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15年前のヨーロッパ旅行④--ノイシュヴァンシュタイン城
15年前のヨーロッパ旅行④--ノイシュヴァンシュタイン城
2014-03-05 | 旅行
15年前の2008年5月29日~6月6日に家内が友人と計画した
「ロマンチック街道とスイスアルプス・パリ 9日間」
というツアーに便乗して行きました。
![](https://assets.st-note.com/img/1703146605015-VnHbVWqHoH.jpg)
今回は旅行の3日目にロータンブルグを観光の後、バスでロマンチック街道を通って ディズニーランドのお城のモデルとなった
有名なノイシュヴァンシュタイン城の見学です。
ロマンティック街道は、ドイツのヴュルツブルクからフュッセンまでの366kmの街道ルートで街道沿いには中世都市や美しい城点在し、人気のの高い観光街道の一つですが、写真を撮っていなくて記憶がありません。
終点のフュッセンにノイシュヴァンシュタイン城があります。
![](https://assets.st-note.com/img/1703146155736-KBNPgNZFKU.jpg?width=1200)
現地で「ロマンチック街道」と「ノイシュヴァンシュタイン城」のガイドブックを買ってありました。
![](https://assets.st-note.com/img/1703146155768-55sOLdaDdG.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1703146154209-7MjKdR3HBz.jpg?width=1200)
Googleのマップで「ノイシュヴァンシュタイン城」へ行く拠点とお城の航空写真を切り取りました。
![](https://assets.st-note.com/img/1703146156674-FNM7wFTBra.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1703146157074-iG8uUGNYn2.jpg?width=1200)
曖昧な記憶をたどると 確かバスで登ってペラート峡谷にかかるマリエン橋から見るお城が美しいと言われていてたくさんの写真を撮ってきましたが、
絵葉書とかガイドブックの写真がきれいです。
お城を見た後は 時間があり 当時は元気だったのか馬車代を節約して歩いて下ったと思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1703146156910-fUDz8LO38R.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1703146156838-4K5GNnX83G.jpg?width=1200)
マリエン橋から撮った写真と お城が見えだした時に撮った写真と ルートヴィヒ2世が建てたノイシュヴァンシュタイン城と彼の父親が所有していたホーエンシュヴァンガウ城の写真を編集しました。
![](https://assets.st-note.com/img/1703146153795-xka20NhpVU.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1703146155532-sUR8My3v7n.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1703146156581-LTkLvNlrMa.jpg?width=1200)
インターネットから取り込んだノイシュヴァンシュタイン城の写真と
ガイドブックのホーエンシュヴァンガウ城の写真を取り込んだぶんです。
![](https://assets.st-note.com/img/1703146155972-TRd5uMIsEs.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1703146155014-CgQsbJzDXf.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1703146154389-fiwab5fn5T.jpg?width=1200)
ノイシュヴァンシュタイン城の見学は指定された時間に
入るようになっていて、入場券を残していました。
お城の入り口のところには自動改札の用なゲートがあり
そこにある掲示板にチケットに書いてあるツアーの番号
が表示されたら入場します。
お城の中は撮影禁止で、ほとんど写真を撮っていないので
インターネットから取り込んだ画像やガイドブックの画像を
取り込んだり、ブログの中から取り込んだ画像を編集しました。
![](https://assets.st-note.com/img/1703146156058-pcJaGIjt27.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1703146154253-d6ZETY88dC.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1703146152241-R79oi16CfU.jpg?width=1200)
ルートヴィヒ2世は中世騎士道への憧れを強く抱いた
人物で、ワーグナーを庇護し、彼の創作する楽劇の
世界に酔いしれた。
この城は1869年9月5日に建設が開始され、1886年には、
なんとか居住できる程度にはできあがった。
これ以後、ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻ら
ず、この城に住まうようになるが、その期間はわずかに
102日間で、王はベルク城に軟禁されてしまう。
ルートヴィヒ2世はこの城の他にも、ノイシュヴァンシ
ュタインよりも高い岩山の上にさらに壮大なファルケン
シュタイン城を建設する計画をたてており、その上
オリエント風の宮殿も建設したいと考えていた。
これらの建設費用はプロイセン王国によるドイツ統一を
支持した見返りとしてビスマルクから送られた資金など
を中心に、ほぼ王室費から支出され、バイエルン政府の
国庫とは別会計ではあったものの、王室公債などを乱発
して借金を積み重ねた。
プロイセンに対し普墺戦争の損害賠償を未だ抱えていた
バイエルン政府はこれに危機感を募らせ、最終的に首相
ルッツらは、ルートヴィヒ2世を形ばかりの
精神病鑑定にかけ、統治不能としてベルク城に軟禁した。
その翌日、王は主治医とシュタルンベルク湖畔を散歩中に
謎の死を遂げる。
![](https://assets.st-note.com/img/1703146153973-VGRgAKD7k4.jpg?width=1200)
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