久しぶりの更新 老力

なかなか更新できないでいた。いろいろと思うところはあるのだが、それを文章にまとめられない。何か面白い話のタネでもないかなと自転車で散歩をしたり、本を何度も読み返しているが、話のタネや、面白いフレーズがあってもそれを使いこなせるだけの話の展開ができない。簡単に言えばちゃんと頭を働かせていないのだ。
頭も機械と同じで常に稼働させていないと錆びつき、円滑に動かなくなるものだ。これはいわゆる老朽化につながるものだと思う。
例として正しいかどうかわからないが、多少錆びついて老朽化してきていても常に動かしていればちゃんと働くものだ。現在乗っているマツダのデミオなどは、平成14年式ですでに14万キロを超え、ラジオの右スピーカーは音が出ないし、ハッチバックの開閉もできなくなっているが、走る分には全く不便を感じることがない。老朽化してきたからと言って使い物にならなくなるというわけでもない。
そういえば風呂釜も、温度設定や点火などを操作させるためのリモコンが壊れてしまって今日修理依頼をしたのだが、風呂釜設置から十数年が経っていてこれも老朽化によるものである。とにかく住人が老朽化しているだけでなく我が家には老朽化したものが沢山ある。テレビとビデオは5月のうちに新しいものに買い替えたが、エアコンは20年近くたっている。リモコンも汎用リモコンのお世話にならなければ動かないし、お勝手の水道は湯沸かし器が壊れていて水しか出ない。トイレもシャワーのボタンを押すと水が止まらなくなっている。
でも、である。でも老朽化して不便を感じることもあるが、それはそれで味わい深いものでもある。
と、お金がないから「それはそれで味わい深い」という言葉で自分を慰めている。とは言え自分の頭の中の老朽化は、それなりに稼働させないと、還暦は既に過ぎたとはいえ、まだ前期高齢者の仲間入りをしたばかり。後期高齢域になる前に老力を推進させないための労力は必要かもしれない。それが同じ本を何度も読みかえすことにつながっている。。
まあ、年齢を重ねることで老力が付き、どうしても緊張感というものが擦り減っていく。すり減った分、その隙間ができたおかげで吸収が良くなる。出入りが良くなっていると考えてもいいだろう。

結局、いったい何を言いたかったのか判らなくなってしまったので今日はこの辺で終わりにしようと思う。

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