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Both the death penalty and the war are murders! ⚫︎死刑を廃止しないと日本は壊れる⚫︎ あなたも考えてね❤️死刑執行で被害者遺族の寿命が縮む それでもあなたは 死刑廃止を反対しますか⚫︎”売国奴が死刑を推進するから怖い⚫︎死刑も戦争も殺人です

死刑は廃止しましょう。
野蛮国家のレッテルを貼られている日本。
日本は国家が人殺しをしています。
死刑を廃止した国は<2018 年 12 月 31 日現在>
106 カ国。これらの国は、すべての犯罪に対して死刑を廃止しています。
また、アムネスティの活動が、死刑廃止への世界的な潮流につながり、1991年には国連の死刑廃止国際条約(自由権規約第二選択議定書)が発効しました。それから20年あまり経った今日、死刑廃止国は世界の3分の2以上の140カ国になっています。

🟩 あなたも考えてね❤️死刑執行で被害者遺族の寿命が縮む それでもあなたは 死刑廃止を反対しますか

🟨死刑廃止 - なぜ、アムネスティは死刑に反対するのか
https://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/death_penalty/reason.html

【抜粋】

死刑に賛成するあなたへ

⚫︎人の命は、決して奪ってはならない

死刑に関しては、さまざまな意見があります。その中でもとくに多いのが、「被害者の人権はどうなる」「死刑が廃止されては、『被害者や遺族の感情が納得いかない』」という意見です。そして、この問題が、死刑をめぐる一番難しい問題なのだと思います。

この意見に込められた気持ちは、かけがえのない家族を失った、たとえようのない悲しみであり、また犯罪者への怒りであり、ほとんどの人が感じる、人間として当然の感情だと思います。もちろん私たちも、愛する家族や友人を奪われたとしたら……。悲しみ、喪失感、犯人への怒り、自責の念、想像するだけでも辛い気持ちになります。「犯人には死をもって償って欲しい」とすら、思うかもしれません。

しかし、その感情を認めたうえで、「死刑」というもう一つの「殺人」を私たちは選択するのか、ということを、もう一度、一緒に考えていただきたいのです。

⚫︎被害者の人権はどうなるのか?

アムネスティは、死刑判決を受けた者が犯した罪について、これを過小評価したり、許したりしようとするわけでは、決してありません。被害者の方の失われた生命の重さ、遺族の喪失感や悲しみを思うとき、言葉を失います。

しかし、とても残念なことですが、被害者ご自身の「生きる権利」、遺族の方の家族とともに再び一緒に過ごす権利は、たとえ死刑によって加害者を殺 したとしても、戻ってはきません。

⚫︎きちんと考えるべき被害者遺族の権利

殺人事件の後で、事件の真実を知る権利などの、被害者の遺族の権利もきちんと保障されるべきです。

本来は、こうした権利を、きちんと国が保障してきたのかを考えるべきです。そしてこの権利保障は、これまで十分になされていたとはいえませんでした。

2000年以降徐々に、裁判での傍聴権などが保障され、真実を知る権利の保障が改善されてきました。また、犯罪で家族を失った遺族が経済的に苦しまないように、被害者救済の制度も整えられてきました(Q&Aもご覧下さい)。

このように、被害者側の『人権』は、国家が経済的、心理的な支援を通じ、苦しみを緩和するためのシステムを構築することなどにより成し遂げられるべきものであって、死刑により加害者の命を奪うことによるものではない、とアムネスティは考えています。

⚫︎「死刑賛成」は、私たちの社会への不安がもたらすもの

また、残虐な事件の報道を受けて、多くの人びとが「加害者を死刑にしなくては、被害者や遺族の感情が納得いかない」という意見を発します。実はこれは、「被害者の感情」を思うものであると同時に、裏を返せば「私たちの感情」の問題ともいえると思います。

この言葉の裏には、犯罪者に対する私たち自身の怒り、不安があり、死刑によってその犯罪者をこの世から消し去ることで、安心したがる私たちの感情が込められているのではないでしょうか? その感情は、いずれ他者への排斥につながりはしないでしょうか?

