〜都市思想家ジェイコブズ 「ジェーン・ジェイコブス考察」

「社会共通資本としての家 」ーソーシャル・アーキテクチャー・インターラクティブ

プラットフォームとしての
「家」アーキテクチャーとリージョン



〜都市思想家ジェイコブズ 「ジェーン・ジェイコブス考察」


「われわれの回りにあるすべてがこの本のさし絵である。挿図のかわりに現実の都市をよく見てほしい。 見ている間に、あなたはまた、聞き、ぶらつき、そして見ているものについて考えるだろう。」

現代の「創造都市」論の系譜についてみると、代表的な二つのアプローチがある。
その第1は、ランドリーによる「創造都市政策論」である。欧州においてはいち早く製造業が衰退した結果、青年層の失業者が増えて、従来の福祉国家システムが財政危機に直面した。彼らはその見直しの中で国家の財政的支援から自立して、どのように新しい都市の発展の方向を見いだすかという問題意識で研究を続けている。

「都市は創造的かつ想像力 を掻き立てる自由な環境から生まれる未来へのアイデア と考察を現実化することにより産み出される。」という文脈の中で進められたのである。これに対して、第2のアプローチとしては『都市と諸国民の富』と題するユニークな書物を著わしたアメリカの都市思想家であるジェーン・ジェイコブズである。彼女は、アダム・スミスの古典『諸国民の富』を念頭において、国民経済を発展させる前提は創造的な都市経済を実現することであると主張し、経済学のパラダイム転換を求めた。

そこでジェイコブズが「創造都市」として注目するのはニューヨークや東京のような巨大都市ではなく、中部イタリアの人間的規模の都市であるボローニャやフィレンツェである。彼女は、これらの地域に集積する特定分野に限定した中小企業群(イタリアでは職人企業と呼ぶ)がイノベーションを得意とし、柔軟に技術を使いこなす高度な労働の質を保持しており、大量生産システムの時代に一般的であった市場、技術、工業社会のヒエラルキーの画期的な再編成をもたらすものであるという見解に立っている。
そして、ジェイコブズはこれらの都市の主役である職人企業というマイクロ企業のネットワーク型の集積がしめす「柔軟性、効率のよさ、適応性」のすばらしさに驚嘆し、その特徴を輸入代替による自前の発展とイノベーションとインプロビゼーションに基づく経済的自己修正能力あるいは、修正自在型経済と把握している。
輸入代替とは、先進技術を他地域から学び、これを吸収して自前の技術体系とし、他の産業との連関性をゆたかにしながら地域内市場を優先的に発展させる方式であり、インプロビゼーションとはジャズの即興演奏のように、環境の変化や技術革新の波に柔軟に対応できる想像力のことである。

今まであった町の生命力や歴史といったものを無視した開発にあって、経済活動を生み出す源となる、生き生きとした雰囲気や土地の持つ多様性が失われてしまうことだと言う。人々が町をつくりだしたのであって、外から与えられた町という外枠が人々の暮らしをつくりだしたのではない。建物や巨大な区画ありきの計画は、まるで何もない土地に、模型のような都市を建築し、人々をそこに放り込んで、一から暮らしはじめさせるようなものである。
ネットワーク型に結びつき、労働者や職人の高度の熟練や洗練された感性に基づいて国際競争力のある個性的な商品群を生み出す「第3のイタリア」の共生的小企業群が実践する「柔軟な専門特化」を、大量生産システムの行き詰まり後に来る新しい生産システムであると彼女は認識したのである。
このように、ジェイコブズの「創造都市」は「脱大量生産時代の柔軟で創造性あふれる修正自在型の都市経済システムをもった都市」といえよう。

