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あれから27年か

未来予想図なんて描けなかった
1995.1.17
我が家の損壊は
ライフラインくらいだったけれど、
自宅が全壊し避難者生活で
我が家に一時避難した親戚や

水が出るようになった我が家に
芦屋から入浴に来た
学生時代のバイト友達。

長田区の友達の実家のケーキ屋さんは、
半壊し、
火災こそ逃れたけど、
震災前に一新した機材の借金。
区画整理対象地区になったりで、
仮店舗営業で乗り切り、
きちんとお店が再開できたのは、10年後。

生き延びたみんなが頑張った。
外からのボランティアの方々にも本当に感謝だった。

初めてのルミナリエの点灯で
灯りの下を歩くだけで涙がとまらなかった。
あっという間にあれから27年。

震災のあった1/17。
今年も、その前日の1/16に
神戸の母が寒い中、長靴履いて
震災のつどいのための灯籠設定の
ボランティアに行って来たそうだ。

東遊園地は現在工事中で敷地も狭く、
コロナ禍で、密を避ける為に
つどいには参加せず前日午後から
お参りに来てた人もちらほら。

母親を当時64歳で亡くした人は
家が
火災したので遺体と面会してないので、
今も信じられないですと、、、

何年経っても忘れられない1.17。

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