言語学する文法03 ~冠詞~

前回は名詞のお話をしました。名詞の次は冠詞、と相場が決まっています。

一応断っておくと、この「言語学する文法」シリーズ、とくに何語の文法、と決めているわけではありません。“言語学” の目指すところは「ことば」そのものです。これが、「~語」を目指す “語学” と異なるところ。

とはいえ僕は日本語を母語に持つ日本人で、フランス語の教師です。この二つの言語の周りをグルグル回っていろいろなことを考えているので、僕がお話しすることもどうしてもこの二言語に寄ってしまいます。世界は日本語とフランス語で回っている、なんて思わぬよう他の言語の学習も心がけてはいますが、それはおそらく趣味の領域を出ないでしょう。さしあたり、この二つの言語の地平から見えることを語っておくことも、それはそれで意味があると思っています。

ということで今回は「冠詞」がテーマになるわけですが、右手には「冠詞を持たない日本語」を、左手には「冠詞の宝庫フランス語」を携えてお話を進めていくことになりますこと、ご理解下さい。

「冠詞」を二種類に分けよ、と問われれば、多くの人が「定冠詞」と「不定冠詞」を挙げるでしょう。学校英語で習ったものです。では、「定冠詞」と「不定冠詞」の違いを説明せよ、と問われれば、多くの人が閉口するか、「定冠詞は特定されてる感じで、不定冠詞は…」といったトートロジカルな、心許ない説明を口にするでしょう。

定冠詞と不定冠詞の区別は、英語やフランス語をはじめとしたヨーロッパ言語を学習する上では避けては通れません (フランス語はこれに加え「部分冠詞」というのも存在します)。にもかかわらず、これらの区別の説明はあまりに拙速で、蔑ろにされている気がしてならないのです。

定冠詞が「特定されている」というのは、実は間違っていません。固有名詞の例を考えるとわかりやすいですが、この世に一つしかない「太陽」は英語では "the sun"、フランス語では "le soleil" と定冠詞が使われます。理由は、「一つしかない」時点で “特定” されているからです。ただ、この言い方には大きな欠陥があります。定冠詞が使われるのは何も固有名詞だけではありません。瞬きするのと同じくらいの頻度で出てくる定冠詞の使いどころがいまいちわからないのは、この欠陥が大きく災いしているからです。それは一口に「特定されている」と言っても、“誰がどのように” 特定するのか、まったく明らかになっていないということに他なりません。

冠詞は、言うまでもないですが、「名詞」につけるものです。“冠” の字が表すように、ヨーロッパ言語では名詞の前に置くことが多いです。

以前のノートで、名詞とは「頭のなかに住所を持っている言葉」である、と説明しました。名詞が特定されている、限定されている、というのは、必ずしもその人やモノ自体が特定されていることを意味しません。その証拠に、仮に会ったことがなくても、誰だかわからず名前も知らなくても、「フランスの大統領」は "le" Président de la République française、と定冠詞を使って表現します。なぜ名前も顔も知らない、つまりその言葉を口にしている本人にとって特定しようがない存在にも定冠詞が使えるかというと、ここでの「特定する」は必ずしも “正体を突き止める” ことを意味せず、単に決められた住所に “辿り着く” ことを意味しているからです。

頭の中には膨大な語彙で構成された概念のネットワークがあります。これは文字通り、インターネットの仕組みとも近いものです。ネット上には、トップページがあり、その下に細分化された各々のページ、さらにその下に…というように、多くのレイヤーが重なった情報空間があります。これはまずは国があって、次に都道府県、次に市町村…という「住所」の考え方と近しいものです。インターネット上での所在地を「アドレス」と言いますが、この単語はもちろん元々「住所」という意味。ここからわかるように、まずは大きな括りで分けて、そこから徐々にカテゴライズしていくという方法は人の認知の仕組みにとってとても自然なのです。人間が持っている意味世界そのものが、そういう枠組みに沿ってできています。

