安倍晋三が撃たれた直後の生の心境

安倍晋三前首相が銃撃を受け死亡した。

今まで人の死で心底打ちひしがれるような感覚を経験したことがなかったが、自分の中で初めて、気持ちの整理がつかない、言葉が出ないと形容される状態になった。

そして、何か形としてこの心象を残したいと思いが強くなり急遽noteを始めた。
深く考えずに思ったことをざっくばらんに流し書きしていきたい。

事件日の一連の流れ

午前中ツイッターを眺めていたら、恐らく銃撃があってから間もない、安倍が撃たれた現地の人が撮影した動画がTLに流れてきた。たしか4分前ぐらいに投稿された鮮度の高いツイートだった。その時点では800RTほどだったけど、ものの数分で1万RTに達していたと思う。
反射的に俺もリツイートしたが、ただ何となく助かるだろうと思っていた。というのも、速報の中に記載されていた文字では「倒れて心肺停止」という表記だった。「即死」とはなかったので、今までの日本のこういった臨時ニュースを見てきた自分の勘として何となく一命を取り留めるだろうという気がしてた。これは日本の医療レベルの高さへの信頼の賜物とも言える。
今思い返せば、一命を取り留めるのは「意識不明の重体」であって、「心肺停止」はほぼ助からない事態だったと思う。
あとは、日本で発砲される銃をどこかで舐めていたのも無意識に助かると思った一因な気がする。どうせ民間人が入手できる銃なんて外国に持ってったら笑われるレベルのおもちゃ鉄砲なんだろうと。
のちに入ってきた情報によると、散弾銃による銃撃だったようだ。この速報を受けてTwitterでは散弾銃に関してさまざまなコメントが飛び交っていた。実物の散弾銃を触ったことも見た事もなさそうな、FPSでの散弾銃のイメージで知った口を聞いている子供と子供おじさんたちで溢れていて、心底気持ち悪いと思った。彼らのようなオンラインゲームが取り柄で自意識だけ無駄に肥大してしまっている子供や大人たちのために、日本には兵役が必要だと思った。


とにかく、安倍は心肺停止になり直ちに病院に搬送された。俺は彼の安否が気になってしょうがなかったが、午後から大学に行かねばならなかった。
今日は所属しているゼミの教授の大講義があった。皆政治学科の人間なので、講義が始まるまで教室は安倍の話で持ちきりだったし、飲みサーのチャラい連中も体格の良いラグビー部の連中も前の方に座ってる陰キャラたちも全員が、直接言葉を交わすことがなくとも講義室全体で異常な興奮と緊張を共有していた。俺は政治学の権威であるゼミの教授がこの歴史的に極めて重大な意味を持つ「首相銃撃」という五一五事件に近い緊急事態にどうコメントするのか気になっていた。言葉が欲しかった。
教授は立場を明言してはいないもののどちらかというと安倍政権には批判的で、ゼミのディスカッションにおいては戦後思想から飛躍して安倍批判に繋がることがたびたびある。弊学の政治学科は安倍晋三の母校である一方でどちらかというとリベラル色が強い風土がある。

講義開始時刻になり、後ろのドアからツタヤのレンタルバッグのようなカバンを片手に忙しげに教授が入ってきて、中央の学生らの通路を通って登壇した。教授が入ってきたことで講義室の喧騒は少し落ち着いたものの、以前としてガヤガヤが収まる様子はなかった。
教授が教壇に授業資料などを教壇に広げ準備が整ったタイミングでマイクチェックとしてマイクを指の腹で軽く叩きマイクが機能することを確認してから、咳払いをし、喋り始めた。
「それでは講義を開始しますが、その前に。安倍さんに関してですが、大変悲しい事態だと思ってます。一命を取り留めることを祈ってます。じゃあ講義始めます。」
教授のコメントは腰を抜かすほど簡素で、あらかじめ撃たれることが分かっていたかと思ってしまうほど事務的なもので思わず拍子抜けしてしまった。これが事態のあまりにも緊急さから色々言いたいことはあるがそれ以上を語ることが野暮であり、あえて簡素なコメントをすることで内に秘めた事の重大性を強調しているのか、単に本当にあまり興味がないのか分からなくて、のちの講義はあまり頭に入ってこなかった。

夕方、大学が終わり家に帰ってきて、洗濯したり本読んだりゲームしたりぼーっとしたりしてた。
少し前に肺気胸という病気になってから、動くとすぐ息苦しくなって肺が痛むので、あまり体を動かすことができない日々だ。つらたん、、、。
安否が気になりながらもモンハンを嗜んでいたら、17:46ごろにツイッターで速報が回ってきて、唐突に死亡が発表された。モンハン中だった。
Twitterで発表を見て
まじか、、、(貫通弾デュデュデュン)、、、、えぇ、、、、、、死亡?、、、でもモンハン忙しいんだ、、、、考えられない、、、、、えぇ、、、、、死亡?、、、そうなんだ、、、、、
死亡報告が出た後、何も考えられなかった。ショックを受けていたことは確かだったが、本当に何も考えられなかったので、しばらくモンハンを続けることしかできなかった。もし今が太平洋戦争の終わりで、モンハン中に玉音放送が流れてきたとしても俺はモンハンをやめることはできなかったと思う。それ以外にその場をやり過ごす術がないからだ。
その後、ショックで混乱しつつも15分ぐらいなんとなくモンハン続けたが、急にそれ以上続けることができなくなりセーブして画面を閉じた。
閉じた瞬間、そこから絶望と言葉にならない重みが急にのしかかってきた。ただひたすらショックだった。


今まで身近な人の死によって打ち拉がれるような重い悲しみを味わったことがなかった。多分人生で10回ほどしか会話した記憶のない無口な父方の祖父が3年ほど前に死んだ時も、特に重い心残りも悲しみもなかった。むしろ、祖父が死んで眠っている姿を見て、死体を気持ち悪いとも思った。別に祖父のことを特別嫌ってたわけではないが、特段思い入れがあるほどの親交はなかった。
葬式では親戚一同はひとりずつ死体の頬を撫で、塩を振る(?)(昔のことなので正確な行程は思い出せないが多分そのような)儀式をしなければならなかった。冷たい皮膚に明確に気持ち悪さを感じたのを覚えている。死体なんて触りたくなかった。


天皇・ナショナリズム・会った事もないおじさんの死

天皇という存在と偉く心が離れてしまった今の日本で、少し前に平成天皇が崩御し、元号が令和に変わった。崩御した当時、どんな心持ちだったかなんてもう覚えていないし当時の自分にはほとんどどうでも良いことだった。
それは自分だけでなく、特段皇室に関心のない現代人はみなそうだったであろう。崩御は死の実体を感じさせることはなく、ただ元号が変わるという、まるで高速道路のETCを過ぎるのと同じぐらい、刹那的で平成→令和の自然な通過だった。40年前の昭和天皇崩御の際、あれだけ泣いた日本国民にとって、40年経った今ではもう、高速道路のインターチェンジ程度のことがらになってしまった。天国の三島由紀夫は多分泣いていると思う。
戦前、あれほど分かち難く結ばれていた天皇と国民の絆は70年でここまで薄れてしまった。これは、何も我々の意識の低さによるものではなく、1946年に天皇が「実は俺、人間なんよねw」と宣言した(させられた)ことから始まり、国民一人一人の心の中の「公と私」が高度経済成長とともに加速度的に分離していった結果である。

『戦前には神様だった天皇は、マッカーサーから「もう神様であるのはよしなさい」という指示を受けて「はい、もう私は普通の人間です」とそれを受け入れた。日本の神様ってのはそれぐらい調整がきくものなんだ。
パイプを咥えてサングラスをかけた軍人にちょいと指示されただけで変わっちまう。それくらい超ポストモダンなものなんだ。』
なんの引用だったか覚えてないんだけど確か小田実の戦後思想に関する雑書だった気がする。


その意味で、安倍晋三の死は天皇崩御に近い感覚を、政治離れしたZ世代である我々に初めて味わせてくれた体験だと思う。実生活の中で政治的共同体の結びつきを、ほとんど初めて感じた体験だと思う。


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実際に本当に死んでしまうと、こんなにも悲しいものなのか。
Twitterで東京五輪の開会式で安倍晋三がマリオのコスプレをして土管から登場した際の写真を見て、思わず涙が溢れてしまった。
人間の命って一丁の鉄砲とその銃口を引く人によってこんなに簡単に失われるんだ。。。

銃撃犯に対する怒りはまだ、どう頑張っても湧けない。Twitterでは犯人に関する怒りのツイートをしている人が散見されるけど、全く身元も動機も分からない人間を裁いて怒れるほど想像力がない。余裕がないというよりは、想像力がないのだと思う。
それよりも、悲しみのチリが積もりすぎて、怒りのチリが悲しみのチリの奥深くで埋まってしまっているのかもしれない。取り出すのには時間がかかるだろうし、労力も入りそうだ。

会ったことも話したこともないおじさんにここまで想いを馳せられるこの力はどこから湧いてきてるのだろう。これこそベネディクト・アンダーソン著『想像の共同代』で言い表される「共同代意識」そのものであろう。俺は想像上の日本という目に見えない共同体にこんなにも思いを馳せている。

なぜ会った事もないジジイが死んで悲しいのか。
リアリスト的な、ISTP(MBTI)的な解答としては、まず首相の任期が他と比べて特段長かったこと、それも周りからの影響を受けやすい青少年時代にその任期が被ったことにあるだろう。メディアによって"安倍晋三"を染み込ませられたことによるものだろう。実際に自分の目で会ったことも見たこともないんだから、もしかしたら安倍晋三はすげぇ嫌な奴かもしれない。ただ、メディアに登場していたあの姿。
演説している姿、国会答弁している姿、果物を食べて笑顔でジューシーだと微笑んでいたあの姿、土管から出てきた姿、そういったメディアによって切り取られた断片的なパーツだけで自分の想像上の安倍晋三に思いを馳せているのだ。戦前の近衛文麿のようなキャラクター的人気に近いのかもしれない。もしかしたら、安倍は家で昭恵を殴っていたかもしれないし、身の毛がよだつような異常性癖を持っていたかもしれない。
そう思うと少し気持ちが楽になってきた。

死と向き合うには時間の経過が必要だという教養は字面だけでは何万回と見てきたが、それを実践するのは初めてだと思う。

とにかくやるせないので、秒速5センチメートルの思い出は遠のく日々を練習しようかと思う。前に一度楽譜を印刷したが、めんどくさくなってやめてしまった。

冥福も祈るし、黙祷もしたい。
Amen. 今日はこのへんで、バーイ

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