[ライブメモ]日本ジェスチャー協会・19年2月

先日友人と美味しい美味しいイタリアンのお店でごはんを食べながら、今年1月にルミネでの『性格の悪いネタをするライブ』で観たさらば青春の光のネタの話をしました。 おじさん二人が友人のお葬式に出ているところからはじまるあのネタです。 あのネタ、凄すぎますよね。 もはやジャンル分けが出来ない。 さらばのこと、存在を知った頃からずっと天才天才大天才と思っていますけど、今はもうこんなところに行き着いているのかと圧倒されて、本当にとんでもない、バケモノじみた才能だなと思ったのです。 あまりにも凄すぎるので、このネタの凄さを会う友人会う友人に口頭で伝えているのですが、この日口頭で最初のボケを伝えたとき、友人が大笑いしてまして、その凄味を瞬時に受け止めてくれたのがまた最高でした。 さらば、本当に凄い境地に至っている。 この上どこに向かうのか。


・日本ジェスチャー協会・19年2月(2019/02/23 ヨシモト∞ドーム ステージⅠ)

お笑いに限らずエンタメがらみの界隈において、ファンや客に対する信者って言葉は多分揶揄する意味合いで使われることが多い単語という印象。 そうでもない場合もあるのかな。 分かりませんけどそういう印象がなんとなくあるので、私もお笑いに関しては唯一の例外を除いてなるべくどこかに問答無用に肩入れして何でも礼讃するような感じになるのは控えようなーと考えていて、頭の中で思ってる分にはいいと思うし実際そうなってるけど、いざという時の説得力がなさ過ぎるんですよね。 この人この芸人さんならなんだっていいじゃん、と思われると勿体無い。 実際はおっしゃるとおり好きな人が見せてくれるものなら何だっていいんです私は。 なんだっていいと思えるから好きになるので。 でも、芸人さんがその日本当に本当にめちゃくちゃによいものを見せてくれたときに、本当に本当にめちゃくちゃによかったんだよ! が伝わらないのはもどかしいので。 そこはメリハリをもっていざという時に伝わるスタンスでいたいな、と思うわけです。 実際は上手くできてないですけど。 なんせ何だっていいので、何だっていいっぷりが漏れちゃう。 でも一応は意識してるのです。 これでも。 これでもです。

そんな中で、唯一自分が問答無用に信者だなーこれはもう信者以外の何者でもないなーしょうがないなーと思い、割り切って信者ですと言っているその対象が、家城さん。 もっというと、カリカと、家城さん。

劇場に通うようになって1年足らずで出会ってしまったカリカに、お笑い好き素人としての期間のおそらく大半を侵食されているのです。 カリカ面白い、velvet under//misin面白い、乙女少年団(オトメメン)面白い、カリカトークライブ面白い、東京シュール5面白い、黒ひげ危機一髪ゲーム面白い。 ネタの面白さも勿論ですが、企画ライブやトークライブでの危ういラインを攻める様、既存のものを使って新たなルールを作り上げて地下競技化してしまう様、ライブの一部分や芸人のキャラを切り取って大きくしてパッケージ化してドキュメンタリーとして仕上げてしまう企画力や物語力、音楽が持つ力、をさらに増幅する力、コントがコントを超える瞬間、そういうものをカリカと家城さんを通して散々見てしまって、笑いに限らず自分の固定概念や常識が壊される刺激を覚えてしまったんですね。 ひとつ前の記事にも書いた気がしますが、お笑いとか色々を観にいく一番大きな理由はとにかく何かしらに圧倒されたいという欲があるからで、家城さんのつくるものを観に行くことでその欲がめちゃくちゃに満たされるのです。 そんな風に圧倒されてめためたにやられたーとなるのを何度も何年も繰り返しているのだから、がちがちの信者が仕上がるのもしょうがないのです。 信者なので、多少不謹慎だったり不敬罪だったり不衛生だったり不透明だったり不憫だったり不審だったりしても、ほどほどであればそういうのも見方を変えれば面白いよねーそこに切り込んじゃう駄目なとこがある意味らしさだよねー、とか言うこともあります。 THE だめな信者。