だからこう言うこともできます。「語彙という概念空間には単語ごとにある程度決められた住所があって、それを組み合わせることによってどこか “特定の場所” を表すことができる」。つまり、繰り返しになりますが、定冠詞による特定は “人やモノ” の特定というよりは頭のなかのどこにあるかという “場所” の特定に近いのです。「フランスの大統領」を例に挙げれば、まずは「フランス」と言うことによって頭のなかの “あの国” に誘導されます。そして「大統領」と言うことで “あの役職” が喚起され、「フランスという国は一つしかないし、大統領も一人しかいない」という知識あるいは常識によって、たった一つの住所に辿り着くのです。そこに実際に誰がいるかは関係なく、ただそこに “辿り着け” さえすれば、定冠詞は使えます。

そういえば、「フランスの大統領」はフランス語では "le Président de la République française" と言うのでした。順番が逆です。けれど特定の住所に辿り着けるのであれば、順番はどうあれ同一のURLとして機能するので問題はないのです。ちなみに住所も、フランスでは日本とは逆の順番で表記します。「日本 東京都 国分寺市」はフランス語では "Kokubunji-shi Tokyo Japon" と表記しますが、この順番と「フランスの大統領」でフランスを後にもってくる順番とは、無関係ではないような気がします。

「特定されている」という言い方の “欠陥” についてのお話でしたが、ここまでが “どのように” に関わるものでした。もう一つ大事な問題があります。それはいったい “誰が” 特定するのかということです。 

もう一つ前のノートでは、「人称」についてお話ししました。詳しくは記事を読んでいただければと思いますが、一~三人称の中でも一・二人称は特別である、ということを述べました。

少し遠回りしましたが、「一・二人称とは何なのか?」という問いについて答えが見えてきました。それは取りも直さず、“コミュニケーションの参加者” であるということです。例えば今、この文章を書いている "僕" と、それを読んでいる "あなた” の間に、コミュニケーションの場が発生しています。この「場」において、“発信者” をつとめる存在こそが一人称の正体であり、“受信者” こそが二人称によって表される存在なのです。また、発信者である主体の判断によって一人称は拡大され得るし(一人称複数 「私たち」 )、同様に、どこまでを受信者、言い換えれば "宛先" に設定するかで二人称の範囲も広がります(二人称複数 「あなたたち」)。

そして、もう言うまでもないかもしれませんが、定冠詞にするのか不定冠詞にするのかという選択をするときは一人称だけでなく二人称 (誰が聞いているか) も大事になります。さきほどお話しした「太陽」や「フランスの大統領」のような単語は固有名詞であるため、誰が誰に対して使うときにも基本、定冠詞を用います。しかし普段使う単語というのは、定冠詞も不定冠詞も使えるというケースが大半なのです。だから、“冠詞を持たない” 日本語が母語だったりすると、どちらを使えばいいのかという感覚はなかなか身に付きません。

一つ例を挙げてみましょう。

J'ai vu un chat hier.  昨日、ネコを見た。
J'au vu le chat hier.  昨日、あのネコを見た。

違うのは冠詞の部分だけ (上が不定冠詞、下が定冠詞) です。上は文字通り「昨日ネコを見た」だけなんですが、下のように定冠詞を使うと、それがいったいどんなネコなのかが問題になります。何度も出てきますが、“特定されている” というのはどういうことなんでしょう?名前を知っている、どこの家の飼い猫か知っている…いろいろな可能性が考えられます。しかしそもそも自分が見たネコなんだから、その時点で特定されているじゃないか…堂々巡りです。

でもこの問題はすべて、一人称、つまり自分の中で完結させようとしてしまうから生じるものです。言葉はコミュニケーションです。どんな文でも、それを受け取る人がいることを忘れてはいけません。つまり上の例では、「ネコを見た」ことを伝えるべき相手がいるのです。そしてこう言ってもかまいません。このネコに不定冠詞を使うか定冠詞を使うかは、相手 = 二人称次第です。さきほども述べたように、“特定できる” とは “辿り着ける” ことです。名前がわかっていなくてもいい。飼い主を知らなくてもいい。大事なのは、前にどこかで一緒に見かけたことがあったり、しょっちゅうそのネコの話をしていたり、二人称である相手と一人称である自分が一緒に「あぁ、“あの” ネコね」と、同じ場所を指させることなのです。

だからこの文のときはこの冠詞、のように一概に言えるものでもありません。たかが冠詞、されど冠詞。何をどうやって誰に伝えるか、これが全部重なり合って決まるものです。侮っちゃいけませんね。

長くなりました、また次回!






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