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なぜ狼欒「神宮」なのかについての一考察

※こちらはSound Horizonの7.5th or 8.5th Story BD『絵馬に願ひを!』(Full Edition)のネタバレが前提となります
※2024年8月段階での考察です
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◇ はじめに

「「もし生まれていたのが、何かが欠けたままの片割れではなく、
お互いを補い合える双子だったとしたら、
この世界はどうなっていたのだろうか?

あれ?


私が生まれ育ったのは――――狼欒神宮?」」

16個の因子を集めて正中の鈴を鳴らすと信徒たち
伊咲那美、天野宮比、猿田犬彦、伊坂那美、八島知美、天野御影
の第三の参道へ

狼欒神宮ナレーション曰くAround20周年に向けて新たな旅の始まりとあるので、(絵馬フルの内容からの)狼欒神宮は第八の地平線『Rinne』のプロローグと推測されます。


◇ 1- 狼欒「神宮」

1-1  なぜ「神宮」?

狼欒神社/大社で神社/能楽関係者が姫子に弐拝弐拍手ではなく捌拝捌拍手での拝礼し直しを求めるシーン
ある程度神社の知識がある人はすぐに伊勢神宮の八度拝八開手を思い浮かべたと思います。

社号に関しては[神社]<[大社]<[神宮]と右に行くほど格が高いイメージがなんとなくあります。
(一般的に「神宮」といえば伊勢神宮、「大社」といえば出雲大社とされる)
佐久夜は狼欒神社、石長は狼欒大社、二人揃う世界では狼欒神宮なのはなぜなのか。
伊勢神宮は皇室の御先祖である天照大御神を祀る……ということから秋津(皇)国で一番格式の高い存在である必要があるが、ただ改竄しても歴史がなく信徒も少なければ格式があるとはいえず、神社からはじめて何度も参詣し廻り続けることで由緒ある存在となる必要があるから?というのが最初のイメージです。
後にBDが届き『生まれちゃいけない命など在りはしない!』で新たな神話・新たなヒカリという歌詞から天神であるアマテラスと人間である皇室の系譜へ、神々の時代から(寿命のある)人間の時代へと移行する転換期がまさしく天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの婚姻と出産なので神宮が出てくることに納得した次第です。
 ※神様の子どもなのに寿命があるのはニニギがイワナガヒメとの婚姻を拒否し送り返したことで子孫は岩のように永遠の命ではなくなります
 ※コノハナサクヤヒメは初代天皇の曾祖母

どちらかの姫子を選択するのではなく二人共が存在できる選択の世界がナレーションにあった新たな旅のはじまり、第八の地平線『Rinne』へ繋がる鍵なのでしょうか。

サンホラ的には先にNeinが発売したことによる「不可逆的な時間を"Near Future"Horizonに到達させるためにまず"Nearest Future"を通過する必要がある」とのことから『Rinne』に辿りつくための7.5or8.5の地平線であり、関係者ズは絵馬の地平線を経て第八の地平線『Rinne』へ繋げるために捌拝捌拍手(日本舞台→仏教→輪廻→Rinne)と正中の鈴マークを8回鳴らすことを求めたのだろう……

ーーーーで話が終わりそうですが、PEの頃から持っていた違和感や調べ物をするうちに別の意味もありそうだと考えるようになったので今回noteにまとめてみました。



◇2- 『絵馬に願ひを!』と仏教

2-1  必ず叶えるとは?

絵馬の登場人物は日本神話に由来します。
本屋に行くと神社紹介の本にご利益やパワースポットといった見出しを目にすることがありますが、神社に願い事をすると場合ご利益は祭神によって異なるとされているのを当たり前と捉えていました。
そのためPEが発売された時に絵馬に書かれた願いが全て叶うということがまず???となったのですが、なぜ狼欒神社は必ず願いが叶うのでしょうか?
狼欒大神は狼欒神群の総称であり降臨する存在は数多いるからと想定しましたが、ずっと違和感を持っていました。

2-2  ある神社と寺について

ある祖母の記憶にて、織部深枝恵が八所家と石長家は「廃仏毀釈」のご時世から因縁があるということが判明しました。

つまり、絵馬は神仏分離令が発令され廃仏毀釈が起こった後の世界がモデルになっていると考えられます。

陽葦火山神社のモデルである日吉浅間神社のある場所は元々は東泉院というお寺があり、別当と呼ばれ富士郡下方浅間五社を管理する役割にありました。東泉院は平安時代初期に建てられたとされており、当初は浄土院と号していたそうです。
日吉浅間神社、この場所にかつて東泉院の本堂や護摩堂が神仏分離令をうけて本来は東泉院西側の一段下がった低い位置にあったものが仏教的要素を排除されて現在の位置に移設されています。

