「少女像」が象徴するものとは。

                               68日前


「少女像」が象徴するものとは。



「慰安婦」自身の記憶が正しくなければ、本当の理由や、歴史はわからない。真実は謎のままであり、どんな知的考察もそれは変えられない。

歴史が生まれるのは、不完全な記憶と物語が出会う時である。日韓関係の場合、加害国の「嘘」と被害国の「自己欺瞞」によってその歴史は成り立っている。
歴史家は戦争の責任が誰にあるかを突き止めようとするが、でもそれを知るのは不可能だ。
それぞれの記憶が正しくなければ、本当の理由や歴史はわからないし、真実は謎のままであり、どんな知的考察もそれは変えられないのである。

朝鮮民族にとっての「恨」は、単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、(虐げる側である優越者に対する)あこがれや妬み、悲惨な境遇からの解放願望など、複雑に交錯した様々な感情をあらわすものである。

韓国人の有する情緒とは、国家が分断され、本来、個人の願望(願い)と記憶(思い出)を基本的な構成要素とする意識現象により、過去の記憶のなかに残る人や物、時間や空間を現在に取り戻したいとする願いを有し、その願いのなかで苦悩してきた。

慰安婦が現在、愛情、愛着を抱いている情緒は、もしくは抱いた人、物、場合によっては状態、行為に対 して用いられる。さらに、そこには対象となる人や物が不在または消失という条件が原則として加わる。また、現在そこにない、あるいは過去に失ってしまった対象を思い浮かべるととも に、将来再び見たい、会いたいという欲求、願望が対象に投影される。

そして、それらを思い出す時 、さまざまな感情が表出する。〈寂しい〉〈悲しい〉〈切ない〉〈苦しい〉 ま た 〈懐かしい〉〈嬉しい〉〈楽しい〉〈うっとりとして心地よい〉といった感情である。これらの表す一つ、あるいは複数の形容詞が「恨」という名詞に包含されるのである。

要するに「恨」と は、主体は現在の自分であり、自分が愛情、愛着を抱いた対象が不在または消失した場合、過 去の記憶を思い浮かべるときに生じるさまざまな感情の総体であり、そこに主体の欲求、願望 が投影されたものである。これが「恨」の基本的概念である。

「恨」を単なる怒りや恨みというに解釈に留まれば、韓国人、それ以前に人間そのものの理解に到達しない。この「恨」への概念付与は、「国民国家」という歴史的かつ社会的な組織原理の構築のための操作と考えることが可能であるし、あるいは政治と芸術とのあいだに親和性を見るとともにそれらを不可分なものとして理論化し、実践してきたロマン主義思想の要請であったとも判断することもできる。

「恨」の概念付与を韓国の「国家」、「国民」、「社会」を抗争史、この意図的な概念付与をされた情緒を基軸とすることで韓国人が東アジアおよび近代世界において東アジア東洋文明へ再び何かしらのものを付与し、その存在を確かなものとするための拠り所とし、「恨」がつねに依拠することの可能なカノンとして存在しているのである。


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