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フランス語と僕 Ⅱ. 壁

フランス語との “直接的な” 出会いは、ではどこだったかと考える。

記憶を辿れば、僕がはじめて「フランス語」をそれと意識して目にしたのは大学一年の夏、まだ自分がフランスに行くなんて思ってもいなかった頃、仏文志望だった例の友達に連れられて入った仏文事務室でのことだ。僕はどういうわけか、フランス語の参考書を見せてもらっていた。当時は第二外国語としてドイツ語を勉強していたから、「ドイツ語とどこが違うんだろう?」くらいのシンプルな興味だったように思う。

ページをめくると、僕は "important" という単語を見つけた。あれ?英語と同じだ。ドイツ語が英語に似てると聞いてたけれど、フランス語の方が似てるじゃん…。こういうのを早合点というのだが、その思い込みは次の瞬間には無事に壊れた。「アンポるタン」…?!? "important" の上を見ると、このようにカナが振られていたのだ。英語と全然違うじゃん。それに「る」だけひらがなだなんて、フランス語は随分あんぽんたんな言葉だなぁと思った。けれど、これもすぐに気づくことになるが、フランス語があんぽんたんなのではなく、ただ振り仮名があんぽんたんだったのだ。

こういう謎、というか違和感、というか異物感は、後にフランス行きが決まり、自分で勉強を進めていくうちに次第に薄れていった。そしてひとつの確信を得た。英語にもドイツ語にもない何かが、フランス語にはある

まず、音が好きだった。何言ってるかわかんないけど耳心地がよかった。それから、なんとなく字面が好きだった。英語は t とか h とか k とかが多過ぎて (それがあのキリっとしたリズムを形作っているのだとは思うが) どこかせわしなく、ドイツ語は好きだったけれど「名詞はすべて大文字で始めないといけない」というルールが、文章がゴロゴロするから最後まで好きになれなかった。フランス語はというと、抑制された縦線となんでいるのかよくわからないアクサン記号のおかげで文字たちがコロコロしていて目心地もよかった。耳からも目からもスッと入ってきた。肌に馴染む。

服を見ているとき、この服だったらきっと自分に似合うな、と着る前からわかってしまうことがある。フランス語もたぶんそんな感じだった。なんだか自分の言葉にできそうな気がする

それにフランス語は、それまで英語とドイツ語にしか触れたことはなかったとはいえ、はじめて “自分で選んだ” 言葉だった。主要科目でもないし、大学の第二外国語でもない。誰にやらされるでもなく、ただ自分の意志でやると決めた。“英語にもドイツ語にもなくフランス語にはあったもの”、それは結局のところ、自分で選んだという事実そのものだったのかもしれない。

「いつか『星の王子さま』をフランス語で読めたらな」、17歳の僕の仄かな夢を頭のメモ帳から引き出した。けれどこの夢は、案外あっさり叶ってしまった。三月のフランス旅行に向けせっせと勉強する中で、どうせなら読んでみようと思ったのだ。『星の王子さま』は世間で言うように「児童小説」と呼ぶにはいささか高度な内容ではあるものの、テキスト自体はそう難しくないというのは本当で、半年勉強しただけの僕でも辞書を使いながらであればなんとか読めた。

いや、「半年しか勉強していない」というのが本当は不正確なのだ。中高6年間でやった英語はそこそこ得意だったし、大学ではドイツ語も、一年間は真面目にやった。“受験英語” が出来ても英語を話せるようにならないのは当たり前だが、辞書を使いながらヨーロッパ言語を読み解くための読解力は十分すぎるくらい身に付く。例えばギターを長年やっている人は、いきなりベースを持たされてもなんとなくであれば弾ける。少なくとも弾けた気にはなれる。そういうわけで半年という期間は、英語やドイツ語で培った読解力を武器に僕が『星の王子さま』を “読めた気になる” には十分長かった。

早くも、一つ目の夢を使い切ってしまった。どうしよう。これから二年生になる。秋の出発までの間とりあえずできることはやろうと、必修ではなくなったドイツ語はやめ、代わりにフランス語の授業を取るようになった。それから、夏に控えた仏検も受けることにした。3級じゃ盛り上がらないから、準2級。文法は得意だったし、二次試験の面接はままごとみたいなものだった。4級に続き、96点ですんなり受かってしまった。よし、いい感じ。

人と比べることにほとんど意味がないのはわかっているが、この時点で僕はおそらく、同じ大学の二年生でフランス語を続けていた他の誰よりもフランス語が出来た。でもこれは僕が特別優れていたわけではなく、自分しか頼れない状況でやっていたのだからある意味ではむしろ自然なことだった。

なのにどうして。フランス語が話せない。でもその頃の僕はまだ、フランス語が “わかる” ことと “話せる” こと、『星の王子さま』が “読める” ことと会話でフランス語が “使える” ことの間にある日本海溝並みの隔たりをよく知らなかった。彼を、今の僕に会わせてあげたい。そうしたらきっとこう言ってあげるだろう。「大丈夫、君がいるところなんてまだ高尾山の山頂程度だ。高尾山を踏破したくらいで富士山に登れないことを嘆くことはない」。

とはいえこのときはまだピチピチの外国語初心者だったわけで、今は骨身に染みてわかっていることであっても実感がわかないのは当然。だからいきなり話せるわけがないのに、そのことで人並みに悩んだりした。

