劇場版「四畳半タイムマシンブルース」を、今更ながらに
はい、というわけで、8月末からこっち体調が悪すぎてくたばっていたので、ロングランで上映してくれている地元の映画館・横浜ブルク13にて、11月8日付で鑑賞してまいりました。大筋は小説版と変わらなかったと思いますが(読んでから5ヶ月経ってるからあんまりあてにならない)、時代設定において映画向けに面白い仕掛けが施されていたので、noteを書き始めるに至りました。当然ですが小説版か劇場版の少なくとも一方を鑑賞してから読むことをおすすめします。では本題。
「四畳半」シリーズって西暦何年?
まず結論から、劇場版「四畳半タイムマシンブルース」はおそらく2023年のお話で、これが四畳半シリーズの膨大なパラレルワールドのひとつとして上手いこと組み込まれています。というのをもうちょっと噛み砕いていきたいので、以下で四畳半シリーズの作中における年代設定を考えていきます。
まず記憶にある限り、作中の描写で年代を絞り込めるものといえば、小説・劇場版『四畳半タイムマシンブルース』の「99年前といえば大正時代です」のくだりくらいでしょうか。大正時代は1912〜1926年なので、作中は99を足した2011〜2025年のうちということになります。
で、劇場版においてはこの問題の核心に迫る描写があります。「25年後」として映された場面で「2048年」のカレンダーがかかっているのです(2047だったかもしれない、違ってもご容赦を……違ったらこの記事の主張が半壊する)。というわけで作中の時間は2023年であり、99年前とは1924年で確定することになります。これは大正時代の範疇であり、原作小説の台詞とも矛盾しません。が、では小説版も同じ2023年の京都を描いたお話であるか、と問われるとここに疑問が生じてくるのです。ここでキャラクターデザインに注目します。
角川書店の公式サイト(https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000899/)より拝借した書影がこちら。これはアニメ小説含む従来の四畳半シリーズとほぼ同じキャラデザですね。しかし、ここで劇場版の版権絵を見てみましょう。
こちらは劇場版の公式サイト(https://yojohan-timemachine.asmik-ace.co.jp)より引用したもの。顕著な違いとして城ヶ崎先輩の髪型が挙げられます。なんというか……イマっぽい。旧デザインでは多めの毛量を活かしたワイルドな髪型でしたが、劇場版の新デザインでは側頭部を刈り上げた爽やかなツーブロックになっています。流行りに疎い筆者の言ですみませんが、2023年という年代に合わせたキャラクターデザインに変わった、といっても的外れではないでしょう。あとなんといっても小津。金持ちなのもあってか、劇場版新デザインでは左腕にApple Watch……と思われる腕時計(角形であることは鑑賞中に確認済み)を装着しており、いかにもイマ風の身なりの良さです。またパンフレット内のビジュアルでは襷掛けしたウエストバッグを身体の前に回していて、やっぱりイマ風のスタイルです。
このことからいえるのは、たぶん小説版『四畳半タイムマシンブルース』と、劇場版「四畳半タイムマシンブルース」とでは年代が違うんじゃないかということ。つまり、本筋においてほぼ違いがない小説版と劇場版ですが、実のところ別々の世界線のお話で、それ自体がパラレルワールドになっているんじゃないか、ということです。
小説版では「大家さん」としか描写されなかった人物がいますが、これが劇場版では明らかにアニメ「四畳半神話大系」に登場した木屋町のおばあだったりするところも、このことの証左ではないでしょうか(全く同じ働きをするが同一人物ではない、ということ)。
ここから先はちょっと憶測じみてきますが、なぜ公開年の2022年ではなく「公開年+1年」の2023年が舞台として設定されたのかを考えます。
旧キャラクターデザインであるテレビアニメ版「四畳半神話大系」が放送されたのは2010年です。そこで作中の年代を2010年としてしまうと、ここから99年遡ったときには1911年となり、大正時代を飛び越して明治時代になってしまいます。「いやなんで『四畳半神話大系』で99年遡ってんだよ」ってオハナシにもなりますが、ここでは旧キャラクターデザインの世界は2011年であると考えたいのです。そこでさっきの「作中の年代=公開年+1年」を持ち出すと、あら不思議、作中は2010+1年で2011年となり、これを基準にすれば99年前は1912年8月で、大正時代です。「8月」とつけたのは7月までは明治時代だからですね。
以上の通り考えることで、旧キャラクターデザインの四畳半世界を2011年のできごととして滑らかに繋げることができるのではないでしょうか。できない……?格好の変化という明確な変化があるので、短絡的に「アニメシリーズは全て公開年に合わせた年代設定になっている」というよりは説得力があるんじゃないか、とは思っています。
この辺りで最初に述べた結論に戻ります。四畳半シリーズはそもそも膨大な可能性、パラレルワールド(と、時間遡行)を描いたお話でした。劇場版「四畳半タイムマシンブルース」は時代こそ進んでおりキャラクターの格好も変わっていますが、作品の性質上、そんな可能性の一つとして位置付けることは不可能じゃないでしょう。年代が変わっても「私」のシャツ+パンツのシンプルモッサリルックと樋口師匠の甚兵衛姿は変わらないのが、なんとも「私」と樋口師匠だなあと思います。
おわりに
とまあ、正直確定させるには弱い考察まがいのお話でした。「四畳半タイムマシンブルース」はそれ自体がパラレルワールドの1つではあるのですが、作中では一切そのことを描かず、一本の映画・小説として「私」と明石さんとの恋の成就に一直線向かっていくのが、なんというか「四畳半」らしからぬ(悪い意味ではない)甘酸っぱさを感じさせますね。小説版やアニメ版を通し見た時よりは男汁のかほりが薄くて、どちらかというと『夜は短し歩けよ乙女』の読後感に近いかもしれません。
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