いし

1 いし

丸いいしや四角いいし,五角形のようないしもあれば楕円のようないしもある。なかには三角形のようないしもある。私はこの中のいしであれば,丸いいしが好きである。丸いいしを私が好むと言うことについては,この記事よりも前の記事のどこかで表明したように思う。大学のキャンパスを歩いているときに,たくさんのいしに出会う。いしの話を書いたり思い出したりしたせいか,普段から通っている大学のキャンパスにあるいしが,いしとして私に立ち現れてきたのである。ただ,その立ち現れてきたいしたちは,そのほとんどが丸いいしではなかったのが悔やまれるところである。

2 いし

世の中にはいろんないしがいる。患者に寄り添うことを第一に考えるいしもいれば,己が手腕や己が話術を披露して己が技術が患者にとって有意義であることをプライドとしているいしもいる。自分の病気を治してくれそうないしがまさか,自分の病気を悪化させてしまうかもしれない!と言うことを,治療の中途段階で患者が気づくことは非常に難しい。治療が始まる前ならば,治療を施されるか否かと言うことについて注意は向くだろう。しかしながら治療が始まって仕舞えば,その治療が無駄に終わっては困る,と患者が思ってしまうことから,その治療の真なる利点や弱点を吟味すると言うことをしたがらなくなる(サンクコストの誤謬とでも言えばいいものか)。

3 いし

ショーペンハウアーと言うドイツの哲学者の主著に『いしと表象としての世界』と言うものがある。私はその本がショーペンハウアーの主著であると言うことは知っているものの,それを読んだことはない。『読書について』や『自殺について』や『知性について』などは,彼の著作として読んだことがあるが,これらは彼の主著を踏まえていないと十全には理解できないものであるように,私には思われる。彼の定義するいしは,必ずしも一般に使われるいしとは一致しないところがある。基本的に,ある程度大事である用語には書き手はその定義を与えることがあるが,あまりにも大事であったりあまりにも当然だと思われる用語については書き手はその定義を,書かないか書けないものである。

4 いし,いし,いし

同音異義語というものはどの言語にも存在するのだろうが,日本語も同音異義語が存在する言語である。同音異義語という出来事を使ってこの記事を書いてみたわけであるが,そもそもの見出しに感じを先に当てはめてしまってはあまり意味ないように思われる(…これが書かれている瞬間は見出しが漢字で書かれている)。よし,見出しを変更しよう(変更しよう!と書いてから10秒足らずで見出しは変更された)!




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