富士に伝わる赫夜姫伝説について、東泉院に伝来した『富士山大縁起』に詳しい話が書かれています。
六所家はこの東泉院を代々営み、別当職を世襲してきました。

このことから八所家のモデルが六所家といえます。

私の中では東泉院をモデルとする寺が別当職にあったのが神仏分離令により還俗して神職になったのが石長家、還俗せずに仏教徒であることを選んだのが八所家というイメージです。

過去作から分かっていたことではありですが日本神話をベースにいわゆるマイナーな神社の歴史や伝承等々を掘り下げ、さらに多岐にわたる情報をまとめてひとつの作品としてこれだけ仕上げてくるのマジ意味わからん……となりました。なりますよね???

2-3  久能山東照宮

PE発売時の宮比「神社、こんな坂の上に建てんなし!」や犬彦「単車で来れりゃ楽だったんだけどなぁ……」だけでも日吉浅間神社はそう表現されるような立地ではないですし、FE発売後も銀鏡神社は山奥だけどイメージと違う……八島さん「参詣者の心を折る事に定評のある通称 黄泉比良坂」や御影「噂通りの難所ね」になるレベルの参道とはどんなものだろうか、どこか別の場所をモデルとしているのだろうかという疑問が頭の片隅に残っている状態でした。

最近フォロワーのある考察をきっかけに気になることがあり静岡県にある久能山東照宮HPで歴史を読んだのですが、非常に興味深いことが書かれていました。

久能山の歴史は『久能寺縁起』によると、推古天皇の御代(7世紀頃)秦氏の久能忠仁が初めて山を開き一寺を建て、観音菩薩の像を安置し補陀落山久能寺と称したことに始まります。久能山の名称もここから起こりました。


気になったポイントをまとめると
[補陀落山久能寺と称した]:補陀落山は観音菩薩の降り立つとされる伝説上の山で「八角形」
・[(千手)観音菩薩の像]:人々のあらゆる願い事を叶えてくれる現世利益の菩薩で33の姿に変化して人々を救うとされる

観音信仰は仏教伝来とほぼ同時期に日本に入ってきているので古事記編纂時期を含め狼欒神社/大社の「絵馬に書かれた願いが全て叶うこと」が「現世利益」の仏である観音菩薩のあらゆる人を救い、人々のあらゆる願いを叶える力由来でもおかしくないのではないかという考えがこの時に頭をよぎりました。

〇気になる点の年代メモ〇
552年(欽明13年) 仏教伝来
600年頃(推古7年) 補陀落山久能寺 創建
712年  古事記 完成
713年   風土記編纂 命令
720年   日本書紀 完成
 ※夢の中に補陀落山の僧が出て来て千手観音の像を頂いたことから山号を補陀落山(ふだらくせん)とする
 ※法隆寺(斑鳩寺)創建は607年(推古15年)
 ※古事記は神代から推古天皇までの内容


久能山東照宮
久能山東照宮 表参道

FE発売を待ち望んでいる時期に静岡県在住のフォロワーとスペースでのぼるのに苦労する参道のイメージについて話をした際教えて貰った久能山東照宮の1159(いちいちごくろーさん)段を検索したときのイメージが頭に残っていたので狼欒神社/大社の参道の元ネタの可能性をより感じました。

東照宮は家康公が祭神、雉子神社の名前変更由来が徳川家光や『秋季例大祭』の参勤交代(参勤交代を始めたのは家光)と徳川ネタがちらほらあるのも久能山東照宮の参道がモデルの可能性ポイントアップの要因です。

エルシャダイの名言「そんな装備で大丈夫か?」のパロディ「そんなポーズで大丈夫か?」というセリフが使われた理由が
エル=神 シャダイ=山
山なので鏡銀神社の立地かな?と思ってましたが久能山は平安末期から鎌倉初期にかけてはかなりの大寺院だったようなので山全体が宗教的な土地という意味ではこちらの方が雰囲気は近そう(個人的な感想)


