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パノラマスーパーと今後について

おはこんばんにちは、ムラサメです!!!

唐突ですが実は私、鉄道が大好きで特に名古屋鉄道が好きなんですよ。

最近撮り鉄にハマっておりまして、色んな写真を写しているところで・・・とまぁ自分語りはここまでで。

今回は自分の好きな名鉄のエース、1200系「パノラマスーパー」の全車特別車編成について話していきたいと思います。

上の写真は私が神宮前駅から取ったリニューアル後の1200系の写真です

パノラマスーパーとは?

簡単な情報としては1988年、東西直通40周年に先がけて製造された車両です。

当時は4両固定編成で、ラッシュ時には4+4の8両編成で名古屋本線を走行していました。

後に日本初の異制度貫通編成「一部特別車編成」として既存の1000系特別車編成2両に1200系一般車4両が組み込まれた6両編成が合計12編成作られました。

出来上がった一部特別車編成にも闇が潜んでいるのですが・・・それはまた別のお話。

※残念ながら私が写した全車特別車編成の写真が無いため下記のリンクから写真を見ていただけると幸いです・・・

http://www.agui.net/met/met1000-211-220.html

※今は形式を1200系に統一していますが、当時1000系でした。1200系と言うのは後に特別車2両の後ろに連結される一般車4両の事です。

しかし疑問が残る場面もあるのだ。

パノラマスーパーは1961年に製造され永らく名鉄の顔として親しまれてきた7000系、パノラマカーの後継車として登場しているにも関わらず、岐阜方・豊橋方共に展望車の六両編成が作られなかった事である。

パノラマカーは岐阜方・豊橋方に展望車を装備しており、全盛期は6両編成の特急として名古屋本線に君臨していましたが、パノラマスーパーは登場時は4両編成。後に一般車4両を連結させて一部特別車編成を形成しますが、一般車側の顔は特別車側みたく展望面に長けている訳ではありません

上の写真が一般車側の顔です。出来るだけパノラマスーパーの顔を崩さないようにライトは特別車側と同じのを使用したり、精一杯の展望機能を備えているあたり、名鉄側の努力がうかがえます。

おそらくパノラマスーパーが誕生する6年前に登場したパノラマカーの白帯編成の後継車という立ち位置でパノラマスーパーは4両編成として誕生したものだと思います。

パノラマカー白帯編成って?

パノラマカーの白帯編成1982年の特急政策変更で誕生した4両編成で、ラッシュ時には7700系の白帯編成2両と連結して全車指定席の特急として走っていた時期もあります。

※こちらも残念ながら写真がありません・・・同じようにリンクを貼っておきます

http://js3vxw-02.cocolog-nifty.com/photos/mt_7000_7700_w/

当時、パノラマカーの帯無しは(基本)料金不要の特急や急行などの運用に就いており、白帯は本線や犬山線などの指定席特急として1999年に特急運用を離脱するまで活躍していました。

おそらくパノラマスーパーはパノラマカーの白帯編成の後継車であると思われます。

なぜパノラマスーパー6両固定編成が作られなかったのか?

そして何故6両全車特別車編成が作られなかったのか・・・・

それは「ラッシュ時以外の乗客数」を考慮した結果なのでは無いか?と思います。

特急・高速・急行と種別問わずに運用に就いていたパノラマカーと違い、パノラマスーパーは基本は特急運用のみ。それに当時から「座席指定券」、今で言う「ミューチケット」は存在しており、新名古屋から神宮前、金山橋から神宮前と言った短距離の輸送で指定席を使う事は無いに等しいです。更には昼間になると車内は空席が目立つ場面が見えます。そんな状態で6両の全車特別車編成を作っても意味が無いと踏んだのだと思います。

しかし、同期の近鉄特急「アーバンライナー」は全車指定席の6・8両編成で当時は名古屋から大阪までをノンストップで走っていたのを見ると、名鉄も日本一の私鉄と呼ばれる近鉄並みに旅客距離が長ければパノラマスーパーの6両全車特別車編成を拝めたのかもしれませんね。

