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試行回路

人生における、「成功」や「失敗」とは何なのだろうか。

大企業の社長になる、国民的歌手や俳優になる、などなど。だが、目指したもの誰しも成功するほど人生は甘くなく、だからこそ成功というものが輝いて見えるものだ。なら、成功する人と成功しない人、とはどこで分かたれるものなのかを考えてみる。

そこで大事なのは、「成功」とはなにか、「失敗」とはなにかというものの考え方だと思う。

失敗したから成功しないのではなく、つまづいたから進めないのではない。成功しないから試さなくなり、立ち上がらないから進めないことに理由が欲しいだけなのだ思う。
この世に成功と失敗が一定数あったとして、たとえひとつ失敗しても違う形の成功があるはずなのに探そうとしない。成功している人が失敗したことがないわけないのに、私たちは無意識のうちに自分は失敗したから成功しなかったと決めつけている。
失敗は人生の全てではない。成功も失敗も、試行に対するひとつひとつの結果でしかないのに、まるで表裏一体の二者択一のものに思ってしまう。
それは何故か。失敗した自分を肯定したいからなのだと思う。人間、自分を否定することが一番難しいと言う。「自分の努力が足らなかった」ではなく「自分には才能がない」と思うことで失敗したことを仕方のないことと肯定したいだけになってしまっていないだろうか。

世の、いわゆる「成功者」と言われる人々は、失敗を元に次に繋ぎ続けたからこそ成功に辿り着いたのだと冷静に考えれば分かるはずなのに、〇〇に失敗したから自分は成功しないと試行する思考を断ってしまう。絶対的な才能と運に恵まれてるからあの人は成功し、ではどうすれば次に繋がるかを考えなくなる。そうではない、試し続けないから運に恵まれず、挑み続けないから才能が花開かないのである。それは、「成功」までの道のりを自らシャットアウトすることで自分を許したいだけなのだと思う。
ひとより器用に物事をこなせるとか、そつなくこなせるとか。きっと成功した人はそんなこと考えてはいない。毎日毎日試行錯誤する、その試行錯誤すら糧にしていく。失敗を掴むことを恐れないから成功を掴めるのだ。やってみてもいないのに、試してみてもいないのに、それが成功に繋がるか、失敗に終わってしまうのか本来なら分からないはずなのに、一回転んで怪我をしたことで臆病になり試そうとしなくなる。自ら可能性を摘み取っていくことで"安心できる自分になりたがる"。当然、人生とはそんなに簡単にいくものではないし、誰でも挑めば成功者になれるわけではない。

だが、失敗してそこで終わりにするのは私たち自身なのだと思う。

自分を安心させるために、自分を許せる道を辿るために選択肢を選ぶのと、成功に辿り着くために可能性を探るのは同じことをしているようで真逆のベクトルなのである。

だって、「成功」とは「ゴール」ではないから。

「終わり」にする為に人は挑戦するのではないのだから。成功とは、「到達点」ではなく「起点」なのである。成功したからといってそこで歩みを止めて努力をやめたら次に繋がらない。それは、いや、それこそが「失敗」と呼ぶものなのではないだろうか。成功し続けるとは挑み続け試し続けることであり、理想を自分の都合のいいように象って安心することではない。生きていると、様々な出会いがあり、環境が変化していき、自分が何を望むか、もその都度変わったり増えたりして行くはずなのに、同じ考え方、同じやり方一辺倒で成功に繋がるはずがない。そもそも目指すべきもの、そのとき、その人生の局面においての自分にとっての「成功」があるはずなのに、試すことを、歩むことをやめてしまうのは、それまでの自分の歩みを否定することと一緒である。立志した時の自分の想いも大切だが、「いま」の自分の想いも大切にしてあげて欲しい。未来を形作るのは自分自身、今のあなたに他ならないから。大切にしたいものを大切にしていく。その連続なのなのだと思う。

目指すものが変わるのは悪ではない、大切にしたいものをどう大切にしていくかを考え続けることは過去の自分も未来の自分も正面から目を逸らさずに認めていなければできないことで、その姿勢は誇っていいことなのだと私は思う。自分を試し続ける勇気は誰でも持てるものではないから。今の自分にとって何が大切なのか、何を大切にしていかなければならないのか。そんなことを考えずとも息は吸えるし飯はうまい。だが後になって悔やんでもあなたの可能性は萎んでしまっている。残りの人生枯れていくだけなんて私はまっぴら御免だ。

だが、ひとには人生があり、生活がある。そうは言ってはいられない局面も確かにある。譲れないものを譲らなければならないことも多々あるのが人生だ。だけど、歩みを進める上で、選択肢を選び取る上で、試し続ける勇気から試す前から逃げていると、それに辿り着こうとする道もまた自ら狭めてしまうことになる。自分はこのままでいいのか、本当はどうあるべきなのか。考え続ける、考え続けられる、挑み続けられる。

試して行く、回り路をしたとしても自分の心の中にある光を見失わない。その"試行回路"こそ誰かを振り向かせる煌めきになって行くのだから。

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