さらに、文化遺産と文化的伝統が人々に都市の歴史や記憶を呼び覚まし、グローバリゼーションの中にあっても都市のアイデンティティを確固たるものとし、未来への洞察力を高める素地を耕すとも述べている。創造とは単に新しい発明の連続であるのみならず、適切な「過去との対話」によって成し遂げられるのであり、「伝統と創造」は相互に影響し合うプロセスである。それゆえ、地球環境との調和をはかる「維持可能な都市」を創造するために文化が果たす役割も期待されるのである。
以上を踏まえると「創造都市とは市民の創造活動の自由な発揮に基づいて、文化と産業における創造性に富み、同時に、脱大量生産の革新的で柔軟な都市経済システムを備え、グローバルな環境問題や、あるいはローカルな地域社会の課題に対して、創造的問題解決を行えるような『創造の場』に富んだ都市である」と言えよう。

「われわれの回りにあるすべてがこの本のさし絵である。挿図のかわりに現実の都市をよく見てほしい。 見ている間に、あなたはまた、聞き、ぶらつき、そして見ているものについて考えるだろう。」

ジェーン・ジェイコブスはジャーナリストである。少なくとも都市についてのアカデミック な教育を受けた「専門家」ではない。それにも拘わらず「アメリカ大都市の死と生」は都市研究の古典とし て今なお多くの人に読み継がれている。ただ、それだけ原書が出版されてからの約 50 年の間に近代都市計 画の「欠点」が指摘され続けたにもかかわらず、今なおその「欠点」を克服できていないということなのだ ろう。“自分の住む場所を知る。”考えてみれば都市を知るためのこれほど基本的な方法はない。ジェーン・ジェイコブスは あろうことか、そんな身近なところから都市論を築き上げてしまったのである。

都市という不明瞭なものを理解しようとするとき、何に注目するかという点は非常に重要である。ジェイコブスは自身の観察経験から、 歩道が豊かな都市はうまくいっていると結論付けた。具体的な歩道の効用として、都市に住む人々の安全を保つこと、都市において最もバラエティ豊かな出会いの場となること、子供たちにとって最も健全でのびのびとした成長の場となることの 3 つを挙げている。

ただ、人のたまり場として作られたものが多数存在する都市でも、なぜうまくいくところといかないとこ ろがあるのか、という疑問に対して一つ興味深い指摘がある。それはプライベートな生活を意識する場所は 人々の触れ合いや賑わいがうまくいき、逆ではうまくいかないということである。字面だけ見れば全く逆のように思えるが、ここでいうプライベートというのは「人とは異なる自分の好み」という意味である。つまり街路という抽象的な場に多様なものがあれば個人が好きなものを選べるが、始めから目的の決まった場所 (ここでは公園や集会所などのことを言っている)を点在させてしまうと、かえって選択の幅が狭まってしまう、ということだ。


都市における「多様性」


ここでいう多様性とは「行動における選択肢の多さ」である。ここでは都市の多様性を成立させる条件として、「用途混在」、「小規模街区」、「古い建物」、「人口集中」の 4 つを挙げ、これらが揃って初めて多様性が成り立つと主張している。

特に「古い建物」というのは、いわゆる博物的価値を持つ建築のことではなくて、お世辞にも価値のあるとは言えない古い建物のことを指している。早い話が、価値の低い古い建物を 改修・使用する方が新築の建設費よりも安上がりなため、経済効果が高い。よって古い建物も残すべきであ る、と言っている。この条件に対しては徹底して経済効果という点からアプローチしている。
人々の賑わい・交流や多様性が必要であると言っていることは分かる。自らの生活体験・都市の観察に基づく考察だからこその特徴ともいえるが、「大きすぎるものは良くない」というような考え方。同じ用途のものが「広範囲」にわたって存在すると某金融街のような弊害があるため分散させるべきであり、一度に「多く」のものを建て替えるような劇的な 変化をおこすよりは古い建物もうまく使う方がよい、ということではないだろうか。つまり人がうまく生活 していくためには都市の多くの要素をもっと「小さい」視点で考える必要があるのである。


ジェイコブズ批判


確かにニューヨークという文脈で見れば、都市が機能するためには、低層と小さなブロック、そして古い建物を維持することが必要だというジェイコブスは主張は、なるほど美観を保つことはできるが、低層は住宅供給を制限し、既存の不動産価格を大きく押し上げることになる。

