闇の音、闇の色彩 ―イーノアンビエント京都異聞(7)
3 京都への道中:高速道路サービスエリアのための音楽
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新設された高速道路を走りながら、時速一二〇キロで流れ過ぎる周囲の景色にも或る種の詩情は存在した。
高速の出入口付近には禍々しい雰囲気を漂わせる、安物の魔城めいたラブホテル群が場違いに狂気めいた姿を白日の下に晒している。それはいつ見ても常軌を逸した建物群だった。建物屋上にティラノザウルスが飾られている。その横にはドイツ高級外車を取り揃えた中古車屋が並んでいる。
ケーキやクッキーなどの巨大オブジェがどこか怪獣映画のように壁に幾つもデコレートされたパステルカラーのホテル屋上にはカラフルな小型観覧車が置かれている。
それはただの飾りなのだろうか。それとも恋人たちは深夜、あの遊具に乗ることができるのだろうか。
高速道路に隣接したそれらのホテルはどこかお祭りの屋台のようでもあった。それらは人外魔境の非日常といかがわしさを漂わせている。夜の帳が下りるまではテキ屋の強面そうな、暴力の雰囲気を濃厚に漂わせる人たちもどこか眠たげだった。太陽の光は現実世界の日常感を否応なく感じさせる。確かに、夜こそ非日常で、闇こそ現実原則に縛られぬ博徒や、彼岸世界の魑魅魍魎が跋扈する「もう一つの世界」が近付く時なのかもしれない。
高速道路の出入口付近にあるホテル群は屠殺場か墓場のようにも異形だった。それらは人目を憚り、人目を避けるように建てられている。性と死が穢れているのか、いないのか、それらは闇の中で、来たるべき者を来たるべき時に待っているような、不穏な存在感があった。
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上原は一人で京都に行ってそのまま帰って来ようかとも考えたが、八月は夏休みであり、まだ幼い子供たちもイーノ展に連れて行こうかと考えた。
意味は分からなくとも感じるものは何かあるのではなかろうか。
上原は家の中で家族に構わず大型スピーカーで無名音楽を聴き続けていたが、彼らは音量についてのみ注文をするだけで、流す音楽については何も頓着しなかった。
あるとき上原が、イーノの音楽についてどう思うか、と敢えて家人に感想を聞けば、「音楽なんて流れていたの?」と、元も子もない素っ気ない返事であった。ついでに父に問われた子供らはいかにも返答に困る顔をし、弱々しそうに暫く押し黙った後、「ちょっと、暗い音楽は、あんまり」と言いにくそうに答えた。
京都に誘った直後、家人たちは上原と共にイーノ展に行くとは考えてもいないようだった。上原が展覧会に行っている間、彼らは京都駅でお土産を見て回るつもりだったらしい。
「早朝に出発して、京都に着くのは昼過ぎだよ。京都に着いて真っ先にお土産屋に行くの?」
そのつもりだけど、と上原の妻は当然のように素っ気なく言った。
「そうじゃないよ、まず最初に、何よりも先に、一緒に、家族全員でイーノ展に行くんだよ。子供たちも。そう、当然じゃないか」と、上原は言った。
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上原は大学で美学を専攻したが、そのとき偶々知ったイーノ音楽に彼は前のめりになって極端に入れ込んだ。彼は楽器など何も弾けなかったが、絵は好きだった。学生時期の四年間はそのままイーノの音楽と思想に没頭し、卒業論文も結局イーノについて書いた。
イーノ音楽を初めて聴いたのも京都盆地であり、イーノの音楽商品をあてどなく探し回ったのも三条や河原町の店々ではあった。
京都でイーノが大規模な個展をやるのであれば、それはやはりどうしても行かねばならない気がする。京都、日本の美意識とイーノの美意識にはどこか通ずるものがあるのではなかろうか。
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上原は幼少期、夏休みの度に京都山中にある祖父母の家に行き、暑い夏を過ごした。大学を出てからはその家も、京都御所も、鞍馬山も、北山植物園も鴨川も四条河原町にも殆ど行っていなかった。
子供の頃は父の運転する車で京都と神奈川の長距離を往復していた。上原は今も神奈川に住んでいたので、子供時分、親に連れられて通った道を、再び、自分の運転する車で子供たちを連れて通るというのは、或る種の感慨がない訳ではなかった。
京都へ向かう道中、上原は車内でイーノの芸術論を子供たちに説明して聞かせようとしたが、全く聞く耳を持たず興味がなさそうなので止めた。
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