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紫陽花と母の呼ぶ声

中学校と高校と一緒だった
うーちゃんから
還暦同窓会のお知らせがあったのが今年の初め
昭和40年1月生まれの私は来年還暦を迎えるのだが
学年のくくりでは昭和39年生まれ組と一緒の枠にはいる

うーちゃんというのは彼女の旧姓鵜近からの愛称だが
今彼女を昔の愛称で呼ぶ人はまわりに少なくなっていることだろう
女性は結婚で姓が変わる場合が多いうえ
子どもを持った人は誰々ちゃんのお母さんという
属性で呼ばれるようになったりもするので

国分寺一中から
北多摩高校に進学した軽音部所属の佐和子に
ガールズバンドを組むからと誘われて
五商のセーラー服を着たまま
下校後に北高文化祭に参加したりして
同校のみなさんと同窓のような関係となった学生時代
最近のコロナの頃北高軽音部の小笠原先輩に
Facebookから
のぶちゃんご無事ですかと尋ねたら
聞き慣れない小笠原さんの愛称に
メッセージ欄のご同輩が驚いているのを見て
ちょっと微笑ましかったりしました

幼少期から青年期にかけての呼び名で
あなたのことを呼ぶ人は
歳が経つにつれ
減ってゆくことでしょう

今年は同窓会ラッシュの年らしく
バー業界でもつい最近
それぞれ青春時代を共に過ごした
仲間が集う同窓会があり
そこでちょっと年長の
グループに入った私を
同級生の森山くんが熊本弁のアクセントで 
奈奈ちゃん という
なつかしい愛称で私を呼ぶのを
ノスタルジックな思いで聴いた

今私のことをこう呼ぶ人は
もうあまりほかにいない

あちこちに紫陽花が咲く頃になると
この呼び名で私を呼んだ
母を思い出す

母の病床に紫陽花の
鉢植えを持ってきてくれた方があって

紫陽花はたくさんの水やりが必要なのだけれど
それをすっかり忘れてしぼんだ花びらが
水をあたえるとみるみると復活してゆくさまを
みるのが私は好きだなと話したら
友人のたかちゃんが
あんたは母親の回復を願っているんだね と
言ったひとことに
岡目八目の思いがしたものだった


あじさいの
みずを得たりと咲き返す
母もかえるか
かの枕元


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