思い出せる限り僕は二度、フランス語が話せないことで泣いた。

一度目は出発前、蝉のよく鳴く季節だったと思う。今は増えたが、当時としては数少ないネイティブの先生のクラスに出ていた。先生は高齢のフランス人マダムで、愛情深い人だったけれど、よくも悪くも生徒にレベルを合わせないストイックさで少々恐れられてもいた。授業では、僕は比較的よく発言していた。内容さえわかれば前に出ていけた。それにその頃はもう、昨日したこととか、今日何時に起きたかとか、身の周りの一通りのことは言えた。

ある日のこと、留学準備も佳境という時期に、先生とお話しする機会があった。僕はきっとそれほど緊張していなかった。でも、それは授業じゃなかった。ただ先生を目の前にして “話す”。枠組みを与えられた授業より、何倍も神経を尖らせた。すると突然、先生は僕にこう問うた。Pourquoi vous voulez aller à Rennes ? Qu'est-ce que vous voulez faire là-bas ? (どうしてレンヌに行きたいんですか?そこで何をしたいんですか?) 、、、レンヌ、というのは僕が留学に行くことになっていた街だ。三月の滞在でも二日ほど訪れていた。そこに、「なぜ行きたいか」「何をしたいか」。僕は頭の中を何周も探し回った。でも、何も出てこなかった。そもそも留学を決めた理由はただの直感だった。何をしたいかと聞かれればフランス語を身につけたかったのだろうけれど、そんなことは言うまでもないし、その場で言うべきことでもない気がした。僕は答えに窮した。あれも違うこれも違うと脳内の単語を拾っては捨てている間に、僕は言葉に詰まって泣いていた。その後どう切り抜けたかは覚えていない。

二度目は、フランスに渡ってすぐのことだ。8月の末に出発し、通うことになっていた語学学校の授業が始まるのは9月の半ばからだったので、それまでの二週間は言わば肩慣らしの期間。無事寮に入り、新天地での生活リズムを構築している段階だった。

その日、僕はスーパーで買い物をしていた。日本ですでに何度か会ったことのある、フランス人の友達と一緒だった。どういう経緯だったかイマイチ覚えていないのだが、どこかでホームパーティでもやる予定だった、ような気がする。ともかく僕たちはスーパーにいて、食材を揃えようとしていた。僕は買い物カゴを携えて、何を買おうかと店内をうろうろしていた。結局トマトを一つだけカゴに入れて、次の一手を決めあぐねていた。そして数分後、手分けしていた友達と鉢合わせる。モロッコ系フランス人の彼女は、女性だったが僕よりずっと背が高かった。必然的に僕が見上げる形になる。Que tomate ? 、彼女は僕を見下ろしながら、出会い頭にこう尋ねてきた。思ってもなかったところでばったり合流し、ただでさえびっくりしていた僕は、この一言でさらに動揺した。

"Que tomate ?" ???、あれがアニメのワンシーンなら、僕の頭上にはハテナマークが渦巻いていたことだろう。当然、tomate はトマトのことだ。トマトがどうした。僕はできるだけ冷静になって、何を聞かれているのだろうかと分析した。問題は "Que" だ。僕だってその時、フランス語を始めてから一年以上が経っていた。もちろん英語の that にあたる最重要接続詞の que を知らないわけがなかったし、関係代名詞としての用法もマスターしていた。けれど、"Que tomate" なんて初めて聞いた。que って節を取るんじゃなかったっけ?僕の脳の検索機能には引っかからず、オーバーヒートを起こすところだった。そこで、そんな僕の異常を察知したのか彼女はこう言い直してくれた。"Une tomate, seulement ?" 、これなら知ってる。 "seulement"、「~だけ」だ。

"que" は学習者泣かせの多義語である。接続詞、疑問詞、関係代名詞…、フランス語界きってのオールラウンダーだ。この単語に、"ne ~ que" の形で限定否定、つまり「~しかない」という用法もあるということを、当時の僕は知らなかったのだろうか?…いや、そうは思えない。 難なく仏検準2級まで取っていたのだから、どこかで目にしたことはあるはず。でも、何より僕を混乱させたのは、「口語では否定の "ne" が落ちる」という、参考書で何度も目にしたあの現象だ。お決まりのパターン。ne が落ちて que だけが残り、"Que tomate ?" で「トマトだけ?」。こんな簡単なこともわからず、聞いてないよ、と、みじめな気持ちになった。 

このトマトの一件もあり、僕は自信をなくしていた。その友達は日本語が堪能で、日本で会ったときには日本語で話してくれていた。今度は僕がフランスに来る番だったから、フランス語で話そうということになった。でも、一対一ならともかく他のフランス人も混ざると、彼女の言っていることの半分もわからない。これで大丈夫なのだろうか?と僕は思った。こんなの全部拾えるのだろうか。浜辺の小石を全部、手掴みでカゴに移すような気の遠くなる作業が僕を待っている。あまりに途方もなくて、寮の部屋に帰ってまた一人で泣いた。 

んだけど、たぶん次の日にはけろっとしていた。さぁて、授業が始まるぞ。

【コラム】「限定否定」について補足。
ページ上部に書いた「フランス語を半年だけ勉強した/半年しか勉強していない」はそれぞれフランス語だと以下のようになります。
- Ça fait seulement six mois que j'apprends le français.
- Ça ne fait que six mois que j'apprends le français. 

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