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フランス語と僕 Ⅰ. 原風景


「18歳まで、一言もフランス語を話さずに生きてきた」

この事実を思い起こす度に、夢でも見ているような不思議な気分になる。今当たり前のように言えることの、たった一つも言えない自分。本当に同じ自分なのだろうか?今の僕からフランス語を引いたら何が残るだろう。ただ「フランス語を話せない僕」になっておしまい、じゃ済まないことだけは確かだ。「僕」はもはや「僕」ですらなくなる。

フランス語との最初の出会いは、と言っても間接的なのだけど、高校卒業間際に読んだ『星の王子さま』だ。当時好きだったあるミュージシャンが「星の王子さまのような音楽を作りたい」と言っていて、ずっと気になっていた。内藤濯による訳が定番だったけれど、本屋でさっとページをめくって読んだ文体があまり馴染まず、同じ本棚にあって装丁も好みだった池澤夏樹訳を手に取った。的確な言葉で淡々と綴られるリズミカルな文体は、もう “子どもではない” 僕にはちょうどよかった。そしてまだ “大人でもない” 僕にとって、この作品は独特な響き方をした。

『星の王子さま ( 原題:Le Petit Prince ) 』は知っての通りアントワーヌ・ドゥ・サンテグジュペリによって20世紀半ばに書かれた小説だが、彼はフランスのパイロットだった。だから原文はフランス語。「いつか、この作品をフランス語で読めたらな」当時17歳の僕は頭のメモ帳に薄い字でこう書き残した。

大学に入った僕が第二外国語に選んだのは、けれどドイツ語だった。受験期に通っていた予備校で勝手に尊敬していた先生が大学時代に履修していたのがドイツ語だったことや、「ドイツ語は英語と似ているから楽」と皆が吹聴するのを真に受けていたという、今思えば驚くほど安易な理由だった。「星の王子さま」はどこに行ったのだろう?まぁいいや。ドイツ語の授業は楽しかった。もともと英語は嫌いではなかったしどちらかと言えば得意だったが、“英語以外の外国語” に触れる経験をここではじめてすることが出来た。喉から出る耳慣れない R の音、機械の部品みたいに着脱可能な分離動詞、システマティックに形を変える冠詞の格変化…もともと理系で数学が好きだった僕は、こういうパズルみたいなところも面白くて仕方なかった。

時は少し下って大学一年の夏。ここで歯車が動き出す。僕が当時通っていた大学に、少し変わった先生がいた。フランス現代思想の専門家なのだが、大学人としては珍しく、有能な研究者であるだけでなく教育者としても熱心で、毎年春になると目を掛けた数人の学生を連れてフランスでの研修旅行を敢行していたのだ。心理学コースでドイツ語をやっていた僕は普通に行けば彼と知り合う機会はなかった…はずなのだが、その頃から仲良くしていた友達がその先生のフランス語の授業を取っていたおかげで、名前を憶えてもらえるようになった。そしてその研修旅行の話を耳にした僕は無謀にも「行きたいです」と言ってしまったのだった。先生も先生で、フランス語選択でさえなかった僕を受け入れてくれた。

そうと決まれば、おかえり星の王子さま。フランスに行くんだったら、フランス語をやろう。外に出るから靴を履く、くらい自然なノリで、僕はフランス語の勉強を始めた。だから最初は独学だった。文法書を二冊、単語帳を一冊と辞書を買い、検定試験の勉強にも励んだ。どのくらい勉強していたのか今となっては少しも覚えていないが、7月末に勉強を始め、同年秋に受けた仏検4級は98点で受かった。独学だったからこそ、誰とも比べずに済んだ。ひたすらマイペースに、自分の責任で、勉強を続けた。

そして年は明け2013年の春、フランス行きの日はやってきた。海外に行くのもこれが初めてだった。楽しみ、という気持ちが勝っていたと思う。はじめて足を踏み入れたフランスは、三月というのに雪だった。雪のせいで輪をかけて白い、綺麗で汚い街並み。目に見えるものに対して、心が素直に反応するのがわかった。まだ埃をかぶっていない家具のような気持ち。

二日目の朝。先生、そして同行した学生たちと十日間ほど共同生活をすることになっていたアパルトマンの天井に視線を向ける。慣れない異国、必要以上に早く起きてしまった。夢の中はまた日本だった。目が覚めたら、フランスにいた。奇妙な感覚だった。なんとなく落ち着かず、僕はひとり外に出て散歩をした。パン屋しか起きていない、青暗い朝のパリ。吐く息が凍った。