2-4  神身離脱説  ⭐︎


「(天長)六(八二九)年三月乙未。若狭国比古神。和朝臣宅繼を以て、神主を為す宅繼辞云」
ーー『類従国史後編』巻第百八十・仏道部七・神宮寺

・・・・・・・・・・・・・・・

長くなりましたが、メインの話はここからです(すみません)


星空曲で鐘が鳴っていることから、視聴の段階で元々お寺が敷地内にあって鐘が残っているのではないか、という話はありました。

神社/能楽関係者の「yes we can!」という発言からオバマ元大統領→小浜市で若狭国一ノ宮である若狭彦神社の逸話が関係していると考えられます
神仏習合(日本固有の信仰と大陸から伝来した仏教を融合・調和させる思想)のひとつに神身離脱説(神々も人と同じく輪廻の中で苦しむ存在であり仏法による救済を求めている)があります。
 ※神仏習合関係で日本史の教科書に載っているのは本地垂迹説
 ※神身離脱説は中国の方でもあったらしい(気になる)

神身離脱説で知られる話は以下の内容です
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若狭で疫病で多数の人々が亡くなったり干ばつが起き作物の不作が続きました。
宅繼の曽祖(若狭比古神の直孫にあたる)赤麻呂が仏道に帰心し身深山を練っていると、若狭比古大神が人の姿をとり現れました。
「此の地、是我が住処。我神身を稟して、苦悩甚だ深し」
疫病や干ばつのことで苦しみ悩んでいるので仏教に帰依して救われたいというものでした。
赤麻呂は神願寺を建て、若狭比古大神のために修行ました。
やがて作物は育ち豊作となり、疫病で亡くなる人もいなくなりました。
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(名前に「赤」がある!!!
と つい気になると思いますがそこは置いておきます)


元正天皇の勅願によって714年に神願寺が建てられ、のちに改めて神宮寺となっています。
(元正天皇といえばかぐや姫モデル説が浮かびますがスルーします)


神宮寺」は神仏習合思想の結果、神社に付属して建てられた仏教寺院のことを指します。

ここで、狼欒神宮はもしかしたら「(伊勢)神宮」だけでなく神社と寺が共存し日本神話の神々が苦しみから仏道に救いを求めることができた「神宮」寺があった時代に立ち返ることが大事なのではないかと考えることができます。

神々の苦しみや悩みを聞いて救済する
絵馬に書かれた願いが叶う世界

仏教における救済は悟りをひらいて輪廻から外れ苦しみのないこの世に生まれてこないことだと認識しているので、第三の道はただ廻るだけでは到達し得ない結末の提示としてはそれっぽい気もします。

若かりし那美さんに宿った周りにとって「望まれない子」を流してしまった因業を断ち切り救うことは神仏分離令後に神社だけとなった陽葦火山/白銀神社の祭神の力だけでは無理で、(神宮)寺の要素を持つ狼欒神社/大社に成り代わることで願いが叶うようになったとしたらどうでしょう。


生まれちゃいけない命など在りはしない!
姫子が拾伍の参道を超えてきた願ひにより新たな神話となり社にて生まれた新たなヒカリで
生まれてきたことを赦されるくだり云々……

(大社)那岐や大山がループタイをつけているのは伊坂夫婦や大山と鹿屋野では妻への愛情が変わらないが故に妻が亡くなると子どもが「望まれない子」として廻り続け(ループ)抜け出すことはできずにいます。

そこに(親の)愛の実存否定と自分が生まれ堕ちてしまったと考える月人の登場。

状況的に本来であれば「望まれない子」である月人と佐久夜の間に宿ったヒカリは佐久夜にとって両親が愛し合っていたが故に生じるループを抜け出さなければ辿り着けなかったのかもしれません。
(月人がやったことは到底受け入れることはできませんが……)

佐久夜本人のイシがなければヒカリは無事に生まれるに至ることができない

ーーキミを《否定する》為に


◇おわりに


なぜ狼欒「神宮」なのかを考えているうちに本来日本神話の神々である絵馬キャラの悩みや苦しみ、神格(千穐楽にて那岐が「この結末を知りながら選んだやつらがいる....!俺たちから【神格】を奪って神の振りをしてる盗人がいるんだよ!!!」より)を奪われ人間として生活する世界で救済を求めているのではないかと考えるに至った脳内まとめでした。

月人と天照ちゃんが上段にいるのは日本神話の神様由来ではないという考察を元々していましたが、それと共に廻り続ける輪から抜け出す役割を持っているのかもしれませんね。

(仏教における不飲酒の理由とか煩悩の迷いが晴れるという意味の「真如の月」という仏教用語をちょっと思い浮かべました)



