ブランドを立ち上げたキッカケ
はじめまして。
カトーショーヘーと申します。
現在はHEIHEIというアパレルブランドのディレクター兼デザイナーをしております。
ブランドは、初めて5年半。
文化服装学院在学中に加藤ミリヤさんを始め、国内外のアーティストの衣装やグラフィックを提供したのをきっかけに、
卒業を機に本格的にブランドをスタートさせました。
店舗は2年目に新宿、4年目に原宿にオープンして今年の3月からはラフォーレ原宿に直営店ができました!
2020年からは設立した
株式会社RIBBON ROCKETという会社で
ファッションをベースに様々な事に取り組んでいきたいとおもっているところです。
noteをはじめるきっかけは、大きく分けて2つほどあって。
①
最近、講師の依頼や自分のブランドを立ち上げたいという学生さんからの連絡を度々いただくようになってきて。少しでも、自分のブランドを作りたい人やファッションが好きで発信していきたい人に届けばいいなとおもったこと。
僕自身、
当時は地方出身でコネもまったくのゼロ。
学校でも優秀な成績を残した生徒でもない。
こんなたいしたことない人間の話しのほうが
近い感覚で学生さんなんかは捉えられるのかなと思った所も思い立った理由です。
②
言葉で表すことが苦手で、それを克服したいと思ったことも理由なんです…
ひとまず、初投稿なので今回は
自己紹介と
どうゆう経緯でブランド始めたかを書こうと思います!
今後は、これを機に僕自身の考え方や普段は言葉にしないような事を書いていければと思っています。
本名 加藤翔平
岩手県出身
1991年11月8日生まれ 28歳 O型
地元の岩手から上京して
服飾の専門学校である文化服装学院の
夜間のコースに入学しました。
(昼間はアルバイトして夜の2時間半だけ勉強するコースです)
何で昼間の普通コースにいかなかったの?
となると思いますが、
これも大きく分けて2つほどあって
①
僕が4人兄弟の長男で、下の兄弟の為にもそんな高い学費を払ってまで東京の学校には簡単に行けなかった
②
高校時代の生活態度がひどくて親からの信用がまったくなかった
の2点が大きな理由なんです…
高校時代は、授業を廊下で受けてみたり
自分のやりたい
体育と美術と学校行事と部活だけ学校行く。
みたいな時期があったりもして
入っていた野球部では試合に出させてもらっていたりもしたのですが、生活態度の悪さが影響してクビ宣告をうけました。
(野球部での坊主の反動もあっていまはロン毛です)
まあ、クズの象徴みたいな学生でした。
それでも、ファッションが好きで将来は服やデザインに携わる仕事がしたいというのは常々あって、
親に東京で服の勉強をしたいと進路について相談してみたのですが、
「上京なんてしてもまた高校の時みたいになるんだから地元にいればいい。」
と猛反対!
それでも諦めきれず、
ずっと行きたいという事をめげずに言い続けているうちに
両親は夜間ならいいのではと上京を渋々許してくれました。
(今は、家族総出で応援してくれてます。)
当時の自分なんかにやりたいことを許してくれた両親。
まわりの友人達や
卒業させてくれるために頑張ってくれた
当時の担任には特に感謝の気持ちでいっぱいです。
そんなこんなで、上京したのですが、
高校の時のだらけたままではいけない!
後はない!
という危機感があったんだと思います。
まずは、コネも実績もないゼロからのスタートだったので自分という存在をできるだけ多くの人に知ってもらわなきゃと思い。
自己アピールから始めました。
自分の着る服
学校でデザインする課題
学校行事
飲み会
学校以外の様々な活動。
などなど学生時代はアピールする場を探しては駆けつけてました!
いろんな年代の人や感性を持った人とも意識して出会うようにもしました。
多くの人と知り合い、様々な人の感性に刺激を貰うことができ
自分にないものを常に吸収することを意識していました。(これは、いつになっても大事)
今一緒に、仕事をしてる人や取引先の多くも学生時代に出会った人との繋がりでできています!
同時に、学業とは別で、載りたかった雑誌に撮られたい一心で、原宿にも行くようになっていました。
欲しい服はだいたい高いか売り切れてるってことが多くて、自分で着る服を課題の作品で作って
一石二鳥じゃん!とかいいながら
その作った服で原宿に通ってました。
なので、写真を撮りたいと声をかけられた時は毎回、すごく嬉しかった記憶があります。
ここで、雑誌やストリートスナップのサイトに載せていただけるようになった事が
当時、色々な人に自分を認知してもらえるきっかけになりました。
それ以外では、成人式の時期に
母校以外の様々な人と交流が持てるイベントを地元でやろうと思い立ち。
その時期にクラブを貸し切ってイベントを主催したりもしました。
特に仲の良かった友達数人を中心メンバーとして巻き込んで、会場抑え、DJのブッキング、フライヤー制作、スケジュール作りなど誰に教えられるわけでもなく自分達で試行錯誤しながらやりました。
会場には人も来てもらわなきゃ意味がないので、友達にも片っ端から連絡して、
友達の友達のさらに友達といった形でどんどん数珠つなぎのように広まり、地元の岩手県内の色々な場所からたくさんの人があつまってくれました!
ここでの経験は、人を巻き込んで目標に取り組む楽しさや自分達で考えて動く大切さみたいものを学ぶ機会にもなって、いい経験の一つになりました。
雑誌やストリートスナップのサイトなどにも載せてもらった事がきっかけで、様々なイベントにDJとして出演させてもらったりもしました。
もちろんDJをしてる時はたくさんのお客さんの目につく絶好のアピールチャンスでもあるので、成人式のイベントの経験を生かして色んな人に見てもらおうと頑張りました。
前売りチケットは直接お客様の都合の良い場所に必ず出向き、その時にお客さんとお話しする時間を大切にしていました。
(それをするとイベント当日にお客さんとして来てくれた時に僕のDJをより楽しめるしお客さんもよりイベントに足を運びやすいとおもっていたから。)
加えてお話しのタイミングでその人の好きな食べ物や飲み物がわかっていれば差し入れなんかもしたりも。
イベントでの活動は、
自分に入るお金はいらないとおもっていて
それなんかより自己アピールできるチャンス
知り合いをできるだけ増やせるチャンス
他の人が出来ない仕事のチャンス
を得れることだけを大事にしてました。
なので無償の仕事もやりたいとおもったら率先してやりました。
この考えは土台づくりをする上でとても大事な考え方だと思っていて
今振り返ってもこの考え方でやってきて間違いなかったなと思います。
好きなことや、やりたい事のために目の前の出来る事を一生懸命に頑張る。
「今はタイミングじゃない」とか
「そのうち方向性をきめて」とか
「もう少し技術や経験を積んでから」とか言って
何もやらない人をいくらでも見てきていますが、もしその時、何か自分の目標ややりたい事があるなら
とにかく動きながら考えて突っ走るしかないと思います。(それで見つかる夢も、あるかもしれません)
それと学生なら学校の勉強をするのは大前提で、学校と外部での活動のバランスを意識してどちらも頑張ることが大事だなと思います。
そんなこんなで、がむしゃらに目の前の事に取り組んでいたことで、自分がスナップで着てた自作の服が欲しいという声を少ないながらもいただけるようになってきて、学生時代の夏休みを利用して、同級生と合同展示会をやる事になりました。
その展示会で、来ていただいた方の中にはバイヤーの方や第一線で活躍していたファッション業界の方もいらっしゃってくれて、色々な巡り合わせがあり在学中に加藤ミリヤさんの全国ツアーの衣装の制作依頼をいただく事になりました。
行動に移さないとこんな事は起こらなかったので、学校で学んだ基礎を活かして外部に発信していく事はとても大事なんだと学生の当時とても実感しました。
このお仕事は時を追うにつれて、学生がやるような仕事ではないと驚きながらも、無事ご本人に提供することができました。
この時、作っていたグラフィックを会場のVJで使用していただいたり、DVDのパッケージ写真になったりなどして、今まで自分を見ていてくれた人以外の方に多く注目していただけました。
誰かに着てもらって喜んでもらうことや、自分の作り上げたもので人の感情を動かせれてることが、とてもやりがいがあるし楽しいなと改めて感じることが出来て、これがブランドをしっかり始めていこうと思うキッカケとなりました。
そんなこんなでブランドをはじめましたが、これも上京の時と同じでほぼなにもわからないゼロからのスタート。試行錯誤の連続だったのですが、
それは次の投稿で書いていこうと思います。
読んでくれてありがとうございました!!
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