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「ロッキー青木が企画した       アメリカ流”冒険”は              成功するか」

97年2月号

 「冬キャンプに行こうぜ、道具もそろいつつある」と、毎年夏に野遊びに出掛ける仲間からの誘い。やつめ、ついにボーケンに目覚めたらしく、この夏はご来光を見るんだと夫婦でどっかの山へ登ってきたあげく、次はいよいよ冬山ですよ。再来年には太平洋横断だな、これは。
 言い分としては「不便が楽しそう」ということだそう。ま、非日常を楽しむボーケン気分というやつでしょう。けっして、漢字の冒険ではないところがよろしい。思い返せば、夏の野遊びだって、今年はドシャ降りの雨の野宿だったし、去年は香港で買ってきた一本2万円もしたバランタイン30年の紙コップ酒。その前年は、黄色い虫との格闘のあげく、足が丸太のように腫れ、一本6500円もする注射を打つハメになった。毎年、けっこうなボーケンでしょう。いっちょ、冬山のお誘いにもノって差し上げましょう。
 などというツカミで、今回はボーケン考。 わが家は、東京のかつての大動脈・隅田川(大川)の最下流にある人工島・月島にあります。この島は大川と運河に囲まれていて、運河べりには地図に載っているわりにはチンケなマリーナ(どうぞ、関係者が読んでないように)があって、腐って半分水没した桟橋からは、毎朝八時ごろ、青い小型船が何艘も、焼き玉エンジンなんでしょうか、ポンパンポンパンにぎやかに出勤していく。夜には、近道を求めて運河に入り込んだ屋形船が行き交い、障子の陰に映る客人らの姿で、ああ酒がすすんで楽しそうだというのが分かります。ちなみに、刺し身とテンプラが定番です。
 この島に越してきた五年前。やはり、この島の32階建て公団の最上階に住んでいて、ベランダで焼き肉を楽しんでいて、酔って、生焼けのタン塩を落としていまったが、缶ビールはなんとか守り抜いたという別の友人が、エンジン付のゴムボートを手に入れたと聞いて、あるボーケンを思い付きました。名付けて「お台場夜襲上陸、トンズラ作戦」です。
 青島都知事の博覧会中止の決定で宙ぶらりん状態とはいえ、臨海副都心はデートに家族連れに大にぎわいです。今ではフジテレビをはじめヘンな形のビルがいくつも建っていて、もちろん、レインボーブリッジもある。
 いわゆるお台場公園といわれる第三台場の周辺は、おしゃれなレストランが立ち並び、週末には長い行列ができる店もあるほどです。しかし、当時は、レインボーブリッジもなく、お台場公園には屋台のアメリカンドッグ屋さんぐらいしかなく、海岸にはなぜかボードセーラーが集まっていたのです(この夏もいることはいましたがね)。
 その第三台場の沖合100メートルに浮かぶ第六台場は、高さ約5メートルの断崖絶壁の石垣に阻まれた孤島。それが作戦の目標でした。ちなみに数字はデタラメ、もとい、おおよそです。作戦は、この第六台場に夜陰に乗じて強襲上陸し、たき火を囲んで宴を催し、当局にバレたら逆ルートで撤収、あらかじめ本土側に用意した車に乗って一目散に逃げようという一分のスキもない完璧なものでした。
 申し添えてると、台場とは黒船対策に江戸幕府が建造した大砲の土台。歴史的建造物に指定され、たき火禁止の立て札が立ってある。もちろん、たき火の跡は多く見られるし、ペットボトルをはじめとしてピクニックのゴミが散乱していました。驚きませんけど。
 さて、作戦はどうなったかといえば、案の定、企画倒れ。友人は新たなボーケンに目覚め、一級船舶免許を取るやいなや、沖縄に移住してしまいました。
 

私はむなしく、目の前の越中島にある東京商船大学の大型帆船明治丸を眺めながら、「マドロスさんとなって、あんな船に乗って異国へ行ければなあ」と溜め息をつく日々なのです。あるいは、新橋辺りの炉端焼きに商船会社に勤める友人を呼び出し、二人で三匹出された子持ちししゃもをどう配分するかと悩みながら、彼の異国の話題に耳を、そして杯を傾けるだけで満足するのです。

 台場ボーケン未遂の私より、ボーケンには適当な題材を仕入れました。気球に乗って太平洋を渡ったり、パワーボートで大ケガをしたステーキチェーン、ベニハナのロッキー青木さんの話題です。彼のこんどの”冒険”は、約百年前に座礁したお宝船?シンディア号の発掘だそうです。
 多少長くなりますが、興味深い話なのでシンディア号の座礁までの前史を紹介します。 シンディア号は全長330フィート(約110m)の四本マストのバーク。1887年に英国で建造された鉄鋼船で、偶然にも、あのタイタニック号と同じ造船所で建造されたそうです。
 この貨物帆船は1901年12月、最終目的地のニューヨークを目の前にして、ニュージャージー州オーシャンシティー沖で座礁、そのまま放棄され、今にいたっています。というより、砂に埋もれて地面の下。だから、引き上げでなく発掘なのですが。
 当時はアメリカの石油王、ジョン・D・ロックフェラーの所有でした。わが国お台場が迎え撃とうとした蒸気船「黒船」がやってきてから数えても、半世紀も過ぎたころの話ですが、最近、文庫化出版された『帆船時代のアメリカ』(堀元美著、朝日ソノラマ)によると、このころのアメリカでは、《フルトンが最初の蒸気船を造ってから、もう百年にもなろうという二十世紀の初頭には、まだ帆船の方が汽船よりも多かったのである》とあります。
 座礁の前年6月、中国・北京では義和団の乱(北清事変)が勃発しました。「扶清滅洋」-日本で言えば尊皇攘夷ですかね-をスローガンにした”排外運動”に対して、日本を含む列強八カ国の連合軍が出兵し、北京を占領・鎮圧したという、映画

『北京の55日』でも描かれた事件です。この際、外国軍隊が寺院などから仏像や貴重な工芸品などを略奪したことは想像に難くありません。
 その一年後7月、上海に錨を下ろしたシンディア号の姿がありました。中国向けに石油を運搬してきたあと、中国の物産をアメリカに持ち帰ろうというのです。英国領事館に残された積み荷目録によると、ここで積まれた貨物のひとつは、二百個の竹籠に入れられた石でした。とりわけ珍しい石というわけでもなく、ニューヨーク近郊でも充分手に入れることのできるものです。バラスト用とも考えられますが、インボイスの宛て先を調べてみると、幽霊会社なのです。怪しい。
 はたして、何が入っていたのか。石と偽ってお宝だったのではないか、と思いは広がります。現に、座礁時にようやく救出された一部貨物には、こま犬のような一対の獅子像が含まれていましたが、これも積み荷目録には記載されていなかったのです。オーシャンシティにある記念館に所蔵の引き上げ品の壷と同型のものが、あるオークションで数千万円の値段がついたという話もあるそうです。
 シンディア号は、上海から神戸に立ち寄りここでも東洋物産を積載後、太平洋を横断し、ホーン岬を越えてニューヨークに北上中、難船した…
 義和団の乱、ロックフェラー、タイタニック、神戸に寄港…と役者はそろっているのです。
 このシンディア号を文字通り掘り出そうというのが、ロッキー青木の新しい冒険。もっとも、記者発表文には《総額1000万ドルを超過する大規模な》プロジェクトとあるから経済的な冒険=ベンチャーかもしれません。
 で、お宝がなければパァ?
 いえいえ、心配ご無用。発掘作業自体をイベント化し、巨大スクリーンを設置するなどして、二年間で有料入場者百万人を見込んでいるのです。それで計算が合うのかどうかは、アナリストでない私は、英文の目論書を見ても分かりません。ロッキー青木に言わせると、「日本では暗いニュースが多い。いくら儲かるかではなくて、ロマンがあってもいいと思う」「地震後の神戸になんらかの形で発展のお手伝いをしたい。宝でなくても当時の神戸から持ち出したものを、里帰りさせることも考えている」とは、ま、事業家としてもアメリカン・スタイルな発言ですねえ。
  いずれにしても、私はボーケンにも冒険にも無縁のようです。いや、だからといって、ボーケンしたくないわけじゃない。「今に見ておれ、おれだって」とつぶやきながら、杯を傾けると、おっといけない、結構、現状に満足してら。やはり、冒険小説を読むのが関の山か…。

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