しかし、不安の原因と考えられる治安の悪化、犯罪の発生件数の増加のイメージについては、事実と正反対であることが統計に明らかなのです(Q&Aの項目もご覧下さい)。

⚫︎被害者の遺族の気持ち

「犯罪で家族を亡くされたすべての方にとって、死刑がもっとも納得いく刑罰に違いない」と思われている方も、いらっしゃいます。

しかし、必ずしもそうとは限りません。というのも、凶悪犯罪の被害者が、加害者を死刑に罰することに対し、反対する場合もあるからです。当事者の受けとめ方には多様性があるということ、また、時間のながれの中でも変化するものであるということも、知っていただきたいと思います。

米国では、9.11に触発された犯罪が多発しましたが、その被害者の一人であるバングラデシュ移民のレイス・ブイヤンさんは、自分を撃った犯人の減刑を求めました。「私が信仰する宗教には、いつでも寛容は復讐に勝るという教えがあるのです」と、彼は述べています。

また、娘を殺害された米国の犯罪被害者の遺族マリエッタ・イェーガーさんは、「自分の娘の名において、もう一つの殺人が行われることを、娘が望んでいるとは思えない」とおっしゃっています。このように、死刑が解決につながると考えない被害者遺族も、多くおられるのです。

1983年1月に、弟を保険金詐欺のために殺害された遺族の原田正治さんは、さまざまな苦悩をへて、のちに加害者と面会をするまでになりました。しかし、2001年、加害者が死刑を執行されます。その時、原田さんは、加害者が処刑されても、我が家は何一つ変わらないと実感したそうです。「被害者遺族のために」と言われる死刑執行が、自分にとっては何のけじめにもならないと、原田さんは痛感したといいます。

犯罪によって大切な家族を失った遺族が、長期間の苦悶を通してたどり着く「答え」の重み。その中に、感じ取るべきことは多いと思います。

⚫︎第三者である私たちができること

私たちの願いは、犯罪によって大切な人を失わないことです。その願いは、遺族にも、あなたにも、私たちにも、みな共通のものだと思います。

2011年7月22日に、たった一人の人間の手で66人の命を奪われるという悲劇におそわれたノルウェー。事件当時の法務大臣クヌート・ストールベルゲさんのお話をきく機会がありました。

国民に死刑をのぞむ声はなかったのか?との質問に対し、クヌートさんは答えています。「憎しみをもつ人はいたと思います。しかし、死刑をのぞむ声を公の場で聞いたことはありません。それは、彼を我々と同じ人間だが、違う考え方をしているのだととらえていることがあると思います」。

また、その寛容さは宗教によるものでしょうか?との質問には、「このような寛容の背景には、宗教ではなく、福祉制度と更生への努力が、犯罪をおさえるという理解があるのだと思います。また、首相の『暴力に暴力で対応してはいけない』というメッセージも国民に影響を与えたと思います。遺族も私たちも、死刑以外の『効果のある懲罰』をのぞんでいるのです。それは、これ以上犯罪による犠牲者を生まないこと、そのような犯罪を減らしていくことなのです」。

事件の第三者である私たちは、当事者に思いをよせつつも、その多様性も認識し、その上で、社会にとって最も適切な対処としての刑罰を、冷静に決めていく必要があると思います。

⚫︎次の世代へ、「死刑」を引き継いではならない。なぜアムネスティは、「死刑」に反対するのか?

「生きる権利」は、すべての人が、人間であることによって当然に有する権利です。国籍や信条、性別を問わず、子どもも、大人も、この世に存在する誰もが、生を受けたときから、この権利を持っているのです。言うなれば、この「生きる権利」は、人間にとって根源的な、最も大切な権利であり、決して奪ってはならないものです。またこの権利は、世界人権宣言でうたわれ、国際人権条約である自由権規約においても保障されています。

アムネスティ・インターナショナルが「死刑」に反対するのは、「死刑」という刑罰が、この「生きる権利」を侵害するものであり、残虐かつ非人道的で品位を傷つける刑罰であると考えるからです。

言うまでもなく、犯罪を処罰することを否定しているわけではありません。しかし、命を奪うことは、たとえ国家の名の下であっても、正義にはなりません。人為的に生命を奪う権利は、何人にも、どのような理由によってもありえないのです。

