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辛さピークの時のメモ書き。

古いノート を整理していたら、ほとんど読めない走り書きの字で、ページの隅っこに書いてあったあの頃の心情。物心ついた時から大抵ハードな状況だったけど、我が子の不幸(重度のアトピーと苛め)はそれをはるかに上回るものだと知った時。自殺を考えた時より辛い、「殺してあげたい。私以外の人の子供に生まれ変わって幸せになってほしい。」とまで追い詰められた心。

「神様、そろそろ私も幸せになるお赦しを頂いて良いですか?それと、ついでに教えてもらって良いでしょうか?前世でどれほど悪いことを私はしてしまったのですか?それはまだまだ償えていませんか?」

あの凄まじい悲しみは、その後も容赦なく私の上に降りかかる幾多の不幸な出来事を「でも、あれよりはマシ」そう思わせてくれた。それを自分で乗り越えられたのか、ただ時の流れが状況を変えたのかはわからないけど、生き延びだからこそ今ここにいる。

孤独と先の見えない恐怖と不安に苛まれ、きっと酷い顔をしてたんだろうな。口を開けば泣き言ばかり。他人の幸せを心から喜べない引きつった笑顔。不幸のオーラ全開でそりゃあ夫も友達も離れていくって。(笑)

悲しい時ほど笑おう。悲しいから泣くんじゃなくて泣くから悲しくなるって、後にある人から言われたけど本当にそう‥でも頑張っても頑張っても笑えなかったんだ。タイムマシンであの頃の自分に説教しに行けたとしても、あの頃の私は絶対言うことを聞かない自信がある。

間違いに気付くまで、神様は同じ試練を与え続けると言う。でも心の癖がそうさせる。与える事や尽くす事ばかりして、受け取る事ができない。常に過剰に尽くしてしまう。初めは喜んで優しくしてくれる。そして徐々に見下されて利用されて、どんどん疲弊して、尽くす事をやめた途端あっさりと用済みで捨てられる。

おかげで分かった事は「それでも最後まで残った人が本当の友達」なのだと。

私に何も求めず私がどん底の時でも余計な励ましなどせず静かに見守ってくれて、持ち直した時に一緒に楽しもうと誘ってくれる。遠く離れているけど私の誕生日を覚えてくれていて、地震の時などにすぐに心配のLINE送ってくれる、そんな友達が5人も居る今は上出来ではないか?そう気づけた今こそ神様が赦してくれたのではないか?

神様、もう幸せになっても良いですね?

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