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引田のひな祭りを見てきました。(2024-3-3) 

「引田ひなまつり」は新型コロナウイルスの影響で中止が続いてましたが、昨年から4年ぶりに開かれ 今年もにぎわっていました。「引田ひなまつり」は、昔ながらの町並みを町おこしに
つなげようと毎年この時期に開かれています。

引田ひな祭り

2月28日から始まったまつりには、引田地区にあるおよそ60軒の住宅や商店の軒先などにさまざまなひな人形が飾られています。左の画像は引田ひな祭りの ガイドマップです。 
JR引田駅の近くのマルナカ引田 店の前を通って駐車場に入れま した。 
そこから井筒屋敷を中心に飾ら れている雛飾りをみて、買い物 をしたり軽食も摂りました。
引田ひな祭り        
引田までの地図

引田では昔より女児が誕生すると桃の節句に、この地域独特の「引田雛」と呼ばれるひな飾りを親族や近所の人に披露する風習があった。引田雛は内裏びなが御殿入った御殿雛と、雛壇の横に市松人形を飾るのが特徴である。    

引田ひな祭り  
引田ひな祭り 

ひな人形の飾り方には地域や時代によって「標準」が違う場合があるようで
関東では、向かって左側が男雛で右側が女雛 関西では、向かって右側が
男雛で左側が女雛の置き方が一般的です。
    

引田ひな祭り 

京都の内裏の中心に建つ紫宸殿(ししいでん)は公事や儀式を行う建物です。この庭に、古来より東側(左)に桜、反対の西側(右)に橘が植えられています。左近の桜、右近の橘はこれに由来しています。     

引田ひな祭り 

お供え物は雛あられ、海苔巻、はまぐり、渦巻餅、わけぎとのことですが、私は分葱が大好物ですので、縁起が良いと知って喜んでいます。   

引田ひな祭り 

御殿飾りとは、平安時代における京都の寝殿を模した雛飾りのことです。江戸時代後期から昭和にかけてつくられ、特に明治・大正時代頃に京都を中心とした関西地方で多く取り入れられていました。
御殿飾りのスタイルは、京の御所をモチーフとした「御殿」のなかに天皇皇后を模した内裏雛(男雛と女雛)を配置し、官女や仕丁、随身(右大臣と左大臣)といったお人形を添えて飾るというもの。
現代のドールハウスのような雰囲気で、華やかな貴族の生活がジオラマのように細かく表現されています。   

引田ひな祭り 
引田ひな祭り  

日本では、昔からお祝い事や縁起を気にする物事には2、4、8などの偶数の数は割れることができる 
数字として避ける傾向にあります。
それを意識してか、雛人形の飾りには、内裏雛(一段飾り)、三段飾り、五段飾り、七段飾りが多く作られています。
  

引田ひな祭り 

 上の画像は笠置シズ子さんのひな人形です。
 笠置シヅ子さんは東かがわ市引田のお生まれ。
 今年のNHK 朝ドラ「ブキウギ」は笠置シヅ子さんが
 モデルです!

 笠置 シヅ子
 本名は亀井 静子(かめい しずこ)。
 戦前から戦後にかけて活躍し、特に戦後は「ブギの女王」
   として 一世を風靡した。
 シヅ子の歌は今日に至るまでたびたび
 カバーされ、日本のポップスに多大な
 影響を与え続けている。
 1914年(大正3年)8月25日に
 香川県大川郡相生村(現:東かがわ市)
 黒羽で生まれる。


引田の歴史

平安時代より半島(城山)によって風が遮られる天然の良港「風待ちの港」として開かれた。
中世は引田城が築かれて商業が発展してその港町は日用品や米穀の集散地として賑わい、
安土桃山時代に始まった醤油醸造は江戸時代後期になって廻船問屋や豪商も現れるほど隆盛した。

香川県の東の端にある引田(ひけた)という町は、播磨灘に面した港町。
かつては醤油の醸造で栄え、今も江戸時代の豪商の邸宅や古い町並みが保存されているエリアです。

引田城の絵図と引田湾の絵図 

下の画像は井筒屋敷とかめびし屋と 煙突広場です。 

下の画像は武者行列と「つなくん」です。 


井筒屋敷は立派な邸宅で、子供のころに多度津にもあった大地主の家に行った記憶があります。
お庭には梅の花が咲いて、ちょうどお琴の演奏もありました。

 

お琴の演奏    

        街中のお寺も神社も立派なので外から写真を撮りました。       

古い町で大工道具やバイクやミシンの展示物も懐かしかったです。ホーロー引きの看板も残っていました。

 


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