カリカが終了しマンボウが爆誕し家城さんに戻って芸人でなくなりジャンルレスのもうなんだかよく分からない唯一無二の変な人となって、爆裂で珍妙な紆余曲折を経て、ここにきてその変な人がジェスチャーのライブを立ち上げると知ったときの、私の心境をシンプルに表すと、「なんかまた変なこと言い出したぞ!www」です。 ラジオをやったり、お芝居を作ったり、さらばの単独の構成に入ったり、伝え手・作り手・創造主としての家城さんのあれこれはここ最近でも目にすることが出来てましたけど、ジェスチャーのライブ、というのは、最近のあれこれとちょっと違うんですよね、明らかに芸人さんの、お笑いさんの匂いのするものなのです。
家城さんがお笑いさんの匂いのする世界にやってくるぞーとなって、その手段がジェスチャーだという。 この世の家城信者は多分みんな、これを聞いた時点で黒ひげ危機一髪ゲームのことが頭をよぎったに違いない。 黒ひげ危機一髪ゲームというのは、かつての乙女少年団(オトメメン)の練習中にこれまた爆誕した、あの黒ひげ危機一髪を使って行われる伝説の地下格闘競技です。 基本的には1対1で、松崎しげる様の声で歌い揺れる黒ひげの樽に交互に剣を刺し、刺した方が黒ひげを飛ばしてキャッチすることで勝利となる、刺さない方は黒ひげが飛んだ場合にキャッチを阻止する、というのが基本となる競技です。 これが爆裂に面白く、全盛期にはロフトプラスワンのオールナイトライブで出演者が発表されずとも即完売となる大人気公演となりました。
要するに、黒ひげ危機一髪を使って新たな競技を作り出したのです。 新たな文化と言ってしまってもいいかもしれない。 信者なので言っちゃいますね。 あれは新たな文化でした。 だって凄かったもん。 めちゃくちゃ面白かったもん。 あの場だけに通じるルールや単語がどれほど作られて、どれほど当たり前に使われていたか。 黒ひげ耳とか。 黒ひげ早漏とか。 勿論家城さんだけじゃなくて、林さんとか山ちゃんとかね、あの場に関わったあらゆる人の力が重なったからこそ、この世に生まれた奇跡みたいなものだと思います。

そんな、新たな文化の爆誕と終了を最初から最後まで見続けた過去があるもので、ジェスチャー協会、と聞いたときから黒ひげのことを思わずにいられなかったです。 ましてや家城さんが自分で主体的に動くお笑いさんのライブ、メルマガを読む限りおそらく一過性のものとはしない心意気がありそう。 その最初の船出はやっぱり見届けたいですよねーという気持ちで無限大ドームへ。 満席、立ち見もたくさん、客層は老若男女バラエティに富みまくり、という様子に、皆さんいったいどこからこちらへ? と思ってしまったものです。 家城さんの今に至るまでのいろいろと幅広く謎めいた活動で、いつの間にやらこんなに支持者(この単語も家城さん相手だと途端に怪しげな政治の匂いが沸いてきちゃうな)が増えているのだから、やっぱりこの人は凄いのです。

ジェスチャー協会の初回の出演者、家城さんに関わる公演を色々と見てきた人たちにはあまりにもおなじみの、派手さはないけれど絶対に面白くなっちゃう人たちでしっかりと固められていて、この出演者を見ただけでも家城さん本気じゃん……て思っていたので、実際そのとおりになった時に、あの頃の楽しさー! あの頃の面白さー! あの頃のやばさー! といちいち嬉しくて大いに笑いました。 あの頃がどの頃かというのは本当に人それぞれだと思うのですが、でも多分過去の家城作品やカリカに触れたことのある人たちはみんな多かれ少なかれ同じような気持ちになったのではと期待します。 みんながそれぞれの思うあの頃の匂いをふっと感じて静かに興奮したのではないかと。 少なくとも私は確実に己の中のあの頃を思い出しました。 あの頃の、あの空気を。
長い時間をかけて色んな始まりと終わりを家城さんまわりで勝手に体感してしまっているから、家城さんのやることや作るものを見ていると、自然とノスタルジーに触れやすい。 おばかなものを見て笑っていても、あの頃が脳をかすめると懐かしさとか切なさも少しだけ感じることがある。 そのせいか、他の色々なものを観ているときよりも感情が動きやすいかもしれない。 たくさんの感情で圧倒されたい私には極上のエンタメになりやすい、気がする。

