曖昧模糊モコは日本の伝統なのかー

私は、データとモデルとどっちを優先して理解すればいいのか混同した時期があった。

工学部なので因果関係と相関関係といっても物理と数学の組合せでモデルとして理論を学んだけど、災害などでデータが取れると理論の正確性や実証が気になった。

でも、労働災害の調査で対小規模事業者になると一気に経済性とかに翻弄される。

要は早く調査を終わりにしてもらって機械を稼働したいとかの協調圧力や責任回避からの隠避がある。事を理解していない官僚がいる。

複雑な機械や関係者が多くなると理解するだけでも困難を伴うのにー。

要するに、アカデミックとエコノミックの戦いを調整する政治と行政の補完関係があることを理解してシステム不全を起こしていないか、国民が平時から政治に関心を持つ事が重要。

この徒然なる文章を書くきっかけは、篠田先生の以下の論考が参考になっている。

http://agora-web.jp/archives/2045808.htm

卑近な労働災害の調査でも目的は原因究明、責任追及、災害補償の為、担当官の嗜好性、出世欲など複雑になる。

指揮命令が無いと曖昧模糊として来ることになる。

災害の原因究明、責任の追及、生存者の救出などを分けて優先順位考えておくこと事が必要という事は、日航ジャンボ機墜落事故やJR西日本の脱線事故でも同じような事が繰り返されて日本が露呈してきた欠陥では無かったかー。

翻ってウィルスと世界が戦うために、信頼と連帯も重要ですが、政治と行政の補完関係を市民が学ぶ事も重要だと思います。

それには、透明性や国民のリテラシー(政治家を選ぶ眼力)が重要になってきます。良かれと思ってやっていたことが実は地獄への道だったー。とならない事を祈るばかりだけではあかんのです。

そして、地元首長と賢明な首長の違いも浮き彫りになる事も必然です。

しっかりとウォッチしましょう。下は千葉市長の熊谷さん賢明な方のようです。


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