見出し画像

六月十一日。『「だが、情熱はある」と「悔しみノート」と』

♪seaside mintblue 渚の水彩画みたいに〜
こんなジメジメ蒸し蒸しした日には爽やかな歌を歌って気分転換したいもの。

相楽ハル子「Seaside Mint Blue」

今日一曲目にお届けしたのは相楽ハル子さんの「Seaside Mint Blue」でした。
こんなローウエストのワンピースや長め丈のジャケットを大人になったら着るんだっ!と夢見ていた頃。まったく背が伸びずローウエストなんてとんでもない体型になるとは思わなかった頃。この歌がコマソンに使われていたスクーターみたいなカワイイ原付にもうすぐ乗るんだろうなとWAKUWAKUしていた頃。50歳手前でやっと原付きの免許を取るなんて思ってもいなかった頃。すべてが思うほど上手くはいかないなんて想像もしていなかった頃。
そんな頃の歌です。相楽さん、かわいい。

ドラマ「だが、情熱はある」を見ながら妬み嫉みについて考えている。何を隠そう、私も妬み嫉みの塊だ。浮足立った二十代が終わったら、不惑の四十を迎えたら、節目と思われる年齢を迎えるたびにいよいよ凪の心持ちが…と思うものの、相変わらず日本海のごとく荒れ狂う波が押し寄せる。理不尽に憤ってみたり、もちろん妬み嫉みに「ぐぅっーーーっっ」と気もちが押しつぶされそうになることもある。表に出すか出さないか、その違いだけで無人島で暮らしているわけじゃあるまいしこの「ぐぅっーーーっっ」は仕方ないのかもしれない。

ただ年を重ねて変わったのは「ぐぅっーーーっっ」の後に、妬むほど私頑張ってる?その人以上に動いてる?羨ましいならちょっとマネしてみる?と少し冷静に少し客観的にその事を見れるようになったこと。ただ悔しがって終わりじゃなくなったこと。
これがCreepy Nuts言うところののびしろだな!
Rさん、でしょ?でしょ?
私、のびしろしかないな!

「だが〜」の特に山ちゃんは妬み嫉みをガソリンにして才能を咲かせ続けている人だ。
私も何とかソロキャンプが出来るくらいの火力は保ち続けている。たぶん高校生の頃ならキャンプファイヤーができたけど、きっと吸うとヤバい気体を出していたはず。適切なエネルギー放出の仕方がわからないうちは情熱は隠しておくべき。偉いぞ、10代の私。

2、3年前になるかな、「悔しみノート」という本を読んだ。

梨うまい著「悔しみノート」

剥き出しの心の叫びが詰まったこの本に、若い頃の自分を重ねて読みながら私もヒーーー!と叫びそうだった。
オビのジェーン・スーさんの言葉にあるように、私ももう、こんな風には悔しがれない。今の私なら梨うまいさんほどの才能があれば上手く世に出る方法はないかと考えるだろう。ただ、梨うまいさんと同世代の頃なら…やっぱり年を重ねに重ねて少しずつ獲得したのびしろなのだ。こののびしろが成長か退化か考え方はいろいろだけど。

50年も生きて幾分かバランスを取るのが上手くなった。
自分の機嫌の取り方もずいぶん上手になった。
「ぐぅっーーーっっ」を隠して心が凪ぎいていると見せることも上手くなった。
だが、情熱はある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?