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新型コロナウイルス〜不都合な真実



新型コロナウイルス〜不都合な真実

政府や知事など政治家やウイルス感染症の学者たちが、コロナ禍をできる限り複雑な政治的アプローチや科学的方程式で解決したい気持ちはわからないでもない。

政治家や科学者にとっては、この問題をあまりにも簡単に解決してもらっては困るのだ。アベノマスク、緊急事態宣言、Go to キャンペーンなど今までやってきた政策が全てにおいてトンチンカンで誤っていたことになる。

だが、それにしてもあまりにも回り道が酷過ぎる。すでにそんな手柄争いをしている場合でもないし、結論のない科学的論争をしている場合ではない。この問題は私たちが現実的に出来る点と点を結ぶだけで帰結する極めてシンプルな命題なのだ。

つまり、人間の免疫でウイルス感染を抑制する。後にも先にも、最初からこの問題の帰結はこれしかないのである。

科学者たちは、大きさの存在しない「質点」に大きさを与えることにより、ウイルスの全体像を見失ってしまっている。無意識のうちにウイルス像を勝手に膨らませ、自ら霧の中に迷い込んでしまっている。

新型コロナ禍は、政治家や学者、マスコミメディアにとって大きな見せ場かも知れないが、この時点で未だに終結できないのであれば、もはや科学の限界と言わざるを得ない。学者たちにとっては、こうした大はしゃぎが楽しいのかも知れないが、これは生命についての命題であり、新型コロナは決してゲームではないのである。


人間の免疫機構は科学の理解を超えた不思議で高次なネットワークを構築している。そもそも人間の「生命」や「意識」については、多くの不明が存在する。それは、不思議と言ってもいい。不思議は不思議であって決して謎ではない。命の不思議の概念には人間は永遠に到達できない。人間は私自身の意識がどこに存在するのかすらわかっていないのである。

そもそも、人間の免疫機構は、自然免疫、獲得免疫という個別の科学概念では説明がつかない。免疫は人間の生命の起源とされるマクロファージを中心する細胞ネットワークによる、インティグリティな広域交叉反応性と相補有機防衛機能のことである。いや、マクロファージそのものが生命の起源であり、人間の命そのものと言っても良いのかも知れない。

科学においていくら電子顕微鏡を覗いて分子構造を眺めてみても、自己と非自己が理解できるはずがない。科学はHLAや免疫、そして生命活動のその複雑なネットワークシステムには到達しないにである。

HLA 遺伝子の分子構造の比較から, 特に多様な受容体と相互作用する受容体群との相互作用解析と結晶構造解析など、科学は一定の概念群を所与としたうえで、概念同士をつなぐ関数を創造する営みであるのに対して、私たちのような決して頭に良くない非科学者は、決してそうした理路は取らない。重要なのは、直観とイマジネーションである。因数分解のたすき掛けで、大きな数字を分解したい場合は、直観で当てはめていくしかないのである。

免疫の「記憶」は、血中の単球を「訓練」し、エピジェネティックな再プログラム化を介して起こり、血中の単球では数か月持続し得る。自然免疫も獲得免疫も関係ない。私たちの出来ることは自然由来により、マクロファージを中心とする免疫細胞ネットワークを訓練するか、それも出来ないのであれば、マクロファージが新型コロナウイルスとの戦いに専念するために、空腹を維持、いかに食べないかどちらかであり、どちらも人間にこのウイルスとの戦いの覚悟さあれば、今すぐ実行出来ることなのである。

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