低層の古い住宅は高層のアパートよりも高くつく。チャーミングなレストランはチェーン店より運営も価格もずっと高い。「古さ」や「本物らしさ」はタダではない。

今日のビレッジは高所得の白人が住むところだ。混在の必要性を強調したジェイコブスは、その意図とは裏腹に住民の分離を招き、特定の層の人たちの固定化を招いている。

ジェイン・ジェイコブスはジャーナリストである。少なくとも都市についてのアカデミック な教育を受けた「専門家」ではない。“自分の 住む場所を知る。”考えてみれば都市を知るためのこれほど基本的な方法はない。ジェイン・ジェイコブスは あろうことか、そんな身近なところから都市論を築き上げてしまったのである。 ジェイコブズの都市創造の4条件は、1異なるいくつかの目的で、異なる時間帯に、さまざまな人が利用すること(例えば昼は職場やショッピング、夜は観劇や飲食、夜中はそこに居住)、2短いブロックで区切られ、横道が沢山あって、目的地にいろいろな行き方ができ、通りに多様性があること、 3異なる古さ、タイプ、サイズ、管理状況のビルが混在していること、4人口密度が(昼も夜も) 高いことの4つである。ジェイン・ジェイコブスはジャーナリストである。少なくとも都市についてのアカデミック な教育を受けた「専門家」ではない。近代都市計 画の「欠点」が指摘され続けたにもかかわらず“自分の 住む場所を知る。”考えてみれば都市を知るためのこれほど基本的な方法はない。ジェイン・ジェイコブスは あろうことか、そんな身近なところから都市論を築き上げてしまったのである。ジェイコブズは中小企業の集積は「都市的現象」にほかならないとしている。 中小企業は内部資源に乏しく、都市の他の企業が供給する多様な製品やサービスが、中小企業の経済活動にも従業員の生活・余暇のためにも不可欠であるため、「都市がなければ単に存在することもできない。」と述べている。そして「都市に存在する他の企業がもたらす大きな多様性に依存し ながら、中小企業はさらに多様性を付け加えるこ とができる。この点が最も重要であり、都市の多 様性はそれ自身更なる多様性の余地を作り多様性 を促進する。」と指摘している。

ジェイコブズは都市における「多様性」の必要を述べている。ここでいう多様性とは行動における選択肢の 多さである。ここでは都市の多様性を成立させる条件として、「用途混在」、「小 規模街区」、「古い建物」、「人口集中」の 4 つを挙げ、これらが揃って初めて多様性が成り立つと主張してい る。

ジェイコブスは「現在多様性が存在する場所を観察し、なぜその多様性がその場所にあるのかという様々な経済 的理由を研究することによって、都市の多様性を発見するのはそんなに難しいことではない。」と述べている。 非常に恣意的な捉え方ではあるものの、多様性を生み出す要素と経済効果の高いやり方が一致すると言って いる点は注目に値する。恐らくはこの部分が、彼女の推察として特筆すべき点ではないかと思う。

例えば、また、「古い建物」というのは、いわゆる博物的価値を持つ建築のことではな くて、お世辞にも価値のあるとは言えない古い建物のことを指している。早い話が、価値の低い古い建物を 改修・使用する方が新築の建設費よりも安上がりなため、経済効果が高い。よって古い建物も残すべきであ る、と言っている。この条件に対しては徹底して経済効果という点からアプローチしている。

彼女の主張は要するに「大きすぎるものや立派すぎるものは良くない」というようにも捉えられる。同じ用途のものが「広範囲」にわたって存在すると 某金融街のような弊害があるため分散させるべきであり、一度に「多く」のものを建て替えるような劇的な 変化をおこすよりは古い建物もうまく使う方がよい、ということではないだろうか。つまり人がうまく生活 していくためには都市の多くの要素をもっと「小さい」視点で考える必要があるのである。


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