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なずビューティージャパンに出場するのか

私は
なぜビューティージャパンに出場するのでしょう?

私とビューティージャパンとの出会いは、
昨年出場していた友人が流していた
Instagramのストーリーを見た事がキッカケです。
こんな大会あるんだぁと興味本位で傍観をする気満々でBJOのアカウントをフォロー。
(ビューティージャパン近江大会。略してBJO)

けれどそれから数日後。私のDMに、
1通のメッセージが届きました。
ビューティージャパンに出場してみませんか?
そんなメッセージに
少し戸惑いましたが、
特に考え込むことも悩むこともなくokをしました。
断る要素がみつからない場合のお誘いの返事は
YESかハイ。これに限ります。

けれど、
打ち合わせや他のファイナリストさんの意気込みを見て聴いているうちに、
もしかして私の出場は軽率すぎるのでは!?
と思うようになります。
これを伝えたいから出るという明確な目標もなく、
日本大会に行きたい!と強く願うこともなく。

職人気質で1人で黙々と作業する事が得意。
教える事や説明は大の苦手。
やって魅せるから私の背中をみてての
背中で語るスタイル。
(苦手から逃げているだけかもしれない)
人前に立って話をすることや
ましてや自分の思いを人前に立って話すなんて。できないできないできない。やりたくない。めんどくさい。いやだー。

そして
ほとんどの情報や連絡はSNSやオンライン。
オンラインよりもリアルが好きなのに、
事務局の方やファイナリストの方とは
限られた時にしかリアルで会えないのに、
その限られた1回目を骨折の手術と重なり見送ってしまった。

私はなぜビューティージャパンに出場するのでしょう。
こちらの課題
数ヶ月前は、あまりわからなかったのですが
最近になり実は少しづつ明確になってきました。
そのキッカケは4月に起きた、
現場での転落事故がキッカケです。
39年間生きてきた中と
20年の現場仕事上でも初めての大怪我。
転落のショックもありますが、
それよりもなによりも
今後の自分の在り方を深く考えました。

組織に属することなく個を選び
ひとり突っ走ってきた20年。
気楽だし自分がやった方が早いし
だれかと一緒はめんどくさい。

そんな私でしたが2年前に
第三子あーちゃんを予定外に妊娠した時
できる事には制限があり、
誰かに頼らざるを得ない状態になった。
掃除は肉体労働です。
元気にチャキチャキ動けるのにも限界があるということや
確実に年齢を重ねている自分の肉体にも気がつきました。

けれど
人になんて頼れない頼る人もいなくて
誰がやってくれるんだろう。気を遣うわ。
と思っていましたが、
勇気を出して頼んでみると心よく受け入れてくれたり
助っ人を他にも探してくれたりと
人が人を繋いでくれました。
妊娠を期にできなくなることの方が多くなると覚悟しましたが、
実際には出来ることが増えて仕事の幅や依頼も増えはじめたのです。

それにも関わらず産後約2年。
産後に激減していた体力も戻りはじめ
私はまたひとりでもできる。
自分でやった方が早いし
頼むのはやっぱり気を遣うし。
と、またひとり街道を進み初めていた
そんな矢先に
転落事故に合ってしまったのです。

利き手である右手首の粉砕骨折。
右手の自由を失うという事は致命的。
そんな絶望的な状況の中私は悟りました。
またひとり突っ走っしろうとした私に
神様が強制終了をかけに来たなと。
だけどこの終了させ方はちょっとひどすぎないか。
と思う人もいるもしれませんが、
猪突猛進タイプで集中したらまわりの声も聞こえなくなる私には、
ちょうど良かったのかもしれません。

BJOエントリー当初の想いは
軽率ではあったかもしれませんが、

私はなぜ
ビューティージャパンに出場しようと思ったのか?
私はビューティージャパンに出場して、
おかたづけや掃除の魅力。そして
熱い想いと願いを持って
一緒に働く人達と創る未来を語りたい!!!
私はビューティージャパンに出場します。



次話
「ビューティージャパンの先に描く未来」
に続きます。



長文のご清蘭
まこにありがとうございました。

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