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Occupy the regionーオキュパイ・ザ・リージョン

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Occupy the regionーオキュパイ・ザ・リージョン

HECP/STAND3.0


私たちが予想する以上に、世界は大きな変動に向かって動き出している。私たちは、歴史的な時間を加速していかなければならない。もはや、「学者」や「議員」の退屈な議論につきあっている時間はない。私たちの時間性は両義的世界観のオルタナティブな構成的プロセスへと移行し、未来からの観点から、先回りして来るべきものを把握し、アフターコロナのオルタナティブな社会を囲んでいくことが何よりも重要なのである。


パラダイムの変化は、政治的、あるいは経済的な意思決定の仕組み(議会や市場)によって導かれるものではない、〝新たなパラダイムが現れ、その優位性を示し、次第に現行のパラダイムに取って代わっていくものなのだ。〟
人類再興のパラダイムシフトを呼び起こすためには、現代政治のその射程の「狭さ」への反動として、思想射程を拡大した芸術思想運動を展開していく必要がある。この未知のウイルスに対抗するのは、持続可能性を高めようとする個性豊かな人々で、唯一の共通点は、遠い未来を見据えているということだ。
「21世紀の芸術」は、スタティックな、シンボル的な、モニュメンタルな造形物として捉えるのをやめ、人間の動的なアクションのなかで考え、世界中で群発的に圧倒的なパラダイムシフトを呼び起こすことにある。


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「21世紀の芸術」では、世界各地の相互に無関係なエリアで群発的に発生する紛争や災害という謂れのない苦難に対して、無名の人々が国家や地理的概念を超えてパブリックネスに同じ行動を取る。これから起きようとしているのは『スタンド』である。 今までのように問題の解決を国や行政の既存の仕組みに任せているだけでは進まない、一人一人が動くしかなく、「立ち上がれ」というのが全世界で起きているさまざまな人権や環境問題、そして、貧困、紛争、災害などの現象に通底するメッセージである。近代の立憲民主制では、市民たちが異なった価値観・世界観を持っていることが前提になっている。『スタンド』は、深いレベルでの一致を無理に目指すことなく、アウトノミアにより、お互いの価値観・世界観に対しては干渉せず、共通の目的に関して行動するのである。

「21世紀の芸術」は、スタティックな、モニュメンタルな造形を想像することではなく、スタンドと化した構想的プロセスのことである。STAND 3.0はこの文脈において、言語表現やシーニュではなく、潜勢力であり「芸術」なのである。

それを実現することができるのは「芸術」だけだ。「芸術」は利己的な態度を捨て、自分と他者とを隔てる考えを捨てる真理把持を持った、おおげさにえば「人類の鑑」でなければならないのである。これは確かに壮大な夢物語かもしれない。しかし、ロマンとはそういうものである。そして、「スタンド」とは、時代を「解析」することでも「予測」することでもない、「形象」することなのだ。たしかに、社会の人々が共有しなければ、社会的な意味を紡ぎ出せない。 しかし、その共有は「果実」ではなく、時間性を超えた「種」のそれなのである。

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つまり、一人一人の「スタンド」は単なるシーニュではなく、社会に介入することにより、その種は、突然に芽を出し、大きく変異するのである。
「スタンド」とは、個の「自立」と「覚悟」の概念だ。今後、世界中の紛争地区や被災地区で群発的に「スタンド」がわき起こる。

今後数十年間で、人々の心の中に地球規模の意識が出現するであろう。その本質や大きさは今のところ分からないが、数年後には、世界は距離がなくなり、クラウド・シンキングのその新たな意識は、私たちに論理的な結論をもたらすだけでなく、他の人々のタスク(行動)を通じて、世界中で群発的に発生する。「スタンド」という運動は別に誰かが「そうしよう」と決めるわけでもないし、主導するような社会理論があったわけでもない。集団的な叡智が発動するときというのはそういうものである。
「スタンド」とは、個の「自立」と「覚悟」の概念だ。今後、世界中の紛争地区や被災地区で群発的に「スタンド」がわき起こる。世界の構築に参加する諸々の主体からなる多様体のなかで共有し、特異的形象を発明する。「21世紀の芸術」は、スタティックな、モニュメンタルな造形を想像することではなく、スタンドと化した構想的プロセスのことである。STAND 3.0はこの文脈において、言語表現やシーニュではなく、潜勢力であり「芸術」なのである。

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