憧れの形

今日、SEKAI NO OWARIのZeppツアー名古屋編に行った。

思えば、私が初めてセカオワのライブに行ったのは14歳の頃だったので、あの日から10年経ったのか〜!流石に感慨深いな〜!

人生で初めて、夢中になったものだった。キラキラしたものを自分で見つけたこと自体に興奮を覚えていたのかもしれない。ただ、このバンドの何もかもを崇拝していた。


2013年、炎と森のカーニバル at.富士急ハイランド?のライブに行きたい!と父に頼み、家族みんなで行った(当時はまだ、ライブは家族みんなで行くものだと思っていた)。

チケット運が良かったのと、早朝から並んだ甲斐あって、なんとそのライブで最前列をGETしてしまった。もう一生ないだろうな〜。

ライブが始まった瞬間に14歳のみづきちゃんは号泣。憧れというか、私の全てというか、夢というか。それが目の前に突然現れたのです!
終演するまで、ずっと泣いていた。

帰り道、父の助手席に乗りながら、人生で始めてラジオにメールを送ったのも覚えている。「なかじん、ファンタジーの時に私のこと指さしてくれましたよね!」という内容の。当然読まれなかったけれど、ラジオが好きになったきっかけもセカオワだった。

その夜、興奮で寝付けなくてスターライトパレードを永遠と聞いていた。「もう一度あの世界に行きたい、、!もう一度連れて行って!」と本当に思って思って、思いすぎてずっと泣いていた。次の日の朝部活に行けなかったことも覚えている。怒られたので。。


あの頃の私にとっては、この音楽が人生の全てのように思っていた。大好きで、同じになりたくて、苦しかった。この音楽に恋していたのかもしれない(と今書いていて思った)。

あれから10年経って、高校生になり、大学生になった。
受験をし、部活に打ち込み、実家を出て。
仲間ができ、恋をして、なけなしのお金を稼いで。
もう消えてしまいたいと思ったり、人前で歌を歌ったり。
私は今日まで日々、私になっていった。

人の細胞は、6年で全て入れ替わるらしい。

今でもこのバンドの歌を聞くと細胞が疼く感覚がある。あの頃の匂いを全て思い出せる。スターライトパレードを聞いて泣きじゃくった夜にトリップできる。

あの頃の憧れは、きっと今は違う形になった。
この音楽やそれに孕んでいる思想、色、香り、空気が、きっと私の中に溶け込こんだ。

14歳の頃は「同じになりたい」と思っていた。
だけど、同じになったのではない。
私の中に生きているのだと思う。

これはきっと、この世界の全てのことに当てはまると思っている。自分は自分で居ることしかできないから。

(タイミングは偶然なのだけれど、新曲で

「イヤホンに流れる あのバンドは終わりを歌う
細胞が蠢き 今日も私が生まれた」

という歌詞を書いた。
とても気に入っている。)

14歳の美月ちゃん、大丈夫だよ〜
世界はあなたが思っているより、悪いものでは無い!24歳になる私は、そう思います!

そんなことを考えたりしました。
10年後、私は何しているかな〜!

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