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レクイエム

2020年秋
6年振りに再会した旧友は真っ赤な車で現れた。
迎えを駅で待つ間、異国の地でたまたま出会った日のことを思い出していた。


・2011

10月 西オーストラリア州 パース
パース中心部の北に位置するノースブリッジでは
夜とうってかわり静かな通りを人々がまばらに行き交い、歩道沿いのカフェテラスからは観光客がビクトリア・ビターを飲みながら笑う声が聞こえた。

スーツケース片手に背中にはドラム缶の形をした大きなバックパックを背負い急ぎ足で歩いていた。移動日に限って天気が崩れる。
今にも降り出しそうな空を見ながら、レイク通りを北に2、3分ほど歩いたところに目的地であるバックパッカーズが見えた。

チャックインを済ませて8人部屋のベッドに荷物を徐ろに置き部屋を出ると、リビングにアジア系の少女がポツンと4人掛けのソファの真ん中を陣取り、テレビから流れるニュースを眺めるように観ていた。

あの……、


お互い日本人で歳が同じと分かると、仲良くなるまでに時間はかからなかった。


・2013

思い出せないほど昔話ではない
ただ、記憶が朧気で今ではその季節も思い出せない。大切なものを大切なもので塗り潰すような
そんなことをしていたと随分後になってから気付いた。

・2014


足りないものにばかり意識が向く様な
そんな毎日を過ごしていたある日
どちらからともなくメッセージのやり取りが始まり、紀州半島の端で再会した。

かき氷がこんなに美味しいと思った夏は初めてだった。甘さと冷たさが口の中から消えゆく中で夏の終わりを微かに感じていた。どういうわけかあの時の別れ際は今でも鮮明に覚えている。

・2020


世の中が感染症の蔓延で混沌していた。
きっと誰もが、そんな現状に少し飽きてきた頃
大人になった少女が真っ赤な車で迎えにきた。

きっと10年前と変わらない
毎日繰り返される感染症のニュースを家で眺める様に観てきたのだろう。この世界はすっかり様子が変わってしまったが、何も変わらない少女がそこに居た。

大人少女はこれまでの海外遍歴を昨日のことの様に語った。どちらかと言えば海外の話よりも時折交える日本で悪戦苦闘した社会人生活の方に彼女の魅力が詰まっている そんな気がした。

移りゆく日々の中、少女は自分だけの道を歩んできた。こんな感染症さえ流行らなければもっともっと離れた異国の地で今日も同じ空を眺めていた筈だ。
そんな大人少女が外の世界で自由を失い、旅行記に栞を挟んでひと休みしているのだと感じた。


もしかしたら
たまには誰かと歩幅を合わせて歩きたいと思ったのかもしれない、はたまた生活圏の外側にいる私が丁度良かったのかもしれない。

コンビニで買った缶ビールを片手に夜更かしをして、次の日の朝には早々に解散した。最後に語っていたのは次の旅の目的地のことだった。


・2021

SNSから無慈悲な動画と写真が飛び込んできた。
(妹が代理で投稿しているようだった)


無音

時が止まった。


偶然にも真っ赤な乗り物に乗って
何も告げることはなく
片道切符の永遠の旅に出掛けてしまった。

・2022

10月1日
SNSが誕生日を知らせていた。

きっとこの世に居ても見た目は昔のままだったであろう大人少女は、ついに大人にはならなかった。

私はまた一つ歳を重ねた。
バカだからつまらないことばかり考えて、大事なことはいつも忘れてしまうけれど


ずっと忘れない。

またね。

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