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軽井沢石塔の謎その1 2022年11月

いつか星野温泉でまた聞いた会話で、
『ほぼ通年軽井沢に滞在するけれど、
浅間山のてっぺんに雪が積もったら冬季は引き揚げる。』
と話していた女性がいた。

今朝の散歩で野鳥の森から浅間山を見ると、
てっぺんのあたりに雪があった。

先日シーズンの営業日を間も無くおえる友人の天野さんをバーに訪ねた。
冬季は奥さんの里の高知に夫婦で戻り、春まで過ごすのが恒例。
今年はうなぎの稚魚漁のライセンスが取れなかったそうで、
2023年は早めに3月3日からレストランバーアマノを再開するとのこと。
またゴールデンウィークにお手伝いを約束して夫のUziと代行を利用して帰宅。
天野さんおすすめの群馬の代行業者鈴木さんは
リーズナブルな料金で送ってくれた。

さて、石塔である。

軽井沢はあちこちに石塔がみられる。

石仏とか道祖神、庚申塔とかといったもの。
中には朽ちていて何かよくわからないが古そうな石塔もある。
苔むしていて何か由来がありそうな佇まいに心惹かれるものがある。

昔の旅で難所の碓氷峠を越えた途端亡くなる人もあったというから、
中には忘れ去られた墓標もあるのかもしれない。

その石塔は山荘からの散歩の途中、野鳥の森の入り口の手前80mほどの
道端に、枯葉に埋もれて建っている。

多分昨年の秋あたり、散歩途中に気がついたのだと思う。

バーテンダー業界の名物で、活躍した澤井慶明さんが
2006年の秋に突然亡くなったとき私は幼い娘とふたり軽井沢にいて、
虫の知らせというものを経験した。

その奥さんの千恵さんの訃報を今年の夏にまた軽井沢で聞き、
ふとあの石塔を思い出して写真を撮りに行った。

初めてこの石塔に気がついた季節が秋の頃だと思うのは、
夏に石塔を見つけに歩いた時、夏草に覆われていて見つけにくかったからで、
紅葉の終わった今の季節は、葉が枯れて見通しが良くなっている景色の中で、
石塔は相変わらずぽつりと枯れ草に埋もれていた。

石塔には「帝女」と彫られた字が読めて興味をそそられていた。

かつて東京都が帝都と呼ばれたように、
かの帝政の時代に生きた女性の名前がこの下につづけて彫られているのでは、
もしそうならこれは忘れ去られた墓標なのでは、
と思ったりして気になっていたのだが、
この秋の午後は時間があったので石塔の前に立ち止まり、
落ちていた枯れ枝で埋もれた石塔の土を掘り下げてみた。

すると、苔のむし始めている帝女の文字の下、
枯れ草の下の黒い土からつづけて彫られている文字が徐々に形を表した。
それは「医」と読めるようだ。

枯れ枝で掘り下げられるのはこれくらい。
また日を改めてスコップ持参で来てみようと引き上げた。

それにしても帝女医とは?
帝政の時代の女医?
帝の娘のかかりつけ医?

この字の下にさらに字が続いて、医院の名前でも出てくるのか?

石塔の謎は続く。






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