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滋賀県大津市の宇佐山城跡へ行って分かったこと

宇佐山城の城跡へ行った

そもそも宇佐山城とは、織田信長が家臣の森長可に命じて築城させたと伝わる山城です。信長はここに山城を築くことで、琵琶湖の西側の軍馬の往来や延暦寺の動き、さらには湖の対岸にある瀬田や石山の動きを把握しようとしたのでしょう。
あるいは信長以前から、この地は物人の流れを観察するのに適した場所として知られていたのかもしれないですね。
現在では、石垣のみを残しているとのことなので、歴史に多少とも興味のある自分は、一度この地を訪れて山頂から下を見渡してみたいという希望を持っていました。
それが今回叶ったので、リポートしていきたいと思います。

Yahoo地図を頼りに行って、違う場所へ行ってしまった

下にYahoo地図のスクショを載せますが、確かに「宇佐山城跡」との表示があります。ですが、実際には、城跡のような趣のある場所ではなく、町工場の一角のような佇まいであり、この表示は正確ではないことがわかりました。
(写真ご参照ください)


自分は今回電車でJR大津京駅で下車し、歩いていきましたが、車なら近江神宮の駐車場へ停めるのがベストです。
京都と滋賀を結ぶ、俗に「山中越え」と呼ばれる歩道のないカーブの多い道を上り下りしていきましたが、車が前後から飛ばしてくるので、歩いて行かれる方は車に注意した方が良さそうです。

自分が行きたい宇佐山城跡は「宇佐山八幡宮」の上にある

Yahoo地図のニセ宇佐山城で無駄足を踏んだので、気を取り直して、宇佐山神宮へ行ってみたところ、「宇佐山城跡」とかかれた古い看板を見つけました。
ここを上に上がっていくと廃墟の石垣があるのだろうか。。。そんなことを考えながら、道らしい道を目で探しつつ、上へ上へ登っていきます。「宇佐山城跡」の立て看板を頼りに登っていきましたが、相当な急勾配なので、履き慣れた靴で晴れた日に行くのが正解です。木が生い茂っているので、冬なら昼3時を過ぎると暗くなってくる感じです。

日頃の運動不足を感じつつ、小休止しながら上を目指す

歩みは上へ登りつつも、本当にこの先に城跡があるのだろうか?そんな不安を持ちつつ、20分程度駆け上り、ようやく開けた場所に出てくることができました。
テレビの電波塔施設、アンテナの建つ建物はまさしく石垣を基礎としていました。
絶好の景色を見ることができ、苦労して登った甲斐がありました。
やはり先人の読みの通り、琵琶湖を眼下に一望できるこの場所は室町時代末期の戦乱期にあっては、情報収集の拠点として、あるいは京都に攻め入ろうとする敵を迎撃する拠点として、格好の地であったことと思われます。

近江神宮の近くには、いくつかの遺跡がある

現在では国道161号湖西バイパスとなっていますが、「皇子山古墳」「福王子遺跡」「宇佐山古墳群」「榿木原(はんのきはら)遺跡」など、この付近は古代より
人間を養うための食糧、すなわち「コメ」の収穫が一定量あった、稲作に適した土地だったのでしょう。
遺跡内には、人工的な盛土や石を並べた跡や看板があり、往時を偲ばせるものがあります。

山頂を目指すなら、それなりの装備が必要

宇佐山城址の山頂斜面に行くには、急な斜面を登っていく必要があるのですが、ピクニック気分で軽い気持ちでいくと後々後悔するかもしれません。
・履きなれたスニーカー
・水
・雨の日には行かない
・携帯電話を持っていく
上記くらいのことは押さえておいてもよいでしょう。
自分はアハモで回線契約していますが、山頂は一応アンテナ二本は表示されていました。

(終わり)


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