そもそも、刑罰とは、罪に対してそれに見合った罰をくわえることです。この刑罰は、私たちの社会をなりたたせるために必要です。しかし、注意が必要なのは、刑罰を用いるのは国家であることから、その行使には、限界をもうける必要があるということです。そのために「世界人権宣言」をはじめとする各種国際人権規約が、「生きる権利」を規定しているのです。なぜなら、国家権力は、つねに市民の人権を踏みにじる暴走の危険性をもっているからです。このことは、歴史をみても、世界の情勢をみても明らかです。そして、死刑は国家権力による暴力の一つの極限的あらわれなのです。

⚫︎人間の「生きる権利」は、誰にも奪えない

死刑制度は、私たちの意識の深層に、「秩序を乱せば殺す」「秩序は人の生命にも優先する」という思想を、植え付けることにもなっていないでしょうか。この思想は、「生命の尊厳は絶対である」という人権思想と、実は対極にあるものといえます。

このような思想が死刑制度を容認する限り、私たちの子どもたちも、いわば「生命よりも、社会的な秩序が大切である」社会を生きることになります。

社会秩序や治安が大切なのは当然です。しかし、生命がそのための手段に使われてはならない。それを認めれば、政治が市民の生命を踏みにじる時代に、いつでも逆戻りしてしまいます。私たちは、そのような社会を、次の世代に引き継がせたくありません。

生きる権利は、誰もが有する基本的な人権です。人為的に生命を奪う権利は、何人にも、どのような理由によってもありえない。国家さえもそれを奪うことはできない。これが、生きる権利を保障する「人権思想」というものであり、アムネスティが抱いている理念です。

内容抜粋

死刑をやめる理由

2018-04-06 13:53:13
テーマ:
死刑をなくす理由
 死刑をやめる理由は、とてもたくさんあります。

1 人類の文化的進歩~「死刑は究極の人権侵害」
 死刑は、人の生命を国が無理矢理奪って殺してしまうことですから、死刑になる人に対する究極の人権侵害です。
 人類は、過去に行われていた慣習が良くないことだとわかると、やめてきた歴史があります。
 例えば、奴隷制度。人種が違っても社会的ステイタスが違っても、人はみんな同じように価値があるということや、人が人を物として所有し支配するのは、支配される側の人権を侵害することだとわかったので、やめました。
 例えば、女性差別。女性のほうが男性より劣っているとか女性は男性と違う役割を担わなければならないという考えが間違っていることや、女性に対する人権侵害だとわかったので、やめました。(まだやめていない国もありますよね。日本は法制度上ではやめたけれど、慣習上はまだやめられていません。)
 死刑も、それらと同じように、人類が良くないことだとわかってやめていっている習慣です。世界の多くの国は、死刑は死刑になる人の「生命」を国が無理矢理奪って殺してしまうことですから、究極の人権侵害でありとても良くないことだとわかったので、やめています。日本は最後に残っている、まだわかっていない、やめられていない国のひとつです。

2 死刑には犯罪の抑止力がない
 死刑をするべきだと考える方は、死刑に犯罪の抑止力があると考えていらっしゃる方がいます。死刑にしないと、殺人をしてはいけないという抑止力が働かなくなり、残酷な殺人が増えるのではないかというおそれを抱く方がいます。
 しかし、死刑に犯罪の抑止力があることは、証明されていません。
 国連は、死刑に抑止力があるのかどうか調査研究を行ってきましたが、「死刑が終身刑よりも大きな抑止力を持つことを科学的に裏付ける研究はない。そのような裏付けが近々得られる可能性はない。抑止力仮説を積極的に支持する証拠は見つかっていない。」という結論が出ています。
 これまでに死刑を廃止した国はたくさんありますが、廃止したどの国においても、廃止後に明らかに殺人事件が増えたり凶悪化したりはしていません。
 2001年6月に大阪の池田小学校で子どもたち8人を殺害した宅間守死刑囚は「エリート校の子どもをたくさん殺せば確実に死刑になると思った」と言いました。同じような、「死刑になりたくて」と動機を語る殺人犯人は、昨今日本で増えています。

