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島人、都会に出るとヘトヘトになるワケ

人口密度の低い地域で暮らす田舎の人が、密度の高い都会へ出ると人の多さに圧倒され、その場にいるだけで疲れる。歩き慣れた都会の人々に合わせ、気が付けば普段よりも早足で、かつ邪魔にならない端の方を歩いている。

では、人の数、密度の問題なのか?

自然豊かな田園風景に囲まれて暮らしている人が都会へ出ると、目移りするものが多く、自分には関係のない広告や看板を見たり、無駄にオフィス街の高いビルを見上げたりして、特に何もしていないのに疲れる。

では、視覚や聴覚から入る情報量の差の問題なのか?

もちろんこれらの問題も関連はするが、彼らを疲労困憊させる根本的な要因は、幼少期から無自覚のうちに備わった、ある習慣(クセ)にあった。

この件は、島に限らず田舎の人あるあるだろうが、島の特質上そのクセがとても顕著にみられる。簡単にその特質を説明しておこう。

まず、島から出る手段は船しかない。(緊急時にはドクターヘリがあるが、搭乗経験のある者は少ない)、その船も本土まで片道2時間(高速船の場合)〜3.5時間(フェリーの場合)を要する。2時間くらいなら通勤時間と変わらないかもしれないが、運賃が高い。安価なフェリーでも往復3000円はするので、「ちょっと日帰りで買い物に」といった軽い気分で本土に行くことは時間的にも、経済的にも難しい。

結果、コンビニすらない人口2000人ほどの島には、船に乗って本土へ出るのは年に数回といった、ここに住み続ける限り都会慣れできそうにない人々が暮らしている。

この環境下で生まれ育った人が身につけた、都会と相性の悪いある習慣とは何か?

視界に入る全ての人を認識しようとする

それは、人の顔をとてもよく見ていること。車社会なので歩行者はそもそもあまり見かけないが、車同士ですれ違う対向車の運転手や、真後ろについた車の運転手は誰かを確認している。30年近くこの島に住む夫にすればほとんどが顔見知りなので、すれ違う時によく手をあげている。

すれ違うといっても、車3〜4台が続けて走っていれば「今日交通量多いな」と思うほど。通勤通学時間を避ければ、そもそも人とすれ違わない日もあるくらいなので、人の顔を逐一見ることが手間ではない。

さらに、フロントガラスの反射などで仮に運転手が見えなくても、その車種やナンバーで個人を識別している。要は誰がどの車に乗っているのかをある程度把握しているのだ。

私がこの島に来て驚いたことの一つに救急車に関する話がある。都会にいると喧騒の一つとして気にも留めないサイレンの音。この島の人はサイレンにとても敏感に反応する。そして、外に出たり窓から眺めたりして、それが走り去る様子をみる。救急車を見ても誰が運ばれているのかなど到底見当がつかないはずなのだが、真後ろについて走る車を見て「〇〇さんとこのおっつぁん(おっさん)やな」と見抜いてしまう。

また、「こんなに小さな島の中で、まさか!?」と思うのだが、たまに不倫の噂を耳にする。誰も決定的な瞬間を見たわけではないが、大抵は「〇〇が△△の車の助手席に乗っていた」ことや「〇〇の車が夜な夜な△△の家の前に停めてある」ことから連想された噂である。逆に言えば、その意図が全くなくてもそのように見られる可能性がある事を念頭に置いて行動しなければならないのだ。少しめんどくさい。

さて、歩行者であれ車の運転手であれ、すれ違う他人の顔をよく見ることが習慣化した状態で都会へ出るとどうなるか。

他人の空似、勢揃い

交通量も多いし、すれ違う人の数も比にならないほど多い。さすがに逐一確認することは不可能だろうが、無意識のうちに見られる範囲内で他人を認識しようとする。

島から遠く離れた関西や関東の地で、夫がいきなり立ち止まり「あれ?!〇〇かと思った」と、そこにいるはずのない島の知人の名を口走ることがよくある。たしかに、言われて見てみると雰囲気や髪型が似ていたりする。

車の運転中にもよくある。対向車とのすれ違いざまにいきなり「今の〇〇じゃない?」と言い、バックミラーでナンバープレートを確認するが、全く違う。

都会の生活に慣れると、どれだけ人や車が多くても直接的に邪魔にならない、気にならない限りは周囲の風景と同化している。いや、喧騒の中で生きる知恵として「同化させている」と言った方が正しいのかもしれない。

人の顔を見ることを内面化してしまった島の人が年に数回都会に出たところで、他人を風景と完全に「同化させる」ことは難しいのだろう。田舎の人が都会に出て、人酔いするのは他人の顔を見る習慣がついてしまっているから。そら、疲れないわけがない。

ちなみにこの傾向は歳を取ると顕著になるようだ。クセは治らないが、老化による視力低下とより一層激しくなる思い込みのせいで、人とすれ違う度に「なんか、見たことある人だな」と思い、立ち止まり考え、二度見三度見する。結局全くの別人なのだが、「誰だっただろう」としばらく思考を巡らせる。何度も繰り返すうちに、疲れ果てる。

コンビニすらない不便な島だが、やはりここの生活に慣れ親しんだ人にとっては住みやすい、生きやすい場所なのだろう。都会からやってきた人にとってはプライバシーを守るのが容易ではないのだが。

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