宇野弘蔵の言葉メモ その3

この記事に続いて第三弾となります。お楽しみください。

「経済学的には,資本家的搾取関係を商品経済の法則の内に解明していく,しかもそれは政治や宗教はもちろんのこと,資本主義社会のイデオロギーとしての法律関係からも独立に,それ自身に発展する社会として解明するーそれが経済学の原理となる。それはヘーゲルの論理学にもあたる体系を,完結した体系として展開するものではないかというわけです。もっとも私自身は,ヘーゲルを研究したわけでもないし,その論理学を理解したとは自分でも決して考えていないので,そういう比較がほんとに出来るのか,どうかはわからないが,とにかく経済学の原理は,全体系が自立的な運動をなすものとして規定できる」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第五巻』岩波書店,255-256ページ)

「あらゆるものを一挙に説明しうる原則は,じつは原則でもない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,214ページ)

「商品の価格関係の変動にのみ眼を奪われていては,じつは商品自身の性質を明らかにすることはできない。商品の形態は絶対的なものとせられ,永久不変のものとして暗々裡に前提せられると同時に,その価格の運動を支配する価値法則自身は理解しえないことになるのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,227ページ)

「なにもかも一挙に説明することは,何人にもできることではないし,またなにものをも説明するものではない。ただ問題は,簡単な抽象的分析をなすにあたって,われわれはいかなる方法を採用しうるかにある」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,244ページ)

「いっさいが需要,供給によってかたづけられるというのであれば,それでもよいであろうが,それと同時にわれわれはこれからなにものをも学ぶことにはならない。せいぜいのところで遊戯的数学でも楽しむくらいが落ちである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,249ページ)

「需要といい供給というも根本的には商品と商品との交換にほかならない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,264ページ)

「商品としての労働力は価値を有するが,労働自身は商品にはならない。労働は価値を形成しはするが,労働は労働の生産物ではない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,273ページ)

「極言すれば全社会の生産物が商品化する資本主義社会においてはじめて商品の価格は価値を表現するものとなるともいえるが,それと同時にまた価値をもたないものが価格を有する商品となるという関係もこれによって拡大されるのである。それは労働生産物の商品形態がけっして労働生産物の自然本来の形態でないということの表現にほかならない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,312ページ)

「貨幣も元来は商品であるといったのでは,貨幣を理解することにはならない。したがってまたそれは商品をも,その価値をも理解することにはならない。商品の価値は労働によって形成せられるといっても,それはけっして商品の価値を理解したことにはならない。労働によって形成せられる商品の価値は,必然的にそれに特有なる価値形態をとるのであって,このことが明らかにされなければ労働によって価値が形成せられるということ自身も理解されたことにはならない。しかしそれはまた価値が貨幣において独立の存在形態をあたえられることを明らかにしないかぎり,けっしてその性質を形態的にも十分に理解することにはならないのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,312-313ページ)

「価値は商品なり,貨幣なりの形態をとりつつ「自ら進行し,自ら運動する実態となって現われる」のである。資本は要するにかくのごとき運動態にある価値にほかならない。これをなにかの形態に固定して理解することはできないのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,331ページ)

「いわゆる近代経済理論家から「マルクス経済学はその到来の必然性を確信している社会主義の経済問題については何も語らないではないか」といわれたからといって,われわれはこれに答える必要がどこにあるのであろう。われわれはこんなことでごまかされてはならない。理論的にはマルクスの学説そのものをわれわれの理解し得るものとして獲得することが,今でもなお先ず第一の仕事であり,進んでこの理論によってわれわれの資本主義がいかなるものであるかを分析することが目標となるのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,405ページ)

「『資本論』は人類思想の最高の産物としてその共有財産である。それは派閥的に論議せられるべきではなく,また何人によっても独占さるべきものではない。理論的な究明をそんなことでゴマカしてはならない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,416ページ)

「論証というのは繰り返しワメクことでないと考えるのである。もっと落ちついて他人の書いた本をよく読み,自分のいっていることもよく考えた上で論駁して貰いたい」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,418ページ)

「私は『資本論』に関しても自分に理解出来ないことは理解出来ないといっている。理解出来ないことまで理解したような顔をしていない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,421ページ)

「歴史的発展と論理的発展とは,一方では照応し,他方では直接同一ではないといってもそれがいかにしてそうであるかが明らかにされなければならない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,451ページ)

「商品が直接的に互いに交換されるものとして理解されたのでは,「貨幣」は商品交換の便宜的手段となり,したがって「資本」を展開して,一社会を規制するものとなることなどは,全然理解されなくなってしまう」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,458ページ)

「マルクスの理論といえば直ぐ唯物史観が持ち出されるが,そして論証が行きづまると殊にそうであるが,私はマルクス自身はそんなことをしていないと思っている。勿論,唯物史観はマルクスの経済学研究には常にその「導きの糸」として役立ったものであり,『資本論』を書かしめたものでさえあるのであるが,しかしそれは唯物史観によって論拠を与えられるというものではない」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,462-463ページ)

「経済学が唯物史観によってその論証をされるようでは,経済学も唯物史観も共にその客観性を主張し得るものとはいえないであろう」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,463ページ)

「実際また商品経済は,全面的には決して単純なる商品の交換としては存立し得ないのであって,資本主義的経済を単なる商品経済に解消して理解せんとする,今日もなお盛んに行われている経済学者の努力は,この仮象の世界に留って,その背後の本質によってこれを把握しようとしないものである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,496ページ)

「労働力の商品化は,物としてあらわれる人間関係の極点をなすものである。それは人間労働の対象化したる物としての商品における人間関係たるに留まらず,人間の労働力そのものが商品化され,人間の物化としてあらわれる。而もそれは,元来人間の生活がいかなる社会においても労働の対象化を通して物質的に再生産せられざるを得ないという,根本的原則の一歴史的形態なることを明らかにするものといえるのである」(宇野弘蔵『宇野弘蔵著作集 第三巻』岩波書店,503ページ)

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