しかし、4両だったからこそ後に日本初の一部特別車編成のパノラマスーパーが生まれるので、どうなるのか分からないのが本音ですね。

パノラマスーパーの今後

今現在はトップナンバーを含めたパノラマスーパーの全車特別車編成は廃車になってしまいました。

2008年に行われた特急政策の変更により、全車特別車は2005年に登場した2000系「ミュースカイ」に統一されたためです。

上の写真が2005年に誕生した2000系「ミュースカイ」です。神宮前~中部国際空港をノンストップ28分で結ぶ最速達の種別専用車です(展望無いのかよ・・・)

全車特別車編成が廃車になったことにより、岐阜方の展望車が消滅してしまいました・・・・

もう一度岐阜方の展望車を復活させるには2つ遂行させないといけないかと思います。

①パノラマスーパーの後継車を全車特別車と一部特別車編成の2種類を製造する事

②パノラマスーパーの後継車を作るまでに特急政策をもう一度変更する事

この2つの理論が出てきます。

しかし、ミュースカイの強みはなんと言っても神宮前~中部国際空港間を28分と言う驚異的なスピードで走破することです。

以前は犬山・西尾・河和・知多新線でパノラマスーパーの全車特別車が走っていましたが、今同じ要領で全車特別車を組み込むとなると学生を中心とした乗客からクレームが飛び交う危険があります。

いくらミューチケットが一律360円で近鉄・JRと比べて安いとは言え払いたくない人だっているはず。出来れば安く乗りたいという考えは分かります

よっぽどミュースカイのように魅力的なメリットが無い限り実現は厳しいと思います。

となると・・・第3の論が有力になってくると思います

③パノラマスーパーの後継車の一部特別車編成は1200系を、全車特別車編成はミュースカイを置き換える。

という理論です。

かなり無茶苦茶ではありますが・・・・世界初の展望車を作った名鉄。そう易々と自分の強みを手放すはずが無いと思います。

それに車体傾斜制御装置と振り子の違いはあるとはいえ、そういう装置を搭載した車両は足回りにガタが来るのも早いと聞きます。

スーパーあずさで活躍したE351系は登場から25年、「しまんと」や「南風」で活躍するJR四国2000系は登場から30年しか経っていないのに置き換え車両が発表されています。

しかし彼らは振り子。ミュースカイが搭載しているものとは若干の違いがあり、もしかしたら長く走れるかもしれませんが・・・ミュースカイが登場して14年。パノラマスーパーもリニューアル作業が完了し、あと15年ほどは走れると言われていますので、単純計算ではパノラマスーパーは46年、ミュースカイは29年・・・可能性としては0ではありません。

それに常滑~中部国際空港間の伊勢湾の景色はとんでもなく綺麗です。

あそこを2000系の気休め程度に作った前面モニターでは無く展望席で見るのは凄く凄く楽しいはずです。

過去にはパノラマスーパーやパノラマカーも中部国際空港に乗り入れていましたし、ある程度展望車の魅力を伝えていくのも良いと思います。

パノラマスーパーは現在荷物置き場などの関係で空港には乗り入れていません・・・

是非とも次の展望車特急は空港乗り入れに対応した特急を作ってもらいたいものです。

結論

長々と話してきましたが・・・簡単に言えば

①パノラマスーパーはいろんな事情があり4両編成になったのではないか

②岐阜方の不憫さを無くしてほしい。岐阜方の展望席復活を望む。

③原点回帰して、パノラマスーパーとミュースカイの後継車はぜひとも展望席付きの車両を!!

この3つを言いたかったんです・・・

最後に・・・

名鉄には自分たちの強みを理解し、簡単に捨てる真似だけはして欲しくないです。

名鉄の未来が明るいことを信じ、ここで筆を置きます。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

よろしければコメント・いいねのほどをよろしくお願いします。



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