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Heartcocktail @ Amano Bar5/3 2022

2022年のゴールデンウイークは、ようやく特別な制限のない休暇となっているそうですね。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

ここ数年繁忙期に軽井沢の、レストランバーアマノにてバーテンダーとして勤務しています。Heart Cocktailの出張版です。

冬の閑散期には、星野の山の山荘から中軽井沢の駅まで歩く間にひとりの人間にも出会わないということもありましたが、昨日5/2の朝は野鳥の森を通って星野温泉へ着くまでに、50人以上の散策の人びととゆきあったと思います。
軽井沢の町はいよいよシーズン到来です。

友人天野直美さんのお店は軽井沢駅から旧軽井沢ロータリーへと向かう
通称”新道“ 沿いにある間口の広い店舗。

冬季11月から2月の休業期間とほぼ定休の水曜日(時に木曜日と連休)を除いて、
18時から23時頃まで通年営業しています。

天野さんとは長い付き合いで、
私が駆け出しのバーテンダーだった20代の前半に、
所属していたギルドの六本木支部の仲間として出会ったのがもう30数年前です。

私が当時勤務していたのは銀座にあるレストランバーでオリオンズというお店でした。

ヒエラルキー重視の銀座より、同年代の仲間が多く気楽な雰囲気の六本木支部が居心地良く、皆よりひとまわり年上ながら先輩ぶらない人柄の天野さんは仲間たちから慕われていたと思います。

私たちの世代は、新業態の”カフェバー“ に始まり、バーテンダーという職業が脚光を浴び始めた時期でもあり、多くのバーテンダーを輩出した世代と思います。
どちらかというとアウトロー的な意味合いで投げやりに使われていたバーテンという呼称がやがてバーテンダーという職業名として地位を確立してゆきました。

当時天野さんは六本木の東風Tong Pooという、ウェイテイングバーの付いたお洒落な中華のレストランに勤務していました。
今回昔話をしていたら、最初天野さんは食品会社が経営するレストランバーに勤務して、仕入れなどを担当していたらついでにバー業務をやらされるようになったのがキャリアの始めだとか。

バーテンダーには、その人によって芸風というか、
仕事のスタイルがいろいろあります。

私たちの世代はバーの再復興期と共にあり、ショットバーが流行り、カクテルの新時代到来に加えて、シングルモルトウィスキーの流行などもあって、いわゆるオーセンティックなスタイルのバーで、カクテルの大会での入賞を目指すバーテンダー、また希少なウイスキー集めに世界を奔走する蒐集家タイプのバーテンダーなどを多く輩出した世代かと思います。

また、天野さんより少し上の世代で、六本木支部の先輩でもあり当時狸穴のガスライトにいた毛利隆雄さんや、銀座ロオジェの上田和男さんなどのように、マーケティング力の卓越した洋酒メーカーの先導で、ウィスキーの水割りが飲食店を席巻した時期にあってミックスドリンクを作る需要がなく、バーテンダーの数が少ない世代のひとたちもいるようです。

ひるがえって天野さんはというと、高級なフレンチレストランでのフロアサービスなどの経験を経て、料飲担当とあわせた接客を得意とするバーマンという印象です。
同じ世代に、天野さん同様の職業タイプでまた違った芸風の紳士的なバーマンで今は亡き日下部隆晴さんも六本木支部の先輩でしたっけ。

銀座でハートカクテルというバーを開業していたある晩、
深夜に天野さんが久しぶりに登場。
新橋で生まれ育った彼が今ではあまり聞かなくなった東京っ子の言葉遣いで
「俺は今軽井沢の中華料理屋で働いてるんだ。」とまくしたてます。

旧軽井沢で中華料理店の老舗として知られる栄林で、伝説的な人気支配人として活躍され、地元のお客さんたちに慕われた天野さんはやがて軽井沢でバーアマノを開業。
最初の中部電力前の店舗で10年、
今の東雲信号先の店舗で9年目を迎えるそうです。

このところ”ナントカ肩“のためか左手が上がらない、年をとったとこぼしながら、天野さんは繁忙期のお料理仕込みに励み、GWのかき入れどきに厨房とカウンターで頑張っております。

奥さんのビーズ作家美佐さんと彼女の作品をお店で展示販売しながら、愛犬の柴犬ムギと共にレストランバーアマノ本日もまた営業中です。



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