何を語るかが知性、何を語らないかが品性 

こんばんは。タクシーのおっちゃんがめちゃくちゃ喋りかけてくる方だったので「電話するのでごめんなさい」と拒否ったときのおっちゃんの悲しそうな顔が忘れられないカルビです。
#ごめんなさい

今日も一筆書きでツラツラと書き綴っていきます。

表題に関してですが、僕はこの言葉がとても好きだし座右の銘くらいに思っています。

youtubeのお仕事をしていて、自分の発する言葉には細心の注意を払わなければと思わされる場面がたくさんありました。もちろんyoutubeだけじゃなく全てにおいてです。

たくさんの人に見られるyoutubeがキッカケになっただけに過ぎず、自分が放つ言葉の影響は大きく、言葉は一人歩きするものだと思っています。

自分が発した言葉は、何かをキッカケに伝言ゲームが始まりどんどんと広まっていくものです。(カルビが勝手にそう思っているだけで実際にはわかりません。)

そしてその伝言ゲームが進んでいく中で少しずつ、内容が変わっていき最終的には全く違ったように伝わるなんてことも…

そしてこのことは、悪いわけではなく

むしろ自然なことだと思っています。

なんの悪気もなく、解釈の違いで本来言葉を発した人が伝えたかったこととは違うように伝わっていきます。

「じゃあ何も話さないことに越したことはないじゃん」
とならないように、そのために前置きがあると思います。

前置きは、とても美しくて
僕のコミュニケーションはめちゃくちゃ前置きが多いです。

例えば
"誤解を恐れずに言うなら…"
とか
"僕が思ってるだけですけど…"
とか

僕の中での最上級の前置きは
"今から言うことは僕が勝手に思ってるだけなので大嘘と思って聞いてください"

このくらいまで予防線を貼りまくります。

そうすると、僕の言葉が
「あくまでその人の考えであって事実ではない」という風に伝わるんじゃなかろうかと感じています。

推測だったり、自分の解釈だったりを話すときは必ず前置きを入れます。

しかし、事実を基に話すときはそんな周りくどい前置きはどこかにぶん投げて結論から話します。

そのくらい僕はコミュニケーションには気をつけているし、これを見た人が"なるほどなぁ"と感じて日本特有の前置き(カルビ調べ)の美しさが見出せたらとても素敵な世の中になるなぁと思いました。
#独り言です

そして、表題に触れていくなら
前置きの部分は知性に当たり

感情に振り回されぬように自分の言葉の与える影響を見ながら黙るときは黙るということが品性なのかなぁとお風呂の中でしみじみ思いました。

品って難しいよね。

PS. ノートは1000文字以上は書くように心掛けています。

それでは皆様、おやすみなさい⭐︎
またね

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