参考資料
・富士山東泉院の歴史/富士山かぐや姫ミュージアム発行/分光堂/2021

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◇おまけ

①Märchenと絵馬7.5th地平線

絵馬登場人物の名前は古事記ベースなのですが、何故なのか考えた時につくられた経緯がグリム童話と少し似ています。

Märchenの元ネタであるグリム童話は伝承文学です。
グリム兄弟が童話を採集し始めたのがナポレオン率いるフランス軍に占領され神聖ローマ帝国が解体された年で、自分たちの民族意識やアイデンティティに危機感を覚えたことから「ドイツらしさ」「古そうなもの」を集め、子どもの教育に繋がるよう改変していきました。

絵馬に願ひを!は古事記がベースとなっています。
古事記は天武天皇が命によって以前存在していた歴史書「帝紀」「旧辞」を基に稗田阿礼が神話や伝承を暗唱し、太安万侶が記録し、元明天皇に献上されました。
 ※通説では 帝紀:皇室の系譜について 旧辞:口承された神話・伝説・歌謡を記録したもの と考えられています
古事記編纂は日本を律令国家として体裁を整える一環で、国外(中国)向けに漢文体で書かれた歴史書としての「日本書紀」に対して「古事記」は古語を表すために崩した漢文体を使っており国内向けといえます。

国をまとめるため古くから口承されてきた物語をまとめ記された点が類似しておりおもしろいなと感じました。

また、古い森の信仰が新しい摂理の信仰に置き換わっている童話と 神仏習合の状態だった神社仏閣から仏教色の排除と破壊が行われた廃仏毀釈後の絵馬というのも興味深いです。


②Neinと絵馬8.5th地平線

Neinと関係する部分は母(性)の多様性の提示だと考えています。 

・ルーナ→詩人であることとエンディミオを探すことをやめ、別の人との間に子どもを産む
・食物子→恋愛し子どもを生むが障碍があり亡くなる
・言の葉→周囲から反対された相手との子どもを産み育てる
・ステラ→恋愛対象が女性なので子どもはできない代わりに児童福祉施設に寄付する
・ママン→時代的な風潮を考え子どもをつくらない選択をする
・ミーシャ→禁断の愛?(黒いおくるみ演出)
・エリーザベト→修道女として子どもを愛し育てる

佐久夜姫子が子どもを生む選択へと至る流れ、母親に対する罪悪感と自分が母親になる意思もですし石長姫子の結末にも影響ありそうですよね


③チェス

『生と死の遊戯盤』でチェスが登場するのはチェス盤は8×8マス、16個の駒というのが『Rinne』に繋がるんだろうなという気がしますがどうでしょう。
チェスの元となったとされるチャトランガは古代インド発祥で仏教よりさらに前の輪廻転生の由来とされるインド哲学「五火二道説」を連想します。
2016年のごめTのデザインが王様とR.E.V.O.のチェス対決、
「浅間でハロウィン」というワードが本家で出たのが2013年2月1日でこの時には絵馬の構想があったと思われるので色々と可能性あるな~とは思いますが確定ではないのではやく『Rinne』発売してほしいですね。

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呟きで小出しにするのが面倒で脳内をちゃちゃっと書いてぺっと公開するつもりが思った以上に長くなりました。
乳児育て中で図書館に行くのが時間的に難しく、元々の知識とネットでの調べ物がメインですので今後ちゃんと調べることができたら考察が変わる可能性もありつつなんらかのカタチにはしたい所存です(需要あれば)

ここまで読んでくださった皆様に最大級の感謝を

然夜歌 拝


◇追記

おかげまいり(2024.9.20)


絵馬掛所に掛けられる絵馬の数が

猿田犬彦 8or16
天野宮比   24or32
八島知美
天野御影 80or88?

となっており参詣者の数が増えているのが分かります。

江戸時代、約60年周期で数百万の民衆が短期間に集団で伊勢神宮へ参詣する「おかげまいり」とよばれる現象が起こっていました。

漢字で書くと「御蔭参り」となるのですが、
御蔭」が「みかげ」とも読めることから天野御影を連想でき一番参詣者数が多い&伊勢神宮といえば祭神:天照大御神で太陽なのでもしこの意味も含めて名前を選んだとしたらRevo天才過ぎません?どうなの???と、ついサングラスを割る準備をしてしまいました。

神の味噌汁🥣


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