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2020.05.30/2020.07.18

5月に父方の祖父が亡くなった。

私と父親、そしてその親族とは4年前から絶縁状態である。連絡先も知らないし、今回の訃報も母と妹には直接連絡が来たが、私には来なかった。それは彼処の問題ではなく、此方から拒絶しているからに過ぎない。

葬式にも母を通して呼ばれたが、祖父との最後の別れよりも、父親、そしてその家族と顔を合わせたくないという思いが強く、私は参列しなかった。

故人の事を悪く言うつもりは無いが、思い返せば、祖父とも良い思い出らしい思い出は無い。仕事人間だった祖父は正月も顔を出さず、幼少時代は滅多に会う機会も無かった。退職後も、祖父とその子供、つまりは私の父とそのきょうだい、私の叔父叔母達と何かにつけ反発し合っていた姿を見ているのは、気持ちの良い物では無かった。正月に親戚一同顔を揃えて食事をしているのに喧嘩に発展しているのをタダの孫である僕が止められる訳もなく、ただ小さくなってその行く末を見ている時間は、虚しかった。

祖父や父、父方の家系は家族の在り方よりも家族という形式に拘っている節があった。そして勉強して良い高校、大学に入り、一般的に良いとされる職業に就く、それが当然だという、漠然とした雰囲気が充満していた。僕はそれが凄く嫌だったし、彼らから見たら僕は多分、そのレールから外れた人間だった。

父方の家庭は家族という形式への拘り以上に、外面を過剰な程に気にする節があったように思う。私と父の最後の会話となった、家を出る事がバレた時も、自分の家がどうのこうの、という話よりも前に、父は赤の他人の話をしだした。この期に及んで自分の家族よりも周囲からの体裁を気にする。そんな父の姿に私は酷く失望し、そのままの足で家を去った。

祖父はその業界では名の知れた人だった。だから私の両親の結婚式には何人かの著名人が参列していたと言う。式場だって決めたのは父でも母でもなく、祖父だったと言う。父は兎も角、母からしたら、自分たちの意思で式場も決めれず、いくら著明だろうと知りもしない思い入れも無い人間に式に参列されたのはいい気持ちではなかっただろう。

そんな祖父自身の葬式は、コロナ禍の影響で親族のみの参列になった。本当ならきっとたくさんの人に見送られるはずだっただろうに、現実は残酷だ。見栄と外面を気にする家系の大黒柱の最後は、親族のみのごじんまりとした式だった。その最期に、人生とはこうも残酷なものか、と思った。

お前は大物になる、というのが祖父の口癖だった。最初は私に、その次は妹に、また別の従兄弟に、そのまた別の従姉妹に、何かにつけそう話していた。

祖父が何故、どういう理由で、何を見て、私たちに「お前は大物になる」と言っていたのか、未だに分からない。もしかすると、酒で気持ち良くなって適当に言っていたのかもしれない。口から出任せを吐いていただけなのかもしれない。そうやって祖父は人脈を得ていて、その癖が単に孫たちに対しても出ただけなのかもしれない。


それでも、その言葉にちょっと嬉しくなった当時の事を覚えている。

その言葉が、今の私の原動力のひとつになっている。


先日、友人の結婚式のために久しぶりに地元へ帰った。式の前に、祖父に会いに墓地へと足を運んだ。

昔からその場所にあった墓石には新しく祖父の名前が刻まれていて、改めて亡くなったことを身に染みて感じた。

前日まで雨予報だったのに、天気はピーカン。茹だるような暑さに顔をしかめながら、墓地に備え付けてあるバケツに水を入れ、墓石に水をかけてあげた。

慣れない線香への着火に悪戦苦闘しながらも何とか火を灯し、墓石の前にしゃがみこんで手を合わせた。

おじいちゃん、式に出れなくてごめんね。あなたの思ってた様にはならないかもしれないけど、私が考える「大物」に私自身がなれたら、また会いに来るね。

祖父が眠る墓にそう語りかけた。

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