3 死刑廃止は被害者支援と両立する
 死刑をやめようと言うと、被害者遺族の気持ちを考えたり被害者支援を重視するならば死刑はやるべきだという方がいます。
 しかし、私は、まず①死刑をすることが被害者遺族支援ではなく、死刑廃止は被害者遺族支援とを矛盾することではないし、②被害者遺族の気持ちのために死刑を続けることはできないと考えます。
 まず、被害者遺族のニーズは、たくさんあります。例えば、精神的なダメージを誰かに受け止めて欲しい。事件について説明して明らかにしてもらいたい。犯人に被害者や遺族が受けた痛みを知ってもらいたい。犯人に反省してもらいたい。同じような事件を繰り返させたくない。金銭的な被害を弁償してもらいたい。などです。
 そして、被害者遺族の気持ちは、犯罪が起きた直後から時間が経ったり経験を経るにつれ、様々に変化します。同じ事件の被害者遺族でも、一様ではなく、被害者との関係、経験、価値観によって、気持ちは多様です。
 被害者支援で大切なことは、感情に配慮した専門的でワンストップの支援を継続的に行うことと、多くの被害者が持つであろうニーズに応じて支援のメニューを多様にしておき、個々の被害者がニーズに応じて使えるようにすることだと考えています。そうした被害者支援が、日本ではまだ全然足りていないはずです。それは、当然のことながら、死刑と全く関係なくできることです。
 次に、被害者遺族が「犯人を死刑にして欲しい」と言った場合について考えてみます。被害者遺族がそのように言うことは自然なことかもしれませんが、私は社会がその希望を叶えてあげなければならないとは思いません。
 私は19歳の時に、通りすかりのおじさんからいきなり胸をわしづかみに揉まれました。そのとき、このバカヤロー!転んで怪我でもすればいいのに!とおじさんを憎んだのですけれども、私がそう望んだからといって、国がその人を捕まえて、例えば後ろからどついてすっころばせる身体刑罰を与えることは間違っています。
 同じように、強姦の被害者が犯人の局部をおもいきり蹴って不能にしてやりたいと言っても、国はそれを実現しませんし、代わりにやってあげることもしません。他人を包丁で切りつけて大量出血させて半身不随にした犯人に対し、被害者が同じ思いをさせてやりたいと言っても、国はそれをやらせませんし、代わりにやってあげることもしません。
 なぜかと言えば、理由①何も良い結果を生まないから、理由②身体刑罰や「目には目を」の復讐的刑罰は残酷で人権侵害だから、です。
 殺人事件であっても、同じことです。殺人の被害者や遺族が犯人を殺したいと言っても、国はその人に犯人を殺させることもしないし、代わりに殺してあげることもしないのが適切だと思います。
 そして、遺族の「犯人を死刑にして欲しい」という言葉については、くみ取るべき気持ちが他にも色々と含まれているのです……

🟩 あなたも考えてね❤️死刑執行で被害者遺族の寿命が縮む それでもあなたは 死刑廃止を反対しますかhttps://ameblo.jp/karatejdnippon/entry-12549914431.html

🟩 死刑執行に抗議 死刑は人殺し 被害者のため?死刑廃止 冤罪 執行刑務官の苦悩 伊藤詩織さん応援❤️
https://ameblo.jp/karatejdnippon/entry-12564247679.html

🟩 死刑の存廃について考える部屋 私は人が人を殺す行為は全て反対 死刑も戦争も反対です 考えてね❤️


🟩 ローマ教皇 来日 フランシスコ教皇は死刑廃止と核廃絶を訴えています

🟩 死刑・戦争・人殺し・衝撃の事実・子供たちの質問に答えられますか・みーんな殺人でしょう。

🟩 死刑廃止を考えましょう ワールドカップに寄せて 人殺しを止めましょう 売国奴から守りましょう

🟩 6月23日は沖縄慰霊の日 戦争は人殺し 人殺しの理由に正当性は無い 死刑も人殺し 人殺しやめて

🟩フランシスコ教皇 上智大訪問 死刑に全面反対 カテキズムを改訂 死刑は認められませんと明確化❗️


🟩 Both the death penalty and the war are murders! 戦争も死刑も殺人です

🟩フランシスコ教皇東京ドーム

🟩フランシスコ教皇長崎のスピーチ

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