見出し画像

旧劇エヴァは液モレ注意なのです!

じゃあ、ぼくの夢はどこ?
それは、現実のつづき
ぼくの現実はどこ?
それは、夢の終わりよ

綾波が言うには、夢の終わりが現実で、現実の続きが夢なのです。さて、旧劇で「現実」といえば

まずはこれなのです。しかしこれは観客の現実だから、シンジにとっては現実ではありえず、それなら夢だと言うしかないのです。ということは、シンジの現実=観客の夢は、つづく

綾波の幻を見る場面なのです。

別の記事でも触れましたが

1992年の著作『我々が見ているもの、我々を見つめているもの』Ce que nous voyons, ce qui nous regardeのなかでは、ワルター・ベンヤミンの「アウラ」aura(オリジナル作品がもつ「今」「ここ」という一回性の概念)を、単純な時系列を超えたできごとの邂逅(かいこう)や衝突を通して「見ているもの」と「見られているもの」の時空が織り合わされることにほかならないと述べる。

コトバンク「ディディ・ユベルマン

「見ているもの」=観客自身だと無意識に決めてかかるのが普通なのですが、これを利用したおもしろいギャグがあるのです。

(398) LT. JEAN RASCZAK - At His Best (starship troopers) - YouTube

I expect the best and I give the best. Here's the beer. Here's the entertainment. Now have fun. That's an order.

『スターシップ・トゥルーパーズ』から、キャンプでの鬼軍曹ラスチャックのセリフなのです。しかし「見ているもの」=映画を見ている自分を見ている人だと考えると、I=監督、the entertainment=この映画となり、「楽しめ、これは命令だ」というメッセージになるのです。ビール代は監督に会ったときに回収しましょう。

さて旧劇に戻り、ここで「見ているもの」=シンジだとすると、「見られているもの」は綾波ではなくアスカのおっぱいだとわかるのです。映画を遡ると対応物があり

シンジの現実=観客の夢はまさにこれなのです。

「見ているもの」=見ている自分を見ている人とすると、「シンジの液モレに注意しなさい」というメッセージになるのです。先ほどのベンヤミンのauraは陳腐な言い方では「リアリティ」なので、庵野監督の「現実に帰れ」発言は「液モレに注意しながらauraを感じなさい」なのです。下品なギャグは人類普遍なのです。

時系列で並べてみると、現実と夢はタイトルで切り替えているようなのです。

シンジの現実=観客の夢
FINAL
じゃあ、ぼくの夢はどこ?それは、現実のつづき

タイトルのあとは間違いなくエヴァンゲリオンですが、その前もそうだとは限らないのです。

液モレ注意
ぼくの現実はどこ?それは、夢の終わりよ

ちゃんと「エヴァンゲリオン=夢はこれにて終了」と書いてあるのです。

シンジの現実=観客の夢
ONE MORE FINAL

シンジがONE MORE FINALしたので「気持ち悪い」なのです。ONE MORE FINALだけゴシック体なので、明朝体はシンジ以外なのです。この場面ならI need you.はアスカなのですが(断じて監督ではないのです)、ONE MORE FINALの後にあることに注目するのです。甘々なものではなく、恐ろしい恐ろしい、メンヘル女の依存なのですが、これもまたauraなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?