けれど、人は慣れる生き物だ。数日経てばもう、自分が今フランスにいることを不思議には思わなくなった。毎日降り注ぐ刺激に身を委ねながら、二週間もない旅の残りの日数を数えることに注力した。

この旅の間に、絶対に行こうと心に決めていた場所があった。話は巻き戻るが、フランスへの出発日が迫る中、地元の本屋をうろついていた僕は困っていた。初めて海外に行くというのだから、ガイドブックの一つくらいあった方がいいのだろうか…けれど、これは観光ツアーではない。同行者もいるし、そもそも観光にあまり興味がなかった。とはいえ何もないのもそれはそれで心細い…。店内をぐるぐるしていた僕は、たまたま見つけた池澤夏樹のエッセーを手に取ることにした。あんな素敵な文章を書く人だ、エッセーが面白くないわけがない。彼は4年間、フランスに住んでいたことがあるのだ。僕が見つけた『異国の客』という本は、その生活の記録とも言えるもの。みんなと同じガイドブックを買うよりよっぽどいい。僕は誇らしい気分だった。
出発前に本を読み終えた僕はすっかり彼の文章を好きになっていた。池澤夏樹が住んでいた土地に行ってみたい…。フォンテーヌブロー、それがその街の名前だった。

滞在中のある日、自由行動を利用して、僕は一人でフォンテーヌブローに行くことにした。慣れない地での単独行動で不安もあったとはいえ、なんてことはない。駅に行って切符を買い、電車に乗るだけだ。でもここで僕は変に意地を張ってしまった。どうせならフランス語を使いたい、、窓口に着いた僕は緊張していた。フォンテーヌブロー行きの切符を一枚 … Je voudrais un billet... un billet pour aller à Fontainebleau, s'il vous plaît ... 言えた、、言えた!... でも、だめだった。自信満々の文法と発音で言ったつもりだったが、その後に返ってきたフランス語がもう速くてまったく〇△※☆◇だった。惨敗だ。フランス語を使いたい、なんていうのは僕のエゴでしかなかったのだ。言葉はひとりじゃ使えない。相手の言葉を聴けなきゃいけない。

ともあれもちろん、しっかり切符は買った。フランス語では太刀打ちできないとわかって英語に切り替えたのは美しき後悔だ。(というかあの頃はフランス語より英語が上手に話せたんだよな、信じられない…)

フォンテーヌブローに着くと驚くべき事実に直面した。訪れたかったフォンテーヌブロー城や中心街は駅からさらに離れたところにあるということで、バスに乗らなきゃいけない。下調べが嫌いな性格のおかげでしょっちゅうこういうことになる…。どのバスに乗ればいいんだろう?なんとかここまでやって来れたが、さすがにもう心細かった。すぐ後ろに “知ってる言葉” が聞こえたのは、その時だった。同じ電車に乗っていたのだろう。日本語での話し声が聞こえる。藁にもすがる思いで僕はその二人組の日本人に話しかけた。聞くと、一人はフォンテーヌブローからそう遠くないところに住んでいて、もう一人の方がフランスに遊びに来ているところを案内してあげていたのだそう。事情を話すと、彼らは嫌な顔ひとつせずに僕にバスの乗り場を教えてくれ、そのあとも城を一緒に回ったり、挙句、昼ご飯までごちそうになってしまった。

他の日だって、一緒に行った学生と、先生と、頼れる日本人の人たちと一緒にいたのだ。それなのにたった一日、一人で知らない場所へ行くという経験をしただけで、途方もない心細さと、そんな状況にあって日本語を耳にする安心感を同時に知った。今思えば本当に些末な、つまらないことかもしれない。けれど当時の僕はフランス語が話せなかった

短い滞在の途中、先生に提案をされた。「今度は一年、留学に行ってみますか?」、話せないなりに、半年勉強したフランス語をなんとか使おうとしていた僕の姿勢を評価してくれたんだと思う。素直に嬉しかった。すぐには決めなくてもいい、とのことだった。三月、四月いっぱいは考えてみるといい。うーん…。僕は迷った。いや、迷ったフリをした。どうせ食べるとわかっている、テーブルの上に置いてあるケーキをなんとなくそのままにしておく感じ。迷っているポーズは取っていたがもう心には決めていた。行く。

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