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今日は誕生日でした。

10月3日はボクの誕生日で、今日は祖母(99)の葬儀もありました。おかしな偶然といえばそうですし、たまたまと言えばたまたまです。で、今日思ったことだというだけで、これが信念だという感じでもないのですが、ヒアリングヴォイシズで過ごした時間は隠さないといけないものでもないし、結局、その過ごした時間は自分の大切な時間だと。今日48歳なりましたが、15年前でしたか、おかしなコエが聞こえるから会社を休職して、というのがHVのヒストリーみたいなものになりますが、結構、苦悩の時間が長くありました。病気の時間は無駄な時間と思っていましたが、祖母の葬儀の日だったこともあって、あんまりむつかしく考えず、過ごした時間を俯瞰して見られる気がしました。

精神疾患を抱えると先の希望をイメージしにくくなるように思います。先の希望を感じられないと、なかなか生き甲斐のことをかんがえにくいように思います。生き甲斐とは、うまくいっても、いかなくても、それをやっていることがうれしいという楽しみのようなものだと思います。前々からやりたいなと思っているのですが、マーティン・セリグマンという心理学の偉い先生がおっしゃっていた、感謝の手紙ワークみたいなのですが、それはヒアリングヴォイシズの時間を過ごした中での感謝の手紙にするといいなと思いました。

きっと、今後自分の過ごした背景は隠す必要がなくなるし、そこをもうちょっと掘り返してみて、10年くらいかけて60歳くらいで自分の暗黒史を成仏させられたらいいなとも思いました。斎藤一人さんがおっしゃっていたことですが、思い出すときに「あれは恥ずかしかった」ではなく、「あれは面白かった」と思い出す言葉を変えると、思い出自体が変わると。昔の悩んでいたことも思い出すたびに「よくやってきたなー。今思うと面白かったなー。」ってなったら、すごくいいし、自分の思い出し方を変えるのは、誰にも迷惑掛けないし、そういうのをやりながら、お世話になった人に感謝の手紙を書いたりしたら、面白いんじゃないかな。どうかなと思いました。

祖母は愚痴や文句をあんまり言わない人で、自分の過ごした時間を振り返るという感じはなかった。明るかった。そういうのも、いろいろと思いつくままに。

よい一年にしたいものです。

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