアンでない人)はもっと昔にもいらっしゃったみたいです。流されてやってきた人なんかもいたそうですが、その話も置いておきます。
わたくしが書いておきたいのは、1778年の世界の状況です。1778年といえば、日本は江戸時代です。スペインとポルトガルが世界を取り合っていた時代はとっくに終わっていて、イギリス、フランス、オランダがあちこちに植民地を作っていました。何より覚えておかねばならないのは、アメリカが、イギリスの植民地から独立してアメリカ合衆国になった頃だということ。
アメリカが独立を宣言したのは1776年です。そんな大変な時期に探検なんかやってて良かったのか?と思ってしまいますが、当時は今とは状況が違います。大航海は何年もかかる本当の航海でした。キャプテンクックがハワイを見つけた航海(人生3回目の大航海やったので第3回探検航海と言われています)も3年以上かかっています。
・1775年4月 アメリカ独立戦争が始まる
・1776年6月 キャプテンクック第3回探検航海出航
世界中に植民地を持っていたイギリスにとって、一部の植民地の反乱なんて大したことない出来事やったのかったのかもしれません。
※独立を宣言した時のアメリカは、東海岸の13州だけでした。まだ、小さな国やったんです。
。。。。つづく
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