酸鼻関半公式設定集
https://note.mu/ubmzh/n/n29273542c601
皆さん、もう読んでいますね?相撲と陸上、更に競馬がフュージョンライズした脅威の力士パルプ「どすこいジャパンカップ(芝2000m/両国)」。ここに私の挙げた残虐力士酸鼻関が参加しております。私としても大層驚いています。正直予想を超える出番に酸鼻関生みの親として嬉しい限りです。
折角なので彼の経歴をちょっと考えておきました。
※ちゃんと土俵惨歌も書いています
生まれ 中部地方のある地方都市
改名以前の四股名 本田(本名をそのまま使用)
身長 (ジャパンカップ出走時)169cm
体重 (ジャパンカップ出走時)142kg
幼少期 日舞の稽古場があった母方の実家でテッポウを見様見真似で打つ。小学校入学前に父の都合で青森に引越し本格的に相撲道へ。
小学校 ちびっ子相撲で連戦連勝……などということもあまりなかった。単純に体格負けすることが多かった模様。
中学校 体格をカバーする為に投げ技を鍛えた結果2年の県中総体で個人戦3位に。全国まで駒を進め学生相撲界注目の星に。
高校 高総体全国大会の常連になっていたが素行が悪く「相撲部を辞めた時点で退学確定」とまで言われていた。そして3年の夏、惨劇が起きた。
「土俵の赤丸」事件である。
高総体全国大会出場を賭けた県総体個人戦決勝、もろ差しを喰らった本田は起死回生の首投げに打って出る。首投げ自体は成功したものの重心移動と投げ終わりの姿勢をわざと変えた結果対戦相手の頭は土俵縁辺部をぐるりと紅葉おろしされそのまま動かなくなった。取り組み後の土俵は赤黒い丸が残り大会はそのまま中止、土俵はその後撤去された。事を重く見た高体連相撲部会は彼を学生相撲界から追放。そのまま5年ほど相撲から遠ざかる。
そして角界へ 膾錐(なますぎり)親方に拾われた彼は改心し最初のうちは真面目な相撲を取っていた。しかし、己を一度追放した相撲界への恨みから残虐ファイトに目覚め後味の悪い相撲に邁進する。最早追放すら手ぬるいと判断した親方の決断、それは「酸鼻」への強制改名。こうして生き恥を晒しながら土俵に立つ異端児酸鼻が誕生したのだ。
……生きて帰ってこい酸鼻関。誰かが、具体的に言えば残虐ファイトを求める誰かが君を待っている。
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