陰キャラと陽キャラってなんだろう

「ふじもとは陽キャラじゃん」
先日、久々に高校時代の級友たちと集まり、鍋を突いていた時に言われた一言に僕は少したじろいでしまった。

「陽キャラ」。陽気で、外向的な性格、キャラクターを指すその言葉が僕に向けられてることに物凄い違和感を覚えた。
話すことは好きだ。自分の体験したこと、面白かったことを相手にひけらかすのは苦じゃない。むしろそれで笑ってくれるのならば嬉しいとすら思う。気の合う友人と爆笑しながら交わす酒は家で飲む酒よりも美味い。そう思っている。それが陽気で、外向的なのだろうか。

昔、また別の友人の車に乗っている時にキュウソネコカミの「何もない休日」が流れた。

ようつべばっかり眺めて 気が付いたら 夜になってる
「何もない休日」キュウソネコカミ

その友人からは「お前みたいな奴の歌詞だよなこれ」「こういう休日は過ごしちゃダメだよ。陰キャになる」と言った旨の話をされた。

「陰キャラ」。陰気な性格・キャラクター。これもこれで、自分を指す言葉としては違和感がある。確かに僕は毎週末どこかに出かけるようなタイプではない。ひとりで自分の部屋にいる時間が好きだ。好きな音楽を聴きながら、こうして文章を書いてる瞬間が好きだ。好きなYouTuberの動画や映画を見てる時間が好きだ。何も気にせず寝てる時間が大好きだ。どうでもいい相手と飲む酒よりも家でひとりでまったりと飲む酒のほうが美味しい。そう思っている。それが陰キャなのだろうか。

「陰キャ」自体を完全に否定するつもりもないが、自分の好きなことをしているだけなのに非難される筋合いは少なくとも無いなとキュウソの流れる車の中で思ってしまった。まあ、それはまた別の話なのだが。

「陽キャ」とも「陰キャ」とも言われる自分の軸は、本当の性格は、キャラクターは一体どこにあるのだろうか。それとも視座によって全く異なる見え方する人間なのだろうか。

別に「人を二極化させるな!」なんて主張がしたい訳じゃない。勿論、人間を2パターンに分類するなんて出来ないし、そんなに人間は簡単じゃない。かといって、森羅万象全てのことに「傾向」を見出すことは不可能ではないと思っているし、そんなに人間は難しすぎないとも思うのだ。矛盾してるようで、その矛盾が、そのファジーさが好きだったりする。

僕は陰キャでもあるし陽キャでもある。ということに今はしておこう。そんな曖昧な自分がなんだかどうして誇らしい。
そしていつか、陽キャでも陰キャでもなく、「自分はこういう人間だ」と明確に言えるような人間になりたい。
これが自分らしさだ。

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