内容はひたすらジェスチャーゲームをルールをしっかり設定しつつやっていただけなので、文字で伝えるのは困難です。 気になった方がいらしたら是非次回以降のジェスチャー協会を共に観に行きましょう。 とてもとても面白く、ああ家城さんの作る面白さだなあと思えました。 ジェスチャーという当たり前に存在するものでアレコレしていく中から、独自の文化が生まれていく、あの感じです。
たとえば、ジェスチャーで難しいお題を必死に伝えようとするあまり、プレイヤーが思わず口を動かしてお題に関わるものを言いそうになったり、言わなくても口を動かして伝えようとしてしまったり、つまりは反則行為なのですが、そうして伝わってしまってポイントになってしまいそうになるものを、誰かが(多分家城さんが)「神の口やめて」と言い出す。 あのW杯でマラドーナが起こした「神の手」にあやかったものです。 実は手でのゴールだった、あの神の手をもじって、実は口で伝えていた、という現象を瞬時に神の口と言い出すのも凄いし、それがあまりにもその現象を言い表すのに的を射ていたために、そのままライブの最後まで使われ続け、終わる頃には当たり前のように「お題を口で伝える行為=神の口」が浸透しきっていました。
ほらー、たった一回1時間のライブなのに、もう! 新しい文化が! 生まれている! 簡単に何かが生まれていって、それが気付けばおかしな形でどーんと存在してしまう。 家城さんのつくるものは刺激的でどうかしてて相変わらず面白い。
ライブの最後、ジェスチャー協会の今後について、今までどれだけ時間を費やしてここまできたか、今後何をどうしていこうとしているか、を熱量とともに語る家城さんが最高。 ジェスチャーを日本の一大ジャンルにしたい、みたいな、文言の詳細は覚えていないので歯がゆいのですが、とにかくこれを大きくしていきたい、この日お客さんが立ち会ったこの場はただのライブではない、それを証明します、みたいなことを。 ニュアンス違ったらごめんなさい。 ちょっと時間経ちすぎてますよね。 私が汲み取った大意はだいたいそんな感じです。 そして1年やってみて駄目だったらさっさと終了します、と笑いながら言う感じも全部ひっくるめて、最高に最大級に家城さんだった。 日本語変ですよね、でもそう思ったのでしょうがない。 私が思う、私が大好きな、私が信心を捧げているあの家城さんだった! と思い、おかえりなさーい! と心から思いました。 多分同じような人があの場にたくさんいたと思います。 ほら、家城さん、宗教法人でもないのに信者多いから……。

この時点ですでに次回公演が決まっていて、会場も無限大ホールと大きくなり、しっかりと先へ続いていく道が見えているのも、本気の家城さんと家城さんのチームらしいな、と。 たとえば家城さんが人として大人としてどれほど駄目かという話を聞いたり姿を見たりしても、何かをつくる、生み出すということに本気の家城さんと、その家城さんが提供してくれるものについては、今まで裏切られた記憶はない、と思う、どうだろう、多分、分かんない、長いこと見てるから裏切られたと思ったものは記憶から綺麗に排除してるかもしれない、けど、ここにきてもこれだけの熱量で未だ追いかける対象として価値があると、この脳がもはや反射のように思っているのだから、多分ここに至るまでよほどのものを与えられてきたんです、私。 なので、とりあえず私は今年このジェスチャー協会をちゃんと見て、追いかけて、また脳がぶっ壊されに行きたいと思います。 またこんな風にあの頃の気持ちでライブに足を運べるの、本当に本当に本当に嬉しい。


タガを5つくらい外して書いたのでおそらく気持ち悪い仕上がりです。 時間をかけまくってこれです。 もういいや楽しいから。 信者って本人は楽しいけど他人から見たら気持ち悪かったり怖かったりするものですよね。 そういうアレです。 信者なので、ひとつのライブメモに5000字を費やしてしまうのです。 具体的に数値にしたら改めて気持ち悪さが際立ちました。 満足です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?