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四国八十八ケ寺の12番の札所に行って来ました。(2021-10-24)

2021/10/23に家内の友人夫妻と徳島にあるお好み焼き屋に行った後、四国八十八ケ寺の18番と19番の札所にお参りして、阿南市のホテルに泊まり翌日(10/24)には23番→22番→21番→20番にお参りして、以前に行けなかった12番札所にお参りして これで徳島のお寺は全部行きました。

20番札所~23番札所と12番札所

       第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺

第12番札所
第12番札所
焼山寺縁起  
三面大黒天  
杖杉庵
第12番札所
第12番札所

 焼山寺の見どころ 三面大黒天・杖杉庵・
          神山町(徳島県の特産であるウメやスダチの産地。)

 焼山寺の歴史・由来
  焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、
  四国霊場で2番目に高い山岳札所。
  剣山や白髪山など四国山脈の山々がひろがる眺望は
  すばらしい。四国霊場には「遍路ころがし」といわれた
  札所がいくつかあるが、焼山寺もその一つで、昔から嶮しい
  坂道の難所を辿る「修行の霊場」であった。
  いまは山上まで車道が通っている。
  縁起によると、飛鳥時代に役行者が山をひらいて、
  蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされている。
  ところが、この山には神通力を持った大蛇が棲んでおり、
  しばしば火を吐いて農作物や村人たちを襲っていた。
  弘仁6年ころ、弘法大師がこの地に巡られた時、  
  一本杉で休んでいた処、阿弥陀様があらわれた夢を見た。
  目を覚ますと目の前が火の海になっている。
  そこで麓の垢取川で身を清めて山に登ると、
  大蛇は全山を火の海にして妨害した。
  大師は「摩廬(水輪の意)の印いん」を結び、
  真言を唱えながら進んだのだが、大蛇は山頂近くの
  で姿をあらわした。大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩の
  御加護のもと岩窟に封じ込めた。
  そして自ら彫られた三面大黒天を安置し被害を受けていた
  民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈った。
  また山は「焼山」となってしまったので
  大師が「焼山寺」と名付けた。
 「摩廬」の山号も「焼山」の寺名も、こうした奇異な伝説に
  由来しており、鎌倉時代の後期には後醍醐天皇の勅願所と
  なっている。
  境内は樹齢数百年の杉の巨木(県の天然記念物)が並び、
  巡礼者を迎えている。


         

       

 

  

        

   

        

 


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