石倉雅男教授への哀悼の意

一橋大学大学院経済学研究科教授である, 石倉雅男教授が, 急逝された. 私は, 石倉教授の指導を, 学部ゼミから含めれば, 4年近く受けていたものである.
私はここに, 哀悼の意を込めて, 石倉教授の研究ならびに教育への姿勢について, 大学院ゼミのゼミ生の一員として, 書いてみようと決心した.
石倉教授の学問への姿勢は, 端的に言えば
人間社会への視点
というものであった
これは, 学問をいわゆる「論壇学問」として, 現実に対する説明を放棄するものとして研究する姿勢を取らなかった, ということである
石倉教授は, 知的にとても誠実な方であり, それは研究論文や研究書(主著は間違いなく, 『貨幣経済と資本蓄積の理論 第二版』であろう)を具に読めばわかる.
議論にある前提を無視せず, 前提であればそれを明記した上で, 引用をふんだんに用いながらテキストを読んでいくのである.
「自分の専門以外のことにも, 自分の専門に気を配るのと同じくらいの気を配りなさい」
「私にはまだまだわからないことが多くて...」
「一見当たり前とされている概念や言葉について, それを詳しく書こうとしなさい」
多少私の言葉が混じってしまうが, 石倉教官の口癖である.
石倉教授はおそらく, 古き良き大学教授という像を体現されていた方の一人であろう.
それは, わからないところは徹底的に議論をするが, 自分は威張ることをせず, 相手の意見をまずは聞いた上で, 議論を進めていくという姿勢であったり
学生の1の質問に対し, 時間的には10は返そうとする姿勢である
石倉教授は, 大学の講義(ゼミではない授業のこと)において, およそ論文そのものであろう, 重厚な配布資料と, それを写すスクリーンを用意した上で, 淡々と, しかし要点は何度も何度も説明を繰り返すというスタイルの授業を行なっていた.
大半の学生は, 石倉教授の授業を, 興味なさそうに聞いていたと思われるが, 石倉教授は良い意味で, そのようなことに我関せず, という姿勢を授業中に貫いていたように思う.
私はマルクスやケインズなどについてこう思っている
その思いを学術的に淡々と述べていた授業を石倉教授は展開している.
だが, 質問をしにきた学生に対しては, とても優しく, 自分の研究時間を削ってでも対応されていたのが, 石倉教授なのである.
質問に答えること. 議論を重ねること. これが大学における研究者の教育者としての責務である, という信念がおそらく石倉教授の中にあり, それを体現していたのだろう.
もはや私および, 現世に生きる全ての人間は, 石倉教授の声を聞くことができなくなってしまった.
しかし, 石倉教授の書いてきた論文や書物は, 今も残っている.
私は石倉教授の教えを受けてきたものとして, 石倉教授が託したバトンを, 受け取り, 引き継がねばならないと思っている.
末筆になりますが, 石倉教授におかれましては, どうか, 安らかにおやすみくださるよう, お願いしたく思います.
おそらく, マルクスやケインズ, シュンペーターやミンスキーなどといった人や, 松石勝彦教授という石倉教授の師匠の一人などと, この瞬間も議論を交わしているのだろうことを想起して...

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