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フランス語と僕 Ⅳ. 新品の家具

「留学していて一番つらかった時期は?」と問われれば、答えははっきりしている。それは僕にとって、留学が始まってから三か月~半年の期間だった。前のnoteに書いた通り「三か月で耳は慣れ」た。でもそこからの三か月が、僕にとってはもどかしい時期だった。

ロシアから来たRとの昼食の習慣は続いた。毎日学食で一緒にランチを食べながら、お互い外国人という立場から、それぞれの国での暮らしのことやフランス語の不思議についてなど、いろいろなことを話した。彼女と話していると、なんだか自分がフランス語が上手いような気がした。二人とも文法が好きで、習ったばかりの少し複雑な構文を使ってみたり、お互いにミスを指摘し合って(指摘されるのはほとんど僕だったが…)、それぞれの成長を喜んだ。話し相手がRだけなら、僕にはフランス語で言えないことも、わからないこともない気がした。もう完璧にコミュニケーションが取れる、そのように思っていた。でもそれはある意味、当然のことだった。なぜならRは僕を待ってくれた。僕が言葉に詰まった時にはそれが出て来るのを、リズムが乱れたときには持ち直して話し終わるのを待ってくれた。けれどもちろん、僕が生活の中で話さなきゃならなかったのは彼女だけではなかった。

外国人としてその国の言葉を話すというのは、常に話し相手にサービスを求めることでもある。内と外を分けることにはもうほとんど意味はないかもしれないし、境界線は今後ますます溶け合っていくだろう。けれど個人的な経験から言える範囲で言えば、やはり母国語(僕にとっては日本語)と外国語(フランス語)は途方もなく離れていて、無理やりくっつけようとでもしない限り永遠に接点を持たない二つの図形だった。母国語の丘では外国語は小石のようだし、外国語の海では母国語は稚魚みたいだ。海外に出れば、その瞬間に僕らは外国人になる。受け入れられるべき存在ではあるにしても、それはどこまでもぎこちない異物であることに変わりはない。

バベルの塔の神話は間違っている。言語は分断されたのではなく、ただ別々に、それぞれの共同体のなかで育った。絡み合い溶け合う共同体がグローバリゼーションの帰結であるとして、言葉が出来ていった過程を考えるならその別々の共同体同士で通じ合うことは “土台無理” である。なぜなら言葉は「特定の共同体の中で」機能するように出来ているし、本来それで十分だからだ。でも僕らはそれを飛び越えた。だから勉強しなきゃいけなくなったし、勉強できるようになった。

今に始まったことではない。一個の共同体が一個のまま、他と関わることなく輪郭を保っていられたのは遠い昔の話で、人間の歴史はぶつかり合い混ざっていく共同体の歴史でもある。それはときにより柔軟で高度な共同体へ、ときに戦争へと発展するわけだけれど、その過程で当然、言葉も変わっていった。共同体の中で、そしてその間で。

言語的な距離と地理的な距離は、どこまで比例するのだろう?ひと昔前まで、混ざりあえる共同体の範囲には限界があった。それはひとえに移動手段の問題であって、ラクダや船ではすぐに移動できないし、飛行機は速いが、いずれにしても人そのもの、モノそのものを移動させるのには手間がかかる。インターネットが出来てからそれが変わった。それまでは人やモノに乗っかってしか移動できなかった言葉が、バーチャル空間を伝って光の速さで移動できるようになった。何千年もの時間をかけて、ついに言葉は体から解放されて究極の自由を手に入れた…

というのが大きな錯覚だとしたらどうだろう?言葉と情報≒意味はよく一緒くたにされる。でも本当に、言葉は体から引き剥がせるだろうか?言葉は、複雑な形の家具に降り積もった埃のようなものだ。その、見慣れた凹凸に沿うように言葉は形作られる。家具だけ消し去ってしまえば…埃は舞い落ちる。

僕はフランスでは外国人だった。僕の表面を覆っていた日本語という名の埃は吹き払われて、僕の体はフランスという古い家屋に置かれたピカピカの家具になった。部屋に新しいエアコンを取り付ける。掃除機を新調する。あるいはスマホを買い替える。あの手慣れない感じ。はねのけられているような感じ。共同体の中を自由に泳げる “ネイティブ” が “外国人” 相手に感じる違和感もそれに似ている。僕ははじめて会うフランス人の前では、扱いづらい新品の家具だった。ただ、それをガラクタと決めつけないで、興味をもって触ろうとしてくれたのは幸運なことだった。

いや、ある意味、僕は彼らより自由だった。海の中を自由に泳げる彼らは、海の外には出られない。僕はびくびくしながら海に入ろうとする鳥だった。水は怖いけど空気は味方だった。空を自由に飛べた。留学が始まって三か月~半年の期間は、せっかく海の中がよく見えるようになったのに、そこに入っていけない時期だった。魚たちと戯れたいのに、それができなくてもどかしかった。

でもそれはある時、案外あっさり乗り越えられた。それまでは時間がかかってしょうがなかった僕の頭の中の構文製造機が「ノイズ」を手に入れたのだ。

日本人は、言葉が出てこないとき、黙る。日本語話者同士なら、あぁ、今この人は次に言いたいことを考えているんだなと察し、大人しく終助詞を待つ。それは相手の話を最後まで聴くのが美徳とされるからだが、残念ながらフランス語のコミュニケーションに同じルールはない。無礼なのではなく、単にルールが違うのだ。フランス語で話しているとき、相手の話に割って入ることは(当然やり方にもよるが)それだけでは失礼にあたらない。だからこちらが黙ってしまうと、ただでさえ前のめりになっている話し相手にロビングショットを放ち、どうぞスマッシュを打ってください、と言ってしまうことになる。そうならないためには淀みなく話し続けるか、それができないのなら他の術を身につけるしかない。

ではフランス人はみんな淀みなく話しているかというと、もちろんそんなことはない。相手が相槌を打つのを確認したり、話している間に考えたり、日本語と違うところもあるけれど同じところもたくさんある。ただ、この “考えている間” に、彼らは黙り込まない。その代わりに "euh..." というノイズを出し、それが会話のなかで「まだ自分のターン」と相手に知らせる合図になるのだ。この "euh" というノイズはオーケストラの通奏低音のように、言葉の間を縫って絶え間なく鳴り響いている。

「ノイズ」を手に入れたことで、こちらが考え込んでいるのに割って入られて、せっかく水に半分つけた顔を突っぱねられることがなくなった。構文製造機の性能も少しづつ上がって、正確な文章を作るための時間もどんどん短くなっていった。それは勉強と練習の賜物だった。

意味のないノイズ(情報のない震動)は家具にかぶる埃になって、だんだん風景に馴染んでいった。半年経って、会話が楽しくなってきた。

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