見出し画像

【チラ見せ】台本「阿呆ヘレネ」

阿呆ヘレネ
コルートスの原作による

これは戯曲連作「風土と存在」第五十九番目の試みである

時 トロイア戦争より前
場 テッサリア、イーデー山、スパルタ
人 語り手ABC

※本作は場ごとにひとりの語り手が語る。

1.壁花

語り手A 噫、トロイアのニンフたち、クサントス川の娘たちよ、あなた方はしばしば髪に巻くリボンや手に持つ神聖なおもちゃを先祖ゆかりの砂丘に置き忘れるが、どうか、踊りの輪でイーデー山の祭に備える前に、波立つ川から出てきて、わたくしコルートスに語りたまえ、判定をくだす牧人パリスの考えを、その牧人がどのように山から来たか、海の働きも知らぬ身でどのように未知の海原を渡ったのかを。なぜ災厄の元凶たる船が必要になったか、なぜたかが牛飼いが海と陸をひとときに騒がせたか。そもそも争いのどんな始まりがあって、あたら羊飼いたちが神々にもの申すに至ったのか。どのような判定だったのか。どうやって彼はアルゴスの花嫁、ヘレネの名を聞き知ったのか。

なぜかならばあなた方はすでに見た、イーデー山はバラクラ峰の三つ岩の下にやって来て、パリスを――牧人が羊に草を食ませるところに座るパリスを――見たし、カリスたちの女王たる誇りかなアプロディテを見たのだから。

――顚末はこうだろう。ハイモニアの高い山で、英雄ペーレウスの婚礼をたたえる寿歌が歌われるなか、ゼウスの言いつけで少年ガニメデが葡萄酒をついでまわっていた。神々の一族はわれもかれもと、アンピトリデーの妹、白いかいなを誇る花嫁テティスを熱く称えていた。オリュンポスからはゼウスご自身が来たし、海からはポセイドンが来た。ミツバチの歌うヘリコーン山から出発したムーサたちのコロスを、声すずやかなアポロンがひきいてやって来た。アポロンはこがねの髪を両の肩に振り分け、神の長髪は北風にゆらいだ。アポロンのあとにはゼウスの妻にして妹ヘラが続いた。

また結婚の和合の女王アプロディテ自身も、いそいそとケンタウロスの森へやってきた。ついで婚礼のレイを編み上げたペイトー、この女神は愛の矢を射る神エロースのえびらを担いでいた。アテネーは、自身は結婚に縁なき身ながら、こめかみのがっしりした兜をはずし、婚礼の場にやって来た。レトの娘、アポロンの妹であるアルテミスも、荒ぶりながらも婚儀の場にやっては来た。不屈のアレースですら、兜も必殺の槍もアプロディテの館へ置いて訪れるのと同じく、胴鎧も鋭利な剣も持たずに、笑いながら踊っていた。だが、エリス――不和・闘争の女神エリスは、誰からも称えられず、捨て置かれた。賢者ケイローンは彼女を忘れ、英雄ペーレウスも彼女を見すごしていた。


2.林檎

語り手B 時に若い雌牛が、血ぶくれのアブに追われながら谷間の牧場をさまよい出で、人のおらぬ林を彷徨うことがあるじゃろ。今やそのようにしてエリスは、はげしい妬みにとらわれながら、神々の婚礼の宴をどうにか台無しにしてやろうとふらついておった。

女神はいく度も大理石の腰掛けから立ち上がっては、また腰をおろしまた飛びあがったりを繰り返した。呪いのこぶしを惜しげもなく堅い岩の地面に叩きつけた。そう、エリスはそのこぶしで大地を閉ざす挿し錠を抜き取り、昏い地下の空洞からいにしえの巨人族を呼び覚まし、ゼウスの統べる天空の世界を滅ぼしてやれくらいに思ったのじゃ。いかずちを轟かせあらしを吹き荒れさせようとした。じゃが強烈な思いの一方で、火と鍛冶の神ヘパイストスの怒りを面倒にも思った。そこで今度は神々を飛びあがらせてやろうと、いくつもの盾を打ち合わせ轟音を上げることを考えた。じゃが盾を使うとなればその道でかなう者なきアレースのむごい仕返しが頭に浮かんで諦めた。

エリスが終いに思い当たったのは、ヘスペリスのニンフたちが守る金の林檎じゃった。思いつきに有頂天になったエリスはたちまちにこの争いの芽となる果実を手に入れ、「最も美しい女に」と書かれた実をこねまわし、饗宴の席に投げ込んでコロスたちをうろたえさせた。ゼウスと臥しどをともにするヘラは、驚き立ち上がり、たちまちその林檎をわがものにしたい思いにとらわれた。林檎はエロースたちのものなので、その魅力に抗える者はひとりとしてなかった。ヘラは諦めないし、アテネー、アプロディテも一歩も引かない。女神たちの諍いを目の当たりにしたゼウスはいささかあきれて見ていたが、やがて傍らに座す息子ヘルメスに呼びかけた。

「わがせがれよ。おまえがもし、トロイアの山中、イーデー山から流れ出るクサントス川のほとりで牛飼いをしているプリアモスの息子、パリスなる青年を知っているなら、この林檎をその美しい青年に渡すがよい。

そして女神たちに会い、彼女らの瞼のあわいや顔の丸さを公正に判定するよう、彼に伝え励ますのだ。彼女らのうち、きわだった美貌をそなえていると判定された女神が、最も美しい者として勝利し、エロースたちのこの実